第24話 元カノと想い



 話があると言う白山さんを連れ、リビングに移動する。切無さんは既に自室に戻っているので、この部屋には2人だけ。


「どうしてあの子に余計な世話を焼くの?」


 ソファに座る前に、白山さんはそう言った。


「余計な世話……まあ確かにそうだな。見ず知らずの子に、余計なお節介。ほっとけなかったからで、済まされることじゃない。それも自分の家じゃなくて、他人の家に押し付けてるんだから」


「分かってるなら、どうしてそんな真似するのよ」


「あの子……見覚えがあるっていうか、なんか引っかかるんだよ。知ってるのに思い出せないっていうか……昔どこかで、会ったような気がするんだ」


「それ、本気で言ってる?」


「本気だよ。それにあの子は……」


 あの子は普通じゃないという言葉を、済んでのところで飲み込む。介抱する為に触れた背中は、燃えるように熱かった。人間の体温はあそこまで上がったりしない。普通じゃないものを、普通に扱っても意味はない。


 彼女はきっと、俺がずっと探していたものだ。俺の退屈を壊してくれる、異常。それが彼女だ。


「痛っ」


 そこで不意に、頬を叩かれる。思っていたよりもずっと、白山さんは怒っているようだ。


「あんた、自分のことしか考えてないでしょ?」


「否定はできない。でも別に、強制はしてない。誘いはしたけど、彼女が本気で拒絶するなら、引き止めたりはしない」


「犬猫を拾うのとは訳が違うのよ?」


「彼女の記憶が戻るまで、少しだけ力を貸すだけだ。……切無さんには、ちゃんとお礼もする」


「……変わってないね、ハルは」


 と、白山さんは言った。そしてそのまま、疲れたようにソファに座る。


「普通にさ、あの子が困ってるみたいだから、放っておけないって言えばいいじゃん」


「そんな善人でもないよ、俺」


「どうせ、いろいろカッコつけたこと考えてるんだろうけど、ハルは善人だよ。自分が思っているより、ずっとね」


「…………」


 そういう言い方をされると、言葉に詰まる。俺は誤魔化すように、窓の外に視線を逸らす。欠けた月が、街を照らしている。


「……こうして話すの、久しぶりだよね。それこそ、半年ぶりくらいかしら」


「ま、別れたのがそれくらいだし、そんなもんか。……もう半年も経つんだな」


「まだ半年だよ? ……あたしは、長かった。あんたとあたしじゃ、時間の流れる速度が違う」


「俺は、そうは思わないけどね」


「…………」


「…………」


 そこで沈黙。別れた元カノとどんな話をすればいいのか、俺にはよく分からない。そもそも別れ方が別れ方だったので、お互い気を遣ってしまう。


「そういや白山さん、バレーはどうなの?」


「もう辞めた。頑張る理由もなくなったしね」


「……ごめん」


「別に、あんたのせいじゃないわ」


「それでもだよ」


 白山さんはバレー部の期待のエースだった。そんな彼女を疎む人間はやっぱりいて。そいつは白山さんに横恋慕していた人間と一緒に、どうしようもない悪事を企てた。それを知った俺は、そいつらを脅して追い込んで……傷つけた。


 1人は転校して、1人は不登校になった。……彼女たちがやろうとしたことを考えれば、それでもぬるいくらいだ。もし俺が気づかなければ、白山さんは一生ものの傷を負っていたかもしれない。


 『そんなこと、頼んだわけじゃない! ハルには人の気持ちが、分からないんだよ!』


 ……しかし何事も、上手くはいかない。価値観や考え方は、皆、違うんだ。俺は自分が間違ったことをしたとは思わないが、それでも誰もがそう思ってくれる訳じゃない。


「帰るなら送るよ」


 立ち上がって軽く伸びをする白山さんに、そう声をかける。


「別に……ううん。じゃあ、お願いしようかな」


 切無さんに声をかけてから、エレベーターに乗ってマンションの外へ。夏間近の空気が肌に絡み付いて、蒸し暑い。


「知ってる? 豊原とよはらさん、先週から学校に来てるんだよ」


「え? そうなの」


「ちょっと呼び出されて、いろいろ話したんだ」


「大丈夫だったのか?」


 豊原さんとは、1つ上のバレー部の先輩。白山さんに嫌がらせ……では済まないことをしようとした、張本人。


「大丈夫だったよ。その……あの人がやろうとしたことを聞かされた時は、ビックリしたけど……。でもあの人、凄く反省してるみたいだった」


「……反省、ね。俺はあんまり、そういうのは信じてないけどな。腐ったような真似をする奴は、性根が腐ってるんだよ。一生、治らない。反省なんて、悪人に都合がいい幻想だ」


「あたしはそうは思わない。……豊原さん、別人みたいになってた。あの人はあたしにとって、ずっと憧れの先輩だった。あの人に憧れて、あたしはバレーを始めたんだから」


 そんな先輩が歳下なのにぐんぐん成長する白山さんに嫉妬して、馬鹿なことを考えた。人というのは、分からない。


「あの人、多分これから凄く苦労する。学校をずっと休んでたってのもあるけど、人間不信みたいになっちゃってたから」


「それは俺のせいだな」


「でもあの人、ハルにも謝っておいてって言ってたよ? 自分で会うのはまだ怖いけど、それでもハルにも辛いことをさせちゃったって」


「…………」


 確かにあの女が余計なことを考えなければ、俺も余計なことをせずに済んだ。白山さんと、別れずに済んだかもしれない。でもそれはもう過去のこと。今さら謝られても、仕方ない。


「ごめんね、ハル」


「なんで白山さんが謝るんだよ」


「あたし、ハルの気持ち考えてなかった。どうしてハルが、あそこまで……酷いことをしたのか。ハルの気持ちを考えてなかった。ハルはあたしのことを大切に思ってくれてたから、あんなに怒ってくれたんだよね?」


「……もう忘れたよ」


 夜の街を歩く。白山さんの家までまだ距離がある。吹きつける風が、妙に鬱陶しい。


「あの子……ソラちゃんだっけ? あたしも偶に、様子を見に行くよ。記憶ないといろいろ不便だろうし、あんたやあの切無って人だけじゃ、気が回らないこともあるでしょ?」


「それは助かるけど……いいの?」


「いいよ。ハル、あの子のこと気になるんでしょ?」


「気になりはするけど、白山さんには関係なだろ?」


「あるよ、関係」


「なんだよ、関係って」


「あたしまだ、ハルのこと好きだもん。だからもっと、頼って欲しい。それじゃ、理由にならない?」


「────」


 絶句。言葉がない。白山さんとはもう別れた。半年もまともに話していない。きっと白山さんはもう、俺のことなんて忘れている。そう思っていたのに、彼女は少しも照れることなくそんな言葉を口にした。


「……それって、告白?」


「別に。ハルがあたしのことを、また好きになってくれるとは思ってない。でも、いいじゃん。今は2人きりだし、嘘つく理由なんてないんだから」


 晴れやかに笑う。なんていうか……敵わないなって、思ってしまう。きっとこの子のこういうところが、俺は好きだったのだろう。


「じゃあ、お願いするよ。暇な時だけでいいから、あの子を気にかけてあげて欲しい」


「分かった。……一応、確認するけど、ハルってあの子のこと好きだったりするの?」


「……それはないと思うよ。まあ美人だとは思うけど、まだ会ったばかりだし」


「会ったばかりなのに、助けたいって思うんでしょ?」


「だから、そんな綺麗な感情じゃないって」


 そんな風に単純に生きられたらいいなとは思うけど、俺はつまらない人間だから、考えてしまうのはもっと別のこと。


「じゃあ明日、あたしとデートしようよ。日曜だし、どうせハル暇でしょ?」


「いやまあ、暇といえば暇だけど……」


「じゃあ、ソラちゃん連れて買い物とか行って、どっかでご飯食べようよ。それでソラちゃん送ったら、2人で映画でも観よ?」


「いいけど……いいの? 俺たちもう──」


「言ったでしょ? あたしはまだ、あんたが好きなの。……それともあんたは、そういうの嫌?」


「……分かった。じゃあいいよ、約束な」


 結局、未練があったのは俺も同じなのだろう。そうやって彼女の誘いに乗って、そして俺は翌日……白山さんに手を出すことになる。


「楽しみだね?」


 と、白山さんは笑った。


「そうだな」


 と、俺も笑った。


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