第30話 名前と家族
「あ、美味いこれ」
鷹宮さんが作ってくれたおにぎりは、思わずそんな言葉が溢れるくらい美味しい。
「そうですか」
鷹宮さんは俺の方には視線を向けず、静かにおにぎりを口に運ぶ。……風呂上がりのラフな格好でおにぎりを頬張る鷹宮さんは、いつものクールな印象と違ってなんか可愛い。ハムスターみたいだ。
「何ですか? じろじろ見て」
「あー、いや。鷹宮さんって、料理うまいんだね」
「おにぎりなんて、誰が作っても同じですよ」
「いやいや、そんなことないよ。形も綺麗だし、塩加減も絶妙。俺が作ってもこうはならないよ」
「……そうですか。気に入って頂けたのなら、よかったです」
照れたように、視線を下げる鷹宮さん。褒められると、鷹宮さんでも照れるのか。
「料理はいつも自分で作ってるの?」
「そうですね。そもそも、作ってくれる人が誰もいませんから」
「……さっきもちょっと思ったんだけど、鷹宮さんってこの広い家に1人で住んでるの?」
「どうでしょうね。……あの人たちにとって、ここは帰ってくる為の家ではないんです。私にとっても、こんな場所は……」
硬いテーブルをただ睨む鷹宮さん。その表情から察するに、やっぱり何か家庭の事情があるのだろう。……そして多分、あまり深入りしていい内容ではなさそうだ。
「雨、止まないな。この様子だと、明日は学校休みかな」
「さっき天気予報見ましたけど、朝には上がってるみたいですよ」
「そうなんだ、それは残念。……でも、朝まで止まないのは面倒だな」
時刻は既に夜の11時過ぎ。流石に朝までお邪魔する訳にもいかないから、服が乾いたら傘を借りて帰ろう。
「鷹宮さんって、優しいよね」
「なんですか、急に……」
「いや、公園で寝てた俺に声かけてくれてさ。こうやって雨宿りさせてくれて、夜食まで作ってくれた。優しくないと、そこまでできないよ」
「普通のことじゃないですか、それくらい」
「いやいや、普通はそこまでしないよ」
「じゃあ貴方は、私が雨の中1人でいたらそのまま無視して帰るんですか?」
「そう言われると……まあ、放っておくことはできないけど……」
「だったら普通のことなんですよ」
おにぎりを飲み込んでお茶を飲む鷹宮さん。この子がどういう子なのか、やっぱりまだ分からない。
「でも、女の子が大して親しくもない男を1人で住んでる家にあげるのは、危ないと思うよ」
「貴方は私を襲うんですか?」
「俺はそんなことしないよ」
「だったら、問題ないじゃないですか」
「……まあ、そうだな」
人には人の価値観がある。鷹宮さんの考えは分からないが、むやみやたらに否定しても意味はない。気をつけよう。
「じゃあ鷹宮さん。なんかして欲しいこととかない? 俺、こう見えて器用だから、大抵のことはそれなりにできるぜ」
「なんですか、急に……」
「いや、いろいろよくしてもらってるから、何か恩返ししとこうかなーっと」
「必要ないです」
「ほんとに?」
「いりません」
「でも本当は?」
「しつこいですよ」
ちょっと怒ったような顔で、鷹宮さんがこちらを見る。目が合う。思えばこうやってちゃんと目が合うのは、初めてかもしれない。
「…………」
冷たい目をした子だな、とずっと思っていた。けど、こうして真正面から見ると、思っていたよりずっと優しい目をしている。
「……なんですか、またじろじろ見て」
「あ、ごめん。綺麗だなって」
「……! な、なんですか、それは……。もしかして、口説いてるんですか?」
「あーいや、そうじゃなくて……なんかごめん。ちょっと……油断してた」
「なんですか、油断って」
鷹宮さんは小さく笑う。やっぱり、思っていたよりもずっと優しい子だ。分かりにくいけど表情も豊かで、冗談を言ったら笑ってくれる。なのにどうして、学校ではあんな風に人を拒絶するのだろう? ……いや、それは別に関係ないか。
誰だって、本心で他人と関われる訳じゃない。
「……貴方、もしかして……」
「ん? なに?」
「いえ、その……貴方の名前ってなんでしたっけ?」
「……今さら? 確か、教室で自己紹介したと思うけど……」
「すみません、聞いてなかったです」
「まあいいけど。でも、名前も知らない奴を家にあげたのか」
さっきから『貴方』とばかり呼ばれていたが、名前すら覚えていないとは思わなかった。
「神坂 春人。それが俺の名前」
「……神坂 春人……ハルくん」
「いきなりだね、ハルくんって……。まあ、別にいいけど」
「あ、いえ、違います。すみません。その、昔の……友達をそう呼んでいたので、つい」
顔を真っ赤にして慌てる鷹宮さん。意外と可愛いところがある。
「では、神坂くんと呼ばせて頂きますね」
「別に俺は、ハルくんでもいいよ」
「次からかったら、その舌を引っこ抜いてトカゲの餌にしますよ」
「……怖いことを言うなよ。ごめんなさい」
頭を下げる。雨はまだ、降り続けている。でもそのお陰で、少しだけ鷹宮さんと仲良くなれたような気がする。もっとこの子の笑うところが見たいなって、そんなことを思ってしまう。
けれど、そんな楽しい時間を壊すように、ガチャリと玄関の扉が開いた音が響いた。
「……っ!」
ビクッと、鷹宮さんの身体が震える。ゆっくりと姿を現したのは、1人の女性。鷹宮さんの……お母さんだろうか? 彼女は家に帰って来たのにただいまも言わず、こちらをチラリと一瞥し、そのまま部屋から出て行ってしまう。挨拶する暇もなかった。
「今のって、その……鷹宮さんのお母さん?」
「……そうです」
「だったらやっぱり、挨拶とかしたほうがいいよね? こうやってお世話になってるんだし」
「必要ないです。あの人は……あの人たちは、私にもこの家にも興味ないですから」
「…………」
「…………」
さっきまでとは比較にならない重い沈黙。雨音がやけに大きく聴こえる。……さっきの女性のあの目。実の娘がこうして夜に男を連れ込んでいるのに、まるでゴミでも見るかのような、冷たい無関心な表情。
あれが本当に、母親なのだろうか? ……いや、親子の関係なんて人それぞれだけど、それであれは違う気がする。
そんなことを考えていると、また足音。今度はこのリビングには寄らず、そのまま玄関の方へと向かっていく。俺は思わず部屋を出て、その女性に声をかける。
「夜分遅くにお邪魔してすみません。僕は鷹宮さんのクラスメイトの──」
「どうでもいい」
「……え?」
女性は本当に冷たい声で、俺の言葉を遮る。
「急な雨に降られたから、着替えと傘を取りに寄っただけ。あの子が男を連れ込もうが、何をしようが興味はない。生活費も交際費も必要以上に渡してる。それ以外で、あの子に関わる気はない」
……なるほど、とその言葉で思った。そうか、これが鷹宮さんのあの性格の原因なのか、と。無論、これだけのやりとりで、詳しい家庭の事情なんて分からない。けど、この声と目を見れば、この人が鷹宮さんのことをどう思っているかは伝わる。
話すことなんて何もないと言うように、女性はそのまま玄関からで行く。どんな言葉をかけても、その背を引き止めることはできないだろう。だから俺は、何も言わず黙ってその背を見送った。
「…………」
雨音がただ響く。うるさいくらいに響き続ける。それでも、そんな雨が降っていても、さっきの女性は逃げるようにこの家から出て行った。そこまで、この家に居たくない理由があるのだろう。
リビングに戻る。さっきまでと何も変わらない姿勢で、静かに窓の外を見つめる鷹宮さん。彼女はこちらには視線を向けず、静かに口を開く。
「……ごめんなさい」
それに俺は、なんの言葉も返すことができなかった。
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