第25話 貴方とあたし
ソラちゃんを見つけた翌日の日曜日。俺と白山さんはソラちゃんを連れ、3人で街を散策した。ソラちゃんは『そんなことをしている暇はない』とか何とか言っていたが、これからしばらく生活するにはいろいろ必要だろうし、白山さんが強引だったのもあり、ちゃんと付き合ってくれた。
「お、あそこでアイスが売っている。ちょっと買ってくれ。頼む」
などと、ソラちゃんも結構、楽しんでいるようだった。そんなソラちゃんのお陰か、半年間もまともに話していなかった白山さんと気まずくなることもなく、楽しい時間を過ごすことができた。
そして、ソラちゃんの記憶探しに付き合い夜の街をあてもなくブラブラした後。ソラちゃんを家に送って、白山さんの家にやって来た。
「映画、観たいって言ってたけど、映画館じゃなくて家なんだな」
久しぶりやってきた白山さんの部屋を軽く見渡しながら、そう呟く。
「うん。本当は映画館で観たいのあったんだけど、ソラちゃんの記憶探しに付き合ってたら、予想以上に遅くなっちゃったし。この時間、もうやってないんだよねー」
「だったら別に、明日とか来週とかでもよかったんじゃないの?」
「ハルはあたしとこうやって、2人で映画見るの嫌?」
「嫌じゃないけど……」
「だったらいいじゃん」
部屋の電気を消して、小さなソファに座る白山さん。彼女は昔と変わらない笑顔で、猫でも誘うかのようにぽんぽんと空いたスペースを叩く。
「まあ、いいか」
俺は小さく息を吐いて、そんな白山さんの隣に座る。肩と肩が触れ合う。香水なのか、トリートメントなのか。石鹸のようないい香りが漂う。
「そういや、おじさんとおばさんは?」
「今日は帰って来ないよ。じゃなきゃ、いくらハルでもこんな時間に連れて来れないよ」
「……それはまあ、確かに。でも日曜なのに仕事なの?」
「うち2人とも研究職だしね、休みとかあんまり関係ないの。……それより、始まるから話はあと」
家での映画なんだし、別に話しながら観てもいいんじゃないか? と思うけど、白山さんは用意したポップコーンを食べながら、食い入るように画面を見つめる。
だから俺もそれに倣って、キャラメル味のポップコーンを食べながら、画面を観る。
「…………」
けどあまり、集中できない。初めて観る恋愛ものの映画。白山さんはサブスクでたまたま見つけて気になってたと言っていたが、正直……あんまり面白いとは思えない。
……いや、それとも単に別のことに意識が向いているだけなのか。
肩と肩が触れ合って、脚と脚がぶつかる。漂ういい香り。隣で聴こえる息づかい。久しぶりに来たのに、変わってない白山さんの部屋。
それくらいでドキドキするほど、俺もうぶではない。けど、何故か妙に意識してしまうのは、どうしてだろう?
「あ」
ポップコーンを取ろうとした手と手が触れ合う。
「……ふふっ。はい、ハル。あーん」
小さく笑って、ポップコーンを差し出す白山さん。俺は黙って、それを食べる。……甘い。
「……なんだよ、口開けてこっち見て」
「あたしにも、食べさせて欲しいなって」
「映画観ろよ」
「これ、あんまり面白くない」
「なんだ、俺だけじゃなかったのか」
「だから、ほら。食べさせて」
「……分かったよ」
ポップコーンを掴んで、白山さんの口に運ぶ。
「ちょっ、白山さん?」
白山さんはそんな俺の腕を優しく掴んで、指先に舌を這わせる。……くすぐったい。
「ハルの指、美味しい」
「ふざけてる?」
「……ごめん。ちょっと浮かれてた」
優しくティッシュで指を拭いてくれる白山さん。薄暗い部屋でも分かるくらい、顔が赤い。
「別にいいけどさ、これくらい。でも……俺たち付き合ってる訳じゃないんだし、あんまりやり過ぎない方がいいだろ」
「それを言うなら、ハルだってそうだよ。……あたし、昨日言ったでしょ? ハルのことまだ好きだって。なのにハル、あたしの部屋に無防備で入って来てさ、あたしに変なことされるとか思わなかったの?」
「しないでしょ、白山さんは」
「今したじゃん」
「確かに……」
指を舐めるくらいなら、おふざけの範囲と言えばおふざけの範囲だ。……でも本当に俺は何の考えもなしに、白山さんの部屋に来たのだろうか? 本当に何の期待もなく、俺はここにいるのだろうか?
「あたしさ、この前……告白されたんだよね」
俺の肩に頭を預けて、白山さんはポツリと呟く。
「もちろん、振ったんだよ? あたしまだハルのことが好きだし、貴方とは付き合えないって」
「相変わらずモテるね、白山さんは」
「あたしより、ハルの方がモテるよ。……自分で思ってるより、ハルのこと見てる子、多いよ?」
「そんなことはないと思うけど……」
「でも、あたしのところにハルのこと紹介してーって言ってくる子、未だにいるんだよ? ハルのところにさ、一度でもあたしのこと紹介してーって、誰か来たことある?」
「…………」
確かにそんなことは一度もない。けどそれは、俺と白山さんの性格の違いだろう。或いは単に、男女の違いかもしれない。
「あたしさ、その時……思ったんだよね。別れて半年経つけどさ、あたしはまだハルのことが好き。でも、1年経ったらどうなるのかな? 10年経っても、まだ好きって言えるのかな? いつかあたしもハルのことを忘れて、他の人のことを好きになる日が来るのかなって」
「……そりゃ、くるだろ。人を好きになるっていうのは、そういうことだろ」
永遠に続く想いだけが、真実じゃない。今好きって感情が嘘ではないように、明日には忘れるって機能も嘘じゃない。
「でも、それは凄く寂しいなって。ハルに忘れられるのも寂しいけどさ、ハルを忘れちゃうのはもっと寂しい」
「でも、いつまでも過去を引きずってたら、辛いだけだろ?」
「ハルはどうなの? 今、辛くない? こうやってあたしが側にいて、辛くなったりしない?」
「辛くはないよ。……でも、白山さんが他の男にこうやって甘えてるのを想像したら、やっぱりちょっとだけ……寂しいかな」
けど、それくらいの寂しさなら、俺はすぐに慣れて忘れてしまう。当たり前のことだと、簡単に流してしまうだろう。また何か適当に新しいことを始めて、飽きたらすぐに辞める。
そして俺はまた、退屈だなっと嘯くんだ。
「あたしもやっぱり、ハルが他の女の子に優しくしてるのは見たくない。昨日、ハルの頬を叩いたのも、半分くらいソラちゃんへの嫉妬が入ってたかも」
「昨日も言ったけど、別にソラちゃんをそういう風には見てないよ」
「じゃあ、あたしのことは? 今のあたしのことは、どういう風に見てるの?」
白山さんの柔らかな身体が押し付けられる。大きい胸。すらりとした脚。首にかかる熱い吐息。ドキドキと高鳴る白山さんの鼓動が、伝わってくる。
「……可愛いなって、思うよ。少し会わない間に美人になったなって」
「褒めてくれるのは嬉しいけど、そうじゃない。そんなあたしを、ハルはどう思ってるの?」
「…………」
別に何かを期待して、この部屋に来た訳じゃない。未練がないと言えば嘘になるが、それでもまたやり直せるなんて都合のいいことは思ってない。
いくら白山さんが好きだと言ってくれたとしても、一度壊れたものが上手くいくとは思えない。反省なんて、やっぱりただの幻想だ。
だから俺は、確認しようと思った。今の白山さんとの関係を確認して。友達っていう分かりやすいレッテルを貼って。それで終わりにするつもりだった。その程度で充分だと思ってた。
でも、ドキドキする。
これが何なのか、俺にはよく分からない。けど、ただただ心臓が脈打って。うるさいくらいに、脈打って。自分が何をしようとしているのか、分からなくなる。
「俺、白山さんを抱きたい。もっと側で、白山さんを感じたい」
白山さんの背中に手を回す。こんなことになったのは、きっとこの映画がつまらないせいだ。そうに決まってる。
「……本気で言ってるの?」
「白山さんは本気じゃないの?」
白山さんを真っ直ぐに見つめる。白山さんも、真っ直ぐに俺を見つめる。映画の音が、やけに遠くに感じる。
「……いいよ、分かった。あたしも、もっとハルに触れたい。ハルに……触れて欲しい」
唇と唇が重なる。半年の隙間を埋めるように、俺たちは互いを求め合う。
それが、俺が忘れていた記憶。特別なことなんて何もなく、ただ小さな渦に飲み込まれるように、俺と白山さんは関係を持った。
だから問題があるとするなら、きっとその翌日なのだろう。
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