第31話 痛みと笑顔



「ごめんなさい」


 と、鷹宮さんは言った。雨の音が止まない。世界を遠くに感じる。俺は何も言えず、ただそんな雨を眺めることしかできない。



 お母さんと喧嘩でもしてるの?



 なんてことを言うほど、俺も空気が読めない訳じゃない。さっきの女性のあの態度は、どう見てもそんなレベルではなかった。……あの人はきっと、自分の娘に微塵の興味もないのだろう。そういう目をしていた。


「親が子供を無条件に愛するなんて、幻想なんですよ」


 鷹宮さんは立ち上がり、空になった俺のコップにお茶を注いでくれる。


「昔からずっと、ああなの?」


 俺はありがとうと言って、一口だけお茶を口に運ぶ。


「……そうですね。あの人たちは昔から……何も変わってない」


「あの人たちは、てことは……」


「親は無条件に子供を愛せなくても、大抵の子供は……無条件に親に愛されたいと思うものなんです」


「…………」


「だから私は他人には期待してないんです。……無論、自分にも」


 その言葉で、鷹宮さんがどんな思いをしてきたのか想像がついた。この子は多分、ずっと親に愛されたいと願ってきた。その為にいろんなことを頑張って、その度に裏切られてきたのだろう。


 どうしてか、胸が無性に痛む。その意味が、今の俺にはよく分からない。ただ、鷹宮さんのこの全てを諦めたような悲しげな顔を見ていられなくて、口が勝手に動く。


「なぁ、鷹宮さん。鷹宮さんってゲームとかする?」


「なんですか? 急に……」


「いや、ちょっと気になって」


「私はゲームとかはあまりしません。スマホで時間潰しにするくらいです」


「じゃあ、なんかサブスクとか入ってる? 映画とかアニメとか観ようぜ? どうせこんな雨だし、服乾くまでまだ時間かかるだろ?」


 俺がお茶を一気に飲み干して立ち上がると、鷹宮さんは軽く息を吐く。


「図々しいですね。貴方は私の友達ですか?」


「いや、そうじゃないけど。……でも、そうなれたらいいなっとは思ってる」


「……私は友達なんて作りません。他人に期待するのも他人に期待されるのも、疲れますから」


「じゃあ今は単なる図々しい奴でいいから、なんか一緒に観ようぜ? 今度、お礼に何かご馳走するからさ」


「…………」


 鷹宮さんは逡巡するように目を瞑る。或いは少し、わざとらしかったかもしれない。強引すぎて、引かれてしまったかもしれない。でも多少強引でも、この子に笑って欲しいと思った。


 雨音を聴きながらそんなことを考えていると、鷹宮さんは大きな目を開き澄んだ声で言った。


「ちょうど、観たいアニメがあったんです。1人で観るのも退屈だから、少し付き合ってもらえますか?」


 鷹宮さんが俺を見る。頬が少しだけ赤くなっている。……やっぱりこの子は、優しい子だ。


「なに笑ってるですか、テレビはそっちですよ」


「ああ、うん。分かってる」


「あ、ついでにそこの棚からクッキー缶を取って頂けませんか?」


「あー、これ?」


「違います。その奥です」


「あ、こっちか。ごめんごめん」


 棚から出したクッキー缶を、鷹宮さんに手渡す。鷹宮さんはその缶を受け取って、小さく笑った。


「ありがとう」


「────」


 それはなんだか胸が痛むような不意打ちで、俺は思わず視線を逸らす。雨はまだ、止みそうもない。


 そしてその後2人で、アニメを観た。俺はアニメは普段あんまり観ないんだけど……観ないからこそ熱中してしまい、2人で時間を忘れて没頭した。


 気づけば雨は止んでいて、夜の帷は上がって眩しい朝日が街を照らす。俺は徹夜明けの響くような眠気を飲み込むように、鷹宮さんが淹れてくれた紅茶を口に運ぶ。


「……結局、泊まっちゃたな」


 勢いで、知り合ったばかりの女の子の家にお泊まりしてしまった。まあ、やったことと言えばただ食い入るようにアニメを観ていただけなんだけど。


「鷹宮さん、大丈夫? ごめんね、こんな時間まで付き合わせちゃって」


「いえ、私も楽しんでいたので構いません。ただ……」


 そこで鷹宮さんは口元を隠しながら、大きな欠伸をする。


「眠いです。このまま学校に行くのは、少ししんどいですね」


「じゃあ今日は学校サボって、寝たいだけ寝てそのあとどっか遊びに行こうか?」


 なんて冗談を言いながら、軽く伸びをする。徹夜明けで頭は重いが、鷹宮さんも少しは笑ってくれたのでよかった。ただアニメを観ただけだけど、とても楽しい時間だった。


 後はこのままさっさと着替えて家に帰って、シャワーを浴びて学校に行こう。そんなことを考えていると、鷹宮さんは言った。


「いいですね。じゃあ今日はサボっちゃいましょうか」


「……えーっと、冗談?」


「私は本気ですよ。それとも貴方は、私に嘘をついたんですか?」


「いやいや、嘘ってわけじゃないけど……いいの? 俺はサボるのなんていつものことだし別にいいけど、鷹宮さんは転校してきたばかりでしょ? 授業とか大丈夫なの?」


「勉強は、人並み以上にできるので問題ありません」


「……まあ、それなら問題ないのかな?」


 いや、ないことはないと思うんだけど、でもまあ……いいか。徹夜明けの変なテンションなだけかもしれないけど、鷹宮さん楽しそうだし。その笑顔を曇らすような真似はしたくない。


「じゃあ一回、家帰って寝てくるかな」


「別にうちで寝てもいいですよ? そのソファ、ベッドにもなるやつなので寝心地は悪くないですよ」


「いいの? 俺がここで泊まっても」


「もう泊まったじゃないですか」


「……まあ確かに」


 正直、そう言ってもらえるとありがたい。昨日、公園で眠っていたせいなのか、頭がガンガンするくらい眠い。……そういえば、思い出せない記憶のこともあったなーとか思うけど、今はそれより眠りたい。


「じゃあ、ここで寝させてもらってもいい?」


「構いませんよ。私は自分の部屋で眠ってますから、何かあったら呼んでください。……エッチなことはしちゃダメだよ? ハルくん」


「────」


 まるで別人のような、可愛い笑顔と言葉。徹夜明けでテンションで、おかしくなっているのか。それともあれが鷹宮さんの素なのか。分からないけど、無駄にドキッとしてしまった。


「……というか、やっぱり無防備だよな」


 一緒にアニメを観ている時も思っだが、あの子普通にこっちの身体に触れてきたり、下着が見えそうになったりしていて、注意するか迷った。今だって彼女はきっと部屋に鍵もかけず、無防備に眠っているのだろう。


「でも、ハルくん、か」


 昔、誰かにそんな風に呼ばれていた気がする。けれど、どれだけ頭を悩ませても思い出すことができず、俺の意識はそのまま闇へと沈んでいった。


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