第43話 タンポポとアイス



 ソラという名前が、最初の光だった。



 天使としての私の役目は、人の辛い記憶を集めること。多くの人たちが少しでも前向きに明日を生きられるよう、その記憶を引き受ける。……痛みを、引き受ける。


 どうして、そんなことをしなければならないのか。誰にも頼まれていないのに、そんなことをして意味はあるのか。お礼すら言ってもらえないそんな生き方は、悲しいだけじゃないか。


 そんな風に思ってしまう私は、天使としても変わり者だった。他の天使は皆、自分の役割に疑問を持たない。疑問を持たないから、私のように苦しむこともない。


 だから最初は、忘れてしまおうと思った。そんな余計な想いは忘れて、役目に殉じようと。……でも、その痛みを失うと私の全てが消えてしまうみたいで、怖かった。


 怖くて。寂しくて。もう何もしたくなくて。嫌な記憶だけが沈澱する世界。そんな世界から逃げ出したくて、でも逃げられなくて。私は膝を抱えて泣いていた。そんな時、彼が私を見つけてくれた。


「どうして、泣いてるの?」


 それは、偶然の出会いだった。でもその偶然が、全てを変えてくれた。楽しいことを探そうと、彼は言った。2人でいろんなことをした。まるで人間のような楽しい日々。気づけば痛みを忘れていて、背中にある筈の翼もどこかに消えていた。


 こんな日々が、ずっと続けばいいと思った。でも彼は夏休みが終わったからという理由で、あまり会ってくれなくなった。しばらくして彼は、自分の友達だという女の子を、嬉しそうに紹介してきた。


 ……気に入らない、と思った。私だけを見て欲しいと、そう思った。忘れていた筈の痛みが、胸の内に湧き上がる。それは前とは違う確かな痛みで、どうしたって忘れることはできない。


 だから私は、無意識に奪ってしまった。……呼んでしまった。


 夏休みが終わったのに、彼は毎日のように私と遊んでくれるようになった。変な女の子のことなんて忘れたように、私とだけ遊んでくれる。……幸せだった。とても、幸せだった。


 でもその頃からどうしてか、頭の中から声が聴こえるようになった。まるで頭の中にもう1つの人格ができたように、声が響く。


 『そんなことばかりしていたら、貴様は後悔することになる』『自分の為に力を使った天使は、最後には必ず不幸になる』『貴様は結局、自分が愛しいだけなんだ』『その在り方では、決して誰かに愛されることはない』


 耳を塞いでも、声は止まない。頭の中で響く声は次第に大きくなり、それでつい、彼に八つ当たりをしてしまった。


 つまらないことで彼に怒鳴った。彼は驚いたような顔をして、何度も何度も謝った。それから彼は、あまり笑わなくなってしまった。……後悔した。このままだと彼は、居なくなってしまう。そう思った。



 だから、彼から記憶を奪った。



 これでまた仲良くなれると、そう思った。……でも、違う。それで彼は私のこと全て、忘れてしまった。声をかけても、届かない。彼は毎日、学校に行って私のところにはもう来てくれない。


 それで彼と私は、違う生き物なんだと悟った。食事をしなくても生きていける。眠らなくても活動できる。夜に歩くと白い翼が生える。側にいなくても、人の想いが伝わる。強く目を瞑ると、人の意識の外に出られる。


 天使は常に人の側に居て、常に意識の外にいる。そうやってただ、人の記憶を集め続ける。 


「つまり私は、愛してもらえないんだ」


 気づいた瞬間、悲しくなって涙が溢れた。もっともっと一緒に、いろんなことをしたかった。酷いことを言ってしまったことを、謝りたかった。ごめんって言って、また一緒に遊びたかった。


 それだけでよかったのに、そんなことが叶わない。彼は私とは違う少女と、楽しそうに遊んでいる。私が側にいると、彼はまた傷つくことになる。もっともっと、いろんなことを忘れてしまうかもしれない。


 残ったのは、胸の痛みと人の記憶を集めるという役目だけ。


 だから私は決めた。街を離れ、もっと遠くで何もかもを忘れて役目に殉じようと。……けれどその前に、彼と出会った公園に立ち寄る。会いたいな、と最後に思った。すると、声が響いた。


「どうして、泣いてるの?」


 彼がまた、私を見つけてくれた。それはただ、天使の人を呼ぶ力のせいかもしれない。けれど、でも……彼はこうして私を見つけてくれた。嬉しくて、涙が溢れる。


「寂しかったらさ、こうやってタンポポをふーってするんだ。そしたら、俺が君を見つけてあげる」


 彼はそう言って、笑った。何か大切なものを貰った気がした。何かとても大切なものを、貰ったような気がした。それが何なのかは、分からない。分からないけど、これならずっと頑張れる。そう思った。


 だから私は、街から離れた。側に居たら、また記憶を奪ってしまう。違う生き物である私は、彼の側にはいられない。


 長い間、役目に殉じた。ただただ、辛い記憶を集め続けた。過去の楽しかった思い出も、貰った筈の大切なものも、全て失うくらい頑張った。……頑張って、そして最後の時がやってきた。


 一定の記憶を集めると、天使は役目を終えて天に帰れる。天の国で、安寧の時を過ごせる。それはとても、幸せなことだ。


「…………」


 でも、最後にどうしても、失くしてしまったものを見つけたいと思った。無理をして、必死になって探し続けた。頭が重く意識も薄れ、記憶も曖昧になってしまった。けど、それでも諦められなかった。


 その頃になると、頭の中の声はまるでもう1つの人格のようになっていた。私が動けない間は、彼女が代わりに動いてくれた。人間には本能と理性という2つの心がある。私もそれと同じように、翼が生えている間は彼女が代わりに動いてくれた。


 彼女は、そんなことをしても意味はない。懲りない奴だといつも怒っていた。でも彼女は、決して嫌だとは言わなかった。諦めようとはしなかった。



 そして、彼と再会した。



 大人になった彼は、変わったようで変わっていなかった。彼は見ず知らずの私を、当たり前のように助けてくれた。そんな彼が、私の大切なものなのだと思った。……でも同時に、何かが違うような気がした。


 街を探し回る。消えそうになりながら、必死に探す。ふと、辛くなって彼を呼んでしまう。彼がまた、私とは違う少女を選んだ。嫉妬して、記憶を消した。何度も何度も、記憶を消した。


 それでは昔と変わらないと、頭の中から声が響いた。でも……どうしても、我慢できなかった。大切なものを貰った筈なのに、それを失くしてしまった私は、また1人になってしまう。


 天の国に行ったとして、1人では何の意味もない。だから無理をして、探し続けた。けれどそれでも何も見つけられなくて、徐々に力が弱っていく。無理やり奪った記憶は、彼の元へと帰ってしまった。彼もまた何か特別らしく、天使である私から記憶を奪った。



 全てを知られてしまった。もう彼の側にはいられない。



 だから最後に彼に想いを伝えて、彼の痛みと苦しみの原因を引き連れて、それで消えようと思った。私が関わった全てを忘れて、彼はまた1から始める。きっと彼なら上手くやる。彼なら皆んなを幸せにできる。そう信じて、私は地の底へと沈んでいく。彼にいっぱい迷惑をかけた私は、もう天の国には行けない。


 頭の中の声も、もう聞こえない。暗い暗い闇の中。何も見えず、どこにも行けない孤独。きっと私はこのままずっと、1人で苦しみ続けるのだろう。そう思った。それでもいいと思った。彼が幸せなら、それでもいいと。



 だって、ようやく見つけられた。



 彼から貰った大切なものは、ずっと胸の内にあった。人を愛するというただそれだけの、小さな温かさ。それさえあれば、永遠の苦しみにだって耐えられる。



「──貴様も懲りない奴だな」



 でも誰かがそんなことを言って、ふと背中を押される。それが誰なのかは分からない。けど、彼女はどうしてか、笑っていた。私は翼が生えたら天使になる。天使になって、その役目を全うした。だったら、その背中から翼がなくなったらどうなるのだろう?



 ふと、白い光が見えた。



 それを追うように、ただ歩く。ただただ、歩き続ける。それがタンポポの綿だと気がついて、可笑しくて笑ってしまう。ずっと寂しいと叫び続けていた私。ずっと彼を呼んでいた私。でも寂しくて、誰かを呼んでいるのは私だけじゃない。寂しくて、誰かを探しているのは私だけじゃなかった。


「貴様、美味そうなものを持っているな」


 アイスを持ってタンポポに息を吹きかける彼に、私は言った。


「……食べる?」


 そんな私を見て、彼はただ笑った。


 アイスを食べながら、2人で夜の街を歩く。月明かりを反射するタンポポの綿は、まるで天使の翼ように煌めいて、夜の街へと消えていった。


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目を覚ますと隣で眠っていた裸の美少女が彼女だと言い張ってくるんだが、全く記憶にない俺はどうすればいいんだ? 式崎識也 @shiki3

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