第27話 先生と夜
彩ちゃんに空き教室に呼び出された後、俺は教室に戻り鷹宮さんを探した。けれど彼女の姿はもうどこにもなく、席はもぬけの殻。まあ、友達どころか話す相手もいない彼女が、放課後に教室に残っている理由もないだろう。
……もしかしたら、前に会ったあの公園に居るのかもと思ったが、そこまでして探す理由もない。というかそこまでしたら、ストーカーみたいだ。
「帰るか」
白山さんにメッセージでも送って、一緒に帰ろうかとも思った。けどなんとなく、躊躇ってしまう。どんな顔で何を話せばいいのか分からないし、あまりがっついてると思われるのも嫌だ。
なので今日は寄り道せず、大人しく家に帰ることにした。
「…………」
自室で1人の時間。ぼーっとネットを見て、前に予約したプラモがもうすぐ出るんだなーとか思いながら、無為な時間を過ごす。
「白山さん、今頃なにしてるのかなー」
なんて思ってしまうのは、本気で彼女に惚れてしまったからなのか。それとも単に浮かれているだけなのか。どちらにせよ大した差はないなと、小さく息を吐く。
そんな風にぼーっと過ごしていると、真奈の奴が部活を終えて帰ってくる。久しぶりに2人で一緒にゲームをして、そうこうしているうちに彩ちゃんがうちにやって来て、真奈と2人で大量の唐揚げとポテトサラダをご馳走になった。
「美味しい? ……そっか! 美味しいか! よかった、よかった!」
彩ちゃんは珍しくハイテンションで、ビールをガブガブ飲んでいた。そんなに飲んで大丈夫? と思っていたら案の定、潰れてしまって介抱するのに手間取った。
「今日は泊まってく?」
と、俺は何度も言ったのだが、
「明日も仕事だから、帰るー」
と、彩ちゃんは聞かなかった。だからまあ、1人で帰すのも心配なので、俺が家まで送っていくことにした。
「なんか彩ちゃん、テンション高いよね? いいことでもあったの?」
まだふらふらしてる彩ちゃんの手を引きながら、そう尋ねる。
「別にー。ただ、久しぶりに春人と真奈とご飯食べれて、楽しいなーって」
「そっか。寂しいんだったら、いつでもうちに来ていいよ? 俺と真奈は彩ちゃんが来てくれるだけで嬉しいし、父さんと母さんも喜ぶから」
「……春人は優しいなー。この女たらしめ」
ほっぺたをうにうにされる。……酒くさい。
「やめろって。胸、当たってるぜ?」
「意識すんなよ、思春期が。昔はよく一緒にお風呂、入ってたじゃん。洗いっことか、よくしたよねー」
「そんなの本当にガキの頃だろ? 覚えてないよ」
「春人は昔からエロい子だったから、私の胸ばっかり見てたなー」
「適当言うなよ、酔っ払い」
こんなところ、他の生徒に見られたら不味いんじゃないかと思うけど、幸い辺りに人影はない。
「でも、そんな酔っ払ってると、1人になると寂しくならない? 今からでも、うちに戻ってもいいよ。一緒にゲームやろうぜ」
「……こいつは、本当に女たらしみたいなことを言うようになったな。お姉ちゃんの教育の賜物だなー」
「どんな教育だよ。つーか、彩ちゃんも彼氏とか作らないの? 彩ちゃん可愛いんだし、その気になればいくらでもできるだろ?」
「春人は教師という職業が、どれだけ出会いがないのか分かってない。何も知らない君たち生徒は、あの先生とあの先生が付き合ってるーとか言うけど、私、絶対に同業の教師とだけは付き合いたくない」
「そんなもんか」
「そ。あんまり夢のある職業じゃないよー。残業代も出ないし」
「ま、俺は元々教師になんてなる気ないし、関係ないけど」
「薄情なこと言うなよー。お姉ちゃんと結婚してくれるんだろ? 春人はー。私、春人がくれたネックレスとか、まだ大事に持ってるんだからねー」
「ちょっ、絡むなって」
そんな風にわちゃわちゃとしながら、彩ちゃんの住むマンションへ。彩ちゃんの実家もこの辺りにあるんだから、わざわざ一人暮らししなくてもいいのにとは思う。彼氏がいないんだったら、なおのこと。
「大人になったいう、分かりやすい証が欲しかったのー」
まるで俺の心を読んだかのように、彩ちゃんが口を開く。
「……別にならなくてもいいだろ、大人になんて」
「歳を取ると、そうも言ってられないんだよー。春人も、大人になれば分かるよー」
「どうかな。俺、そういう価値観には懐疑的だから。それに、彩ちゃんは昔からずっと、魅力的だよ」
「……ありがと」
エレベーターに乗って、彩ちゃんを部屋まで送り届ける。そのまま帰ろうかとも思ったが、彩ちゃんは靴を脱いだ瞬間に倒れるように眠ってしまったので、仕方なくベッドまで運んでやる。
「大丈夫かよ、ほんとに」
少しだけ様子を見てから帰ろうと、座布団に座る。彩ちゃんの部屋には何度か来たことがあるが、相変わらず殺風景だ。昔、彩ちゃんが好きだったゲームとか漫画とかも、最低限しか置いてない。見たところそれも、あまり動かしてあるようには見えない。やっぱり、仕事が忙しいのだろう。
「学校ではもっと、厳しく見えるんだけどな」
顔を覗き込む。顔は赤いが、そこまで体調が悪そうにも見えない。これなら放っておいても、大丈夫だろう。
「帰るか。鍵はオートロックだし……って、うお!」
立ち上がろうとした瞬間、彩ちゃんに引っ張られベッドの上に倒れ込む。酒と香水が混ざった匂いに、頭が痛くなる。
「ちょっ、彩ちゃん。酔っ払い過ぎだって!」
という俺の言葉を無視して、彩ちゃんは言う。
「春人さ、彼女できた?」
「なんだよ、急に……」
「前に付き合ってた……あの子とは、すぐに別れちゃったじゃん」
「なんで知ってんだよ」
「私はお姉ちゃんだからー。春人のことはなんでも分かるのー」
酔っ払いの戯言だとは思うけど、答え辛い質問。でも、手も足も絡められて逃げるに逃げられない。
「……どうかな。分かんないよ、まだ。もしかしたら勘違いかもしれないし、案外すぐに振られるかもしれない」
「そっか。でも……よかったねー。春人は私みたいな大人になっちゃダメだぞー」
「なんだよ、それ。彩ちゃんは立派な大人だよ」
「だから、立派な大人になんかなっちゃダメなの。立派な大人になんかなっても、いいことなんて1個もないんだからー」
「…………」
その言葉の意味は俺にはまだ、分からない。でもきっと、俺の知らないところで、彩ちゃんもいろんな苦労をしているのだろう。
「でもまあ、こうやって酒に酔って従兄弟に絡んでるような大人は、大して立派でもないか」
「言ったなー、こいつー」
昔みたいに戯れ合う。……けど、俺たちはもう2人とも子供じゃないので、あまりやりすぎると……。
「ちょっ、彩ちゃん。変なとこ触るなって」
「えへへ。変なとこってどこかなー。ここかなー、それともこっちかなー」
「ちょっ、胸を押しつけるな。変なとこ舐めるな。……いや、ほんとにやめろって!」
慌てて彩ちゃんから距離を取る。……いや、取ろうとした瞬間、彩ちゃんは言った。
「──私を1人にしないでよ、春人」
瞬間、彩ちゃんの唇が俺の唇に触れる。こうやって戯れ合うのは、今まで何度もあった。でも、キスなんてされたのは初めてで、俺は驚いたように立ち上がる。
「……ごめん、帰る」
慌てて、部屋から出る。……きっと、酔っ払って戯れて、それでたまたま唇と唇が当たっただけだ。別に、大したことじゃない。ただのお遊びだ。そう分かってはいるけど、でも……。
「1人にしないでよ、か」
昔はよく、彩ちゃんと結婚するとか言っていた。今でもそれは覚えてる。でも、そんなのは子供の戯言で、彩ちゃんも俺も本気になんてしていない。それはきっと、間違いじゃない。でも、思えば彩ちゃんが俺をどう思っているのか。それを一度も、聞いたことがなかった。
「あーあ、酒くさっ」
夜の街を早足に歩く。空は雲に覆われて月明かりはなく、頼りない街灯が煌々と街を照らす。意味もなく、走り出したくなる。
「あれは……」
そんな中、1人の少女を見つけた。白い髪に赤い瞳。ソラちゃんだ。あの子はまた記憶探しで、街を歩いているのだろう。ちょっと声でもかけようか。そう思った瞬間、ふと気がつく。
雰囲気が、いつもと違う。それに背中が薄く光って、そこから翼が……。
「──貴様、忘れたい記憶があるようだな」
と、彼女は凍えるような冷たい瞳で、そう言った。
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