第26話 約束と孤立
「……夢じゃない、か」
温かな感触に、ふと目を覚ます。マラソンでもした後のように、身体が重い。
「ねむ……」
隣で眠る白山さん。その艶やかな金髪に指を通す。気持ちよさそうに寝息を立てていて、起きる気配はない。時刻は朝の5時過ぎ。一度、家に帰るにしても、まだ寝てられる時間だ。
「こういう感情って、なんて言うんだろうな」
白山さんを優しく抱きしめる。どこにどんな風に触れても、きっと彼女は許してくれる。俺が彼女に何をされても、許すのと同じように。……ドキドキする。
「…………」
どうして今になって、手を出したのだろう。白山さんも俺も、ただ流されただけかもしれない。寂しくて、退屈で、怖くて。ただ、流されただけかもしれない。……でも、それでも後悔はない。寧ろこうやって触れているだけで幸せだ。
「好きだよ、白山さん」
と、言った。けれどなんだかその言葉には、中身を感じない。煙のように、すぐにどこかに飛んでいく。だからそのまま、白山さんの体温を感じ続ける。二度寝できるような気分ではなかった。
「……あ、ハルがいる」
しばらくした後、眠たそうな声で白山さんが口を開く。
「そりゃいるよ」
「うん、だよね。……おはよ、ハル」
「おはよう、白山さん」
「もっと強くぎゅっとして、ハル」
「いきなりだな」
「いいから」
言われた通り白山さんを抱きしめる。白山さんの香りが俺に溶け込むような、そんな錯覚を覚える。
「ハルがいる」
「だからいるって」
「うん。ちゃんとあたしの側にハルがいるなって。……起きたらいなくなってたらどうしようって、ちょっとだけ不安だった」
白山さんの声が少し震えている。その気持ちは、俺には分からない。
「ハル、温かいね」
「ちょっと暑いけどな。冷房、つけていい?」
「駄目。もう朝だし起きないと。今日、学校だし、ハルは一度、家に帰らないといけないでしょ?」
「そんなのサボればいいじゃん。今日は1日、こうやってのんびりしてようぜ? 観たいって言ってた映画、観にいけばいいじゃん」
「駄目。ハルはただでさえサボりがちなんだし、どうせ家にも連絡してないんでしょ? 真奈ちゃん、また心配してるよ」
「……分かったよ」
渋々と言った風に手を離す。……本当は少し、1人になりたい気分だった。多分、それは白山さんも同じなのだろう。白山さんの側にいたいっていう気持ちも、白山さんを抱きしめたいっていう気持ちも嘘じゃない。
でも少し、今の自分がどんな顔をしているのか、それをゆっくりと確かめたかった。
「白山さん、体調とか大丈夫? どこか痛いとか、そういうのない?」
「……うん、平気。まあ少し、違和感みたいなのはあるけど。ハルは?」
「俺は問題ないよ。絶好調。フルマラソンでも、三分の一は走り切れるくらい元気」
「微妙だね。そこはちゃんと最後まで走り切らないと」
「そんなに元気だったら、逆に気持ち悪いだろ?」
「……かもね」
そこで2人して立ち上がる。カーテンを開けると、朝日が差し込む。眩しい。
「朝ごはん、食べてから帰る? それとも、向こうで食べる?」
「あー、向こうで食べるわ。こっちで食べると意味もなく、ダラダラしちゃいそうだし」
「そうだね。その方がいいかも」
「じゃあ……帰るわ」
「うん、分かった。またね、ハル」
ちょっとだけぎこちなくて、でも昔と何も変わらないやり取り。そんなやり取りをして、俺は白山さんに背を向ける。
「あ、そうだ。ハルってさ、今度の木曜あいてる?」
「ん? まあ、あいてはいるけど」
「じゃあデートしようよ。いいでしょ?」
「そりゃ全然構わないけど。でもデートなんだったら、今日でも明日でもいいんじゃないの? なんで、木曜?」
「……木曜さ、またお父さんとお母さん、帰れないかもって言ってた。だから、また一緒に映画観たいなって。……ダメ?」
照れたように顔を赤くして、少し跳ねた前髪を弄る白山さん。……可愛いなって、本心から思う。
「じゃあ木曜、また来るよ。今度は面白い映画、調べとく」
「いいよ、別につまらなくても。ハルと観るなら、なんだって一緒だから」
最後に軽くキスをして、俺は白山さんの家を出た。そしてそのまま早足に家に帰って、シャワーを浴びて、朝食を食べて。両親と楽しく会話をして、怒った妹をなだめて、いつもと同じように学校に行った。
「…………」
けど授業は当然のように集中できず、何を考える訳でもなく、ただぼーっと黒板を見つめていた。……まあ、それはいつもと同じかもしれない。でも、今日はいつにも増して集中することができなかった。
そして、あっという間に放課後。
「神坂くん、ちょっといい?」
担任である彩ちゃんに、空き教室まで呼び出される。多分きっと、今日一日ぼーっとしてたことを怒られるんだな、と思っていた。けど、彩ちゃんの口から溢れた言葉は、完全に想定外のものだった。
「転校生の鷹宮さん。彼女ちょっと孤立しちゃってるみたいだから、気にかけてあげて欲しいの」
「……え? あー、え? なんで?」
と、寝ぼけてる時に、急に話しかけられたような反応をしてしまう。
「……大丈夫? 春人。もしかして、寝ぼけてる? それとも体調悪いの?」
「いや、大丈夫大丈夫。ただ……なんで俺? そういうのって、まずは同姓から声をかけてもらった方がいいんじゃないの?」
その俺の問いを聞いて、彩ちゃんは言いにくそうに視線を下げる。
「一応は貴方だけじゃなくて、他の……それこそ人当たりのいい女の子たちにも声をかけてみた。でも……鷹宮さん、その子たちにもいろいろキツいこと言っちゃってたみたいで、あんまりいい答えは返ってこなかったのよ」
「あー、まあ確かにあの子、言葉がキツいところがあるからな」
「そ。でも春人は昔からそういうの、気にしないでしょ?」
「彩ちゃんは俺を、何だと思ってるんだよ」
「無神経で無関心な癖に人の問題にばっかり首を突っ込む、お節介?」
「教師が生徒に言う言葉じゃないな」
「これは従姉妹としての言葉だから、いいの」
小さく笑う彩ちゃん。その笑みは昔からずっと、変わらない。
「で、このままだと鷹宮さん孤立しちゃうと思うの。だから少しでいいから、気にかけてあげて欲しい」
「そりゃまあ別にいいけど。でもこの前ちょっと話しかけたら、凄い勢いで拒絶されたぜ? ……そもそも俺は、1人になりたい奴は1人にしてあげた方がいいと思うな。ああいう子は、こうやって余計な気を回されるのが、1番嫌いだと思う」
「それでも。……いじめ、なんてことにはならないと思うけど、あのままだと彼女いろいろ困るでしょ? 春人みたいに、器用に立ち回れるって訳でもなさそうだし」
「……ま、確かにそうだな。分かった、じゃあもう少し、話しかけてみるよ」
「お願いね、春人」
軽く肩に触れられる。相変わらず彩ちゃんは、いい匂いがする。
「……あ、そうだ。今日、夕飯なに食べたい?」
「なに? 今日は彩ちゃんが夕飯、作ってくれるの?」
「おじさんとおばさんに頼まれたのよ。今日は仕事で遅くなるからって」
「俺も真奈もガキじゃないんだし、夕飯くらい自分で用意するよ?」
それこそ小学生くらいの頃は、両親が忙しくてよく彩ちゃんの家で夕飯をご馳走になった。でもこの歳になって、そこまでしてもらう必要もない。
「いいじゃない、偶には。私も最近、料理作ってないし。どうせ春人と真奈じゃ、ラーメンとかコンビニとかが関の山でしょ?」
「失礼だな。牛丼とかハンバーガーとかも食べるぞ」
「同じじゃない。だから、今日は久しぶりに私が夕飯、作りに行ってあげる」
ちょっと強引な彩ちゃん。もしかして、最近一人暮らしを始めたのもあって、少し寂しいのかもしれない。
「分かった。じゃあお願いするよ。……うーんとそうだな、じゃあ唐揚げ食べたい。あと、ポテトサラダ」
「分かった。じゃあ買い物してから帰るから、ちゃんと家で待っててね? 真奈にも伝えといてね」
るんるんと楽しそうに、空き教室から出て行く彩ちゃん。彩ちゃんの唐揚げはそこらの店より美味いから、なんか俺も楽しみになってきた。
「……でも、鷹宮さん、か」
彼女があそこまで他人を拒絶する理由。ただの人見知りでは説明できない冷たい空気。そんな彼女と仲良くなるなんて、絶対に無理だと俺は思う。
「それにあんまり構いすぎると、白山さんに怒られるからな」
今朝の白山さんの笑顔を思い出し、俺は1人で小さく笑った。
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