第15話 天使と記憶



「貴様も懲りない奴だな」


 と、白い髪の少女はつまらなそうにそう言って、そのままペロリとアイスを舐める。


「…………」


 その少女は確かに綺麗だ。髪の色も瞳の色も纏う雰囲気も、人間離れした美しさがある。


 けど、昨日感じたあの心臓を握り潰されるような恐怖を感じない。超常的で魔的で、人間離れしているどころか、化け物としか見えなかった昨日の少女と、この少女は同一人物なのだろうか?


 勢いでつい追ってきてしまったが、別人だったら恥ずかしい。……当たり前だけど、あの白くて大きな翼も生えてないし。


「あの……すみません。昨日、夜に会いませんでした?」


「ナンパか? よそに行け」


「いや、そうじゃなくて。本当に俺、昨日の夜に貴女に会ったと思うんですよ」


「……半端に覚えているんだな、貴様は。いやこの場合、半端に忘れていると言うべきか。やっぱり貴様は特別なのだろう。ズレているんだ、視点が」


 訳ない分からないことを言って、少女はまたアイスを舐める。……ちょっと、状況が分からない。


 この子が昨日の夜に見た天使で、間違いないとは思う。最初は別人かもと思ったが、この声は確かに昨日、聞いた声だ。……でも、なんかちょっと、着ぐるみの中身を見てしまったような、そんな微妙な感情になる。


 天使がアイスを食べるなよ。


「私の話が聞きたいのだろう? だったらそこで、アイスを買って来い。チョコミントとバニラとストロベリーだ」


「……たかんのかよ、天使が」


「天使? ……ああ、そうか。貴様たちには、そういう風に見えているのか。まあ何でもいい。話を聞きたければ、アイスを買って来い」


「……分かったよ」


 そのままフードコートでアイスを買う。自分の分も買おうかと一瞬、迷ったが、今はまだラーメンが残ってるし、食べるにしてもいのりちゃんと一緒に食べたい。そう思い、言われた通りのアイスを買って、席に戻る。


「ほら、お望みのアイス」


「うむ、よくやった。ではそこに座れ。私が分かっていることを全て、貴様に教えてやる」


「…………」


 勧められるまま、少女の目の前の席に座る。少女はそんな俺の方を見ることもなく、満足そうにアイスを舐める。


「結論から言う。私は何も覚えていない」


「……は? どういう意味だよ、覚えてないって」


「言葉通りの意味だ。自分の役割も、存在意義も。どこから産まれて、何を成すべきなのかも。私には何も分からん。何も思い出せないんだ」


「おいおいおい。それって……どういうことだ? お前が記憶を奪ってる訳じゃないのか? 嫌なことを忘れさせてくれる天使って、俺はそう聞いてお前を探してたんだ」


「知らん。確かに私には不思議な力がある。……私はお前たち人間とは、違うイキモノだ。だがな、私はその力を自由にコントロールできないし、たまに生えてくる翼も邪魔でしかない」


「じゃあ、俺の失くした記憶をもとに戻すなんてことも、できないのか?」


「できん。残念だったな」


 天使はこちらを小馬鹿にするように顔で笑う。……何だこいつ。絶対に性格、悪い奴だ。


「そもそも貴様は、忘れた記憶を思い出してどうするつもりだ?」


「いや、どうってそんなの……。思い出してみないと分かんねーよ、そんなの」


「思い出せば、後悔し泣き叫ぶことになるかもしれないぞ?」


「それでも、他人に泣かれるよりはマシだ。それが可愛い女の子なんだったら、なおさら。俺は自分がやったことと、向き合わなきゃならない」


「ではそれで、周りを傷つけることになったらどうする? お前が記憶を思い出すことで、お前以外の人間が傷つくことになるかもしれない。それでもお前は、記憶を取り戻したいと願うのか?」


「…………」


 言葉に詰まる。そんな風に考えたことはなかった。俺が記憶を思い出すことで、誰かが傷つくことになる。それはとても悲しいことだ。鷹宮さんや白山さんが泣いている姿は、想像でも胸が痛む。


 でも……。


「でもやっぱり、忘れたままにはできないよ。俺も俺以外の人間も、自分でやったことに対して……自分の過去に対して、責任を取らなきゃならない。それがどれだけ辛いことでも」


「理想論だな。人間はそんなに強くはないよ。誰もが貴様のように、退屈してる訳じゃない。皆んな……今を生きるのに必死なんだ」


 天使はどこか悟ったような目で、遠くを見る。……なんていうか、かっこいいことを言ってしまった自分が、急に恥ずかしくなる。


 そもそも俺が知りたい過去は、どうして自分が二股したのかという、とてもかっこ悪いことだ。そんな恥ずかしくもどうしようもない状況になっている以上、このまま放置はできない。


 放置したら、俺はきっと刺される。


「……女たらしめ」


「なんだよ、やっぱり俺の記憶を知ってるんじゃないか」


「知らんよ、貴様の記憶なんて。ただ、貴様はいろんな女にいい格好し過ぎだ。そんなだから、貴様は退屈を忘れられないんだ」


「…………」


 こちらを小馬鹿にするような表情。俺のことを知っているようなその言葉。こうして話してみると、何故だか懐かしい気分になる。この子のことを、俺は知っているような気がする。


「もしかして、ソラちゃんってお前か?」


「────」


 その瞬間、天使の目の色が変わる。それは、怒っているわけでも悲しんでいるわけでもない。確かに悲しい表情だけど、その奥に何か温かなものを感じる。そんな目で、少女は真っ直ぐに俺を見て言う。


「帰る」


「いや、なんでだよ。話はまだ終わってないだろ?」


「話せることはもう話した。それに言っただろ? 私は何も覚えていない。自分のことも貴様のことも、何も思い出せないんだ。だから貴様の記憶を戻すなんてことも、私にはできない」


「それはそうかもしれないけど、でもまだ──」


「くどい。……しつこい男は嫌われるぞ」


 話はもう終わりだと言うように、少女が立ち上がる。


「いや、待てよ」


「だから──」


「じゃなくて。……アイス、それ持って歩くの? 溶けたりしたら、迷惑じゃね?」


「…………」


 少女は逡巡するようにアイスを見つめ、そのまま少し固まる。アイスがゆっくりと溶けていく。少女はそれを見て決心がついたのか、口落ちそうに口を開く。


「これは貴様にやる」


「いや別にいらないけど……今、お腹いっぱいだし」


「アイスは別腹だ。食え」


「いや、いらないって」


「いいから食え。怒るぞ」


「……分かったよ」


 無理やりアイスを押し付けられる。普通に要らない。しかもこれ、食いかけだし。


「……どうしても話が聞きたいのであれば、夜の私に会いに行け。上手くいけば、何か面白い話を聞けるかもしれん」


 それだけ言って、少女はその場を後にする。その背中にはやはり、翼なんて生えていない。独特な雰囲気はあるが、それでも彼女はただの普通の女の子だ。


「つーか、夜の私ってなんだよ。昼と夜で、別人になるって言うのか?」


 分からない。或いは彼女は、俺に嘘を言っただけなのかもしれい。いきなり声をかけてきた俺をからかって、遊んでいただけなのかもしれない。サグラスを付けていたし、表情はあまり読めなかった。……それに、何も覚えてないなんて言いながらも、彼女は俺のことを知っているようだった。


「ソラちゃん、か」


 白山さんが言っていたその名前。聞き覚えはあるが、そこから先は思い出せない。それが、あの子のことなのだろうか? 白山さんが言うには、俺はその『ソラちゃん』を気にかけていたらしいし、一度そのことを白山さんに訊いてみるべきだろう。


「って、あ。先輩、やっと見つけたー。トイレとか言って急に走って行ったから、体調崩したのかと思って、いのりちゃん心配してたんですよ」


「あー、ごめんごめん。なんか……そう。急にちょっと、アイス食いたくなって」


「うわっ、先輩あれだけ食べたのに、まだ食べるんだ。流石のいのりちゃんも、ちょっと引きます」


「いいんだよ、アイスは……別腹だから」


 引いてるいのりちゃんに苦笑を返して、アイスを一口。


「……甘っ」


 アイスは、俺の想像よりずっと甘かった。


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