第33話 偶然と記憶



「ハルくん、ハルくん」


 そんな声が聴こえて、ふと目を覚ます。


「あー、うん? ……いや、違う。そうか。ごめん、寝ちゃってた」


 大きな欠伸を飲み込んで、少し顔色がよくなったように見える鷹宮さんを見る。どうやら、鷹宮さんの部屋で一緒にアニメを観ながら、寝落ちしてしまったようだ。変な体勢で寝たせいか、身体が痛い。


「貴方が謝る必要はありません。その……約束通りずっと側に居てくれて、嬉しかったです」


「いいよ、それくらい大したことじゃない。それより鷹宮さん……少し顔色よくなったように見えるけど、どう? まだしんどい?」


「だいぶ、よくなったと思います。ハルくんが看病してくれたお陰です。……ありがとう」


「いいって、別に」


 あまりに嬉しそうに笑う鷹宮さんを見ていられなくて、窓の外に視線を逸らす。まだ空は暗い。


「喉乾いたからなんか飲みもの取ってくるけど、鷹宮さんは何が飲みたい?」


「では、オレンジジュースで」


「分かった。じゃあ、ちょっと取ってくる」


 軽く伸びをしてから、部屋を出る。冷房が効いていない部屋の外は暑い。思えばもう夏になるのか。


「というか、ナチュラルにハルくんって呼ばれてたな、俺」


 あまりに自然だったから、違和感を覚えなかった。もしかしたら鷹宮さん、寝ぼけてるのかもしれないな。なんてことを考えながら、ジュースを持って部屋に戻る。時刻は朝の5時前。凄く微妙な時間だ。


「…………」


 でもまあ、鷹宮さんは今日も学校を休んだ方がいいだろう。……それなら俺も、今日もサボってしまおう。ここで鷹宮さんを置いて1人で学校に行くのは、可哀想だ。彩ちゃんには怒られるだろうけど、まあ仕方ない。


「……? ぼーっとして、どうかしたんですか? ハルくん」


「いや、別に何も。……というか、それ。俺のことハルくんって呼んでるけど、もしかして寝ぼけてる?」


「…………」


 鷹宮さんは、何かを考えるように視線を下げる。もしかして、今さら気づいて恥ずかしくなったのだろうか? やっぱり、可愛いとこあるな。なんて考えていると、鷹宮さんは言った。


「……私、昔もこの街に住んでたんです。ハルくんっていうのは、その頃に知り合った友達の名前なんです」


「へぇー、そうなんだ。大切そうに呼んでたし、もしかして……鷹宮さんの初恋だったりするの?」


「……どうでしょう。あの頃の私が何を考えていたのか、今となっては分かりません。そもそもあの頃の私と今の私じゃ、全然性格が違いますからね」


「そうなんだ」


 でもまあ、みんなそんなもんだろう。小学生の頃からあんまり性格が変わってない俺みたいな奴の方が、少ない筈だ。


「あの公園。私と貴方が出会ったあの公園。あそこでよくハルくんと……そして、ソラちゃんと一緒に遊んでたんです」


「ソラ、ちゃん」


 ソラちゃん。ソラちゃん。ソラちゃん。その名前は、つい最近、聞いた気がする。どこかで確かに、聞いた覚えのある名前だ。でもどうしてか、思い出すことができない。


 何かが、引っかかる。白い髪の少女。俺はその少女を……。


「……ハルくん、私のことは忘れたのにソラちゃんのことは覚えてるんだ」


「いや、覚えてるも何も、俺はハルくんじゃないし……」


「ハルくんだよ。貴方がハルくんなんだよ」


「いや、俺は──」


「私にとってあの頃の思い出は、本当に本当に大切なものなの」


 俺の言葉を遮って、鷹宮さんは言葉を続ける。


「ずっと1人だった私は、あの頃の……楽しかったあの頃の思い出だけを支えに、今まで生きてきた。でも、ハルくんにとってはあの頃の思い出は数ある楽しい記憶の1つで……。だから、忘れちゃうのも仕方ない」


「本当に俺がその……ハルくんなのか?」


 今さらそんなことを言われても、実感が湧かない。というか、いくら頭を悩ませても鷹宮さんみたいな可愛い子と遊んだ記憶なんて、俺にはない。


「…………」


 けど、忘れていないと断言できるほど、記憶力に自信があるわけでもない。俺は勉強はできるけど、大事なことはよく忘れる。……それに思えば、鷹宮さんのことを放っておけないと思った理由。それは、彼女が昔の友達だったからなのかもしれない。


 ……いや、流石にそれは少し都合がいいような。


「私だって女の子なんだから、ただのクラスメイトを1人で住んでる家に上げたりしないよ。こうやって無防備で寝てる姿を見せたり、服を貸したりしない。それくらい、普通に考えれば気づいてくれると思ってた」


「いやまあ、ちょっと変わってるなーとは思ってたけど……」


「私は貴方がハルくんなんだって、確かめたかった。1人でいる私を見つけてくれたのが、いつも絶対にハルくんなんだって信じたかった」


「……本当に申し訳ないんだけど、俺は……鷹宮さんのこと思い出せない」


「それでもいいよ。こうやって側にいてくれるだけで、私は嬉しいから」


 ジュースを置いて、鷹宮さんが俺の手を握る。まだ熱があるせいなのか、その手は凄く熱い。


「ハルくんの手、凄く冷たい」


「鷹宮さんの手は熱いよ。もしかしたらまだ熱があるのかもしれないから、今日も学校は休んだ方がいいかもね」


「ハルくんは……側にいてくれる?」


「そのつもり。まだアニメ途中だし、このままだと気になって授業に集中できないからな」


「なにそれ。でも、嬉しい。ありがとう」


 別人みたいに晴れやかな顔で笑う鷹宮さん。その笑顔があまりに眩しくて、知らず心臓がドクンと高鳴る。


「なんか、やっぱり慣れないな。急にハルくんって呼ばれるのも、そんな風に親しげに話してくれるのも。なんかまだ、夢を見てるみたいだ」


「……やっぱり、その……迷惑ですか?」


「いやいや、迷惑なんてことはないよ。俺も鷹宮さんと仲良くなりたいなーって、思ってたし。そうやって話してくれるのは嬉しいよ。……でも、1個だけ訊いてもいい?」


「なんですか?」


「どうして急に、俺がそのハルくんだって分かったの? 俺が寝てる間に、何かあったの?」


 鷹宮さんは俺のことをハルくんだと思っていたから、こうして家に上げてくれた。それはなんとなく分かった。でも、それが確信に変わったのは何故なのか。俺が眠っている間に、何かあったのか。それがやっぱり、気になってしまう。


 俺は探るように、鷹宮さんを見つめる。鷹宮さんは真っ直ぐに俺を見て、口を開く。


「1人の私を見つけてくれて。寂しい私の側にいてくれて。いつも私の味方をしてくれて。手が冷たくて。優しくて。それで……首に後ろにホクロが2つあるのが、私の知ってるハルくんなんだ」


 思わず、首の後ろを押さえる。確かに俺にはそこに2つ、ホクロがある。昔はよく妹に、吸血鬼に噛まれた跡だーとか言われてからかわれた。


「……そっか。ま、そういうこともあるか。昔の幼馴染と偶然、同じクラスになる。同じ場所で雨に降られる。そういう偶然も……」


「まだ信じられない? 私が、変なことばっかり言う奴だって思った?」


「いや、もう疑ってないよ。俺はやっぱり思い出せないけど、鷹宮さんにハルくんって呼ばれるのも悪くないし、敬語よりもそうやって喋ってくれた方が嬉しい。何より、首の後ろにホクロが2つあるハルくんなんて、この街に俺しかいないだろうしな」


 まあ、人違いだったらお互い恥ずかしい思いをするだけだ。別に問題ないだろう。俺が、ハルくんでも。


「……ふふっ、ハルくんは変わらないね」


「どの辺が?」


「強引な女の子に弱いところ」


「……それはちょっと、否定できないな」


 俺は思わず、笑ってしまう。鷹宮さんも笑った。偶然……にしては出来すぎているとは思うけど、でも偶にはこんな偶然も悪くない。晴れやかに笑う鷹宮さんを見て、そう思った。


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