第23話 過去と記憶



「……どうなってんだよ、ほんと」


 唖然と呟く。ついさっきまで普通に会話していたソラちゃんの背中から、白い翼が生える。それは服を突き破って広がるとかそんな悍ましいものではなく、もっと神々しくて神秘的な何か。


 それこそまるで実態がないホログラムか、或いは魔法のように、ソラちゃんの背中から白い翼が生える。


「……っ」


 そしてこちらを見るその目は、昨日と同じ。あの血を固めた作ったような、恐ろしい真っ赤な目。身体中に怖気が走るような恐怖に、俺は一歩、後ずさる。


「なんだ、また貴様か」


 と、彼女は言った。さっきまでと同じ声。同じ顔。なのに雰囲気が、全く違う。


「……その、ソラちゃんだよね?」


「そうか。こいつはまだ、そんな遊びをしているのか。いい加減、懲りろというのに」


 冷めた目で、吐き捨てるように呟く。


「それに貴様も、こんな奴に構う必要などない。そもそも、そうやって立っているだけでも苦しいのだろう?」


「それは……」


「気を遣うな。何せ私とお前たちは、本質的に違うイキモノなのだから」


「……っ」


 それは確かにその通りだ。今こうして普通に会話をしているだけで、意識が霞む。少し気を抜けば、また昨日のように倒れてしまいそうだ。心よりもっと深いところにある魂が、逃げろと叫ぶ。


 ……しかしそれでも、昨日と同じじゃ意味がない。


「君に、聞きたいことがあるんだ」


「……なるほどな。こいつが拘るだけはあるということか。しかしどちらにせよ、貴様の記憶など、私は知らん」


「でも君にあった昨日、1日だけだけど、ちゃんと思い出せたんだ。忘れた1週間の記憶を」


「それは貴様が、そう望んだからだ。私は本質的に人の記憶を蓄える者だが、人の記憶を手放すことはできん。だから……そうだな。貴様は奪い取ったんだ。私から記憶を。……今と、同じように」


「……は? 君は、何を……」


 奪い取るとはどういう意味だ? そう思うが、霞んだ意識の中で、確かに何かが見える。泣いている少女。俺は、忘れさせてあげたいと思った。……けど、何を? ……違う、これは。


「……っ!」


「余計なことは、思い出さない方がいい。これにとっても貴様にとっても、全てを思い出すことが幸せとは限らない」


「でも、俺は……」


「傷つく者がいると、言っただろ? 貴様やこれの記憶がないのは、他とは訳が違う。……そう望んだ者がいるからだ」


「望んだ……誰が、そんな……」


 けど、何かが引っかかる。頭が痛い。頭の奥底に眠る何かが疼く。何か、思い出せそうな……。



 ──そんなに辛いなら、全部、忘れちゃえばいいんだよ。



 誰かの声。それがきっかけで、俺は彼女を……。


「……あ」


 そこで意識が落ちる。昨日と同じように、意識が闇へと沈んでいく。そして俺は思い出す。忘れてしまった、1週間の出来事を。



 ◇



 その日俺は、噂の天使を探していた。ただの退屈しのぎ。……いや、違う。退屈しのぎは退屈しのぎでも、何となく気になったんだ。懐かしいと思った。はっきりと言葉にはできないが、惹かれるものがあった。


 天使。嫌なことを忘れさせてくれる天使。その噂は、昔どこかで聞いたような気がした。


 だから俺はその日は朝から意味もなく、街をぶらついていた。あてもなく、ダラダラと。適当に見つけたカフェで涼んだり、ラーメン屋に寄ったりして。普通の休日を楽しむように、俺は天使を探していた。



 そして、見つけた。



 陽が沈んでしばらく。人通りも減ってきた時間。小さな空き地でうずくまる、白い髪の少女を。


「ちょっ、大丈夫ですか!」


 思わず駆け寄った。天使かどうかなんて頭になかった。ただ、目の前で倒れている人を放っておけなくて、俺は走った。


「……お腹、減った……」


 駆け寄った俺に、少女はそんなことを言ったんだ。だから俺は彼女に、妹へのお土産にと買っていたアイスを食べさせ、彼女は嘘みたいに元気になった……ように見えた。


 それこそまるで、人間じゃないみたいに。


「世話になった、礼を言う」


「別にこれくらいいいけど……。でも、本当に大丈夫なの? 病院とか、行ったほうがいいんじゃない?」


「その必要はない。……それより私には、探さなければならないものがある」


「いや、探すって何を? そんな調子じゃまた倒れることになるよ?」


「問題ない。私に構うな」


「でも──」


「私がどうなろうと、貴様には関係ないだろ」


 そう言って立ち去ろうとする少女。……関係ないと言われたら、確かにそうだ。昨日、公園で鷹宮さんに言われたのと、同じ言葉。俺は鷹宮さんのその言葉に『確かに』と答えて、その場を立ち去った。


「いやでも、流石にほっとけないよ」


 そう言ったのは、どうしてだろう? 彼女が行き倒れでいたからなのか。彼女は吹けば飛んで行ってしまいそうな、それこそタンポポの綿のように、儚く見えたからだろうか?


 理由は分からない。けど、俺は彼女を止めた。


「なんだ、貴様。……ああ、貴様は私を抱きたいんだな? 人間とは、そういう生き物だったな」


「なんだよそれ。そんなに簡単に一括りできるなら、人生もっと楽しいよ。少なくとも、退屈しのぎに天使なんて探さなくてもいい」


「天使? 貴様は何を言っているんだ。……いいから、私に構うな。私は忙しいんだ」


 そうやって、白い少女と少し揉めた。普通に考えて、夜の街中で何をやってるんだと思う。けどその時はつい、ムキになってしまった。……俺にしては珍しい。理由も分からず女の子に構うなんて、もしかしたら初めてかもしれない。


「ちょっと、その子嫌がってるじゃん。辞めなよ」


 そして、そんな状況に現れたのが白山さん。


「いや、違うんです。これはそういう変なのじゃなくて、俺は……って、あ」


「……え、ハル⁈ あんた、何やってんのよ!」


 それで俺に気がついたのか、彼女……白山さんは顔を真っ赤にして俺に掴みかかった。俺はそんな白山さんに何とか事情を説明して、行くところがなく記憶もないという少女をどうするかと考えて。とりあえず、切無さんの所に連れて行くことにした。


 警察……も、考えたが、彼女はそれを拒絶したし、身寄りがなく記憶もない少女を警察がどう扱うのかも分からない。……まあ、そんな悪いことにはならないだろうけど、今みたいに自由に街を歩き回れるとは限らない。


 つーかこんな時間に出歩いてると、普通に俺たちでも補導されるかもしれない。それもまあ、繁華街に行かなきゃ問題ないんだけど。


「私はソラだ。それが名前だ」


 と、彼女は言った。そしてそのまま俺と白山さんは、その少女……ソラちゃんを切無さんのところに連れて行った。変なことには慣れてる切無さんは、『別にいいぞ』と適当な感じで答えた。……女の子の前でカッコつけてるな、というのが俺には分かったが、それは言わないでおいた。


 切無さんには、今度なにかお礼をしよう。そう心に決めて、そのまま倒れるように眠ってしまったソラちゃんを置いて、部屋を出た。



 そこまでは、ソラちゃんから聞いた通り。そしてそこからが、大事なことだった。



「話があるんだけど、いいよね? ハル」


 と、白山さんは言った。俺はそれに


「分かった」


 と、だけ答えた。……思えばこの時から、白山さんの様子がおかしかった。


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