第41話 君と俺



「……思い出しても、どうしようもないな」


 長い夢から目を覚ます。身体に不調はない。寧ろ、長く眠っていたお陰か頭が軽い。


「いや、そうでもないのか」


 まだ、時刻は深夜。長い夢を見ていた気がするが、数時間も経っていない。


「よかった。また何日も経ってるとか、そんなことにはなってないな」


 日付は記憶と変わりない。少し、今まで起こったことを振り返る。


 俺は、先輩と揉めているいのりちゃん励ました後、帰りのコンビニで白山さんで出会って、ソラちゃんの探しものに付き合った。そして俺はそのままソラちゃんを切無さんのマンションまで送って、別れようとした直後。ソラちゃんの背中から、白い翼が生えた。


「それで何故か、記憶が戻った。……ようやく思い出せたのに、気分は晴れないな」


 ベッドから起き上がる。知ってる天井。ここは切無さんの住むマンションの一室。ソラちゃんが借りている空き部屋だろう。ソラちゃんはまだ、ベッドの上で気持ちよさそうに眠っている。


「どういう仕組みなんだろうな……」


 どうして俺は、ソラちゃんの隣で目を覚ましたのか。……いや、それはきっとソラちゃんがここまで運んでくれただけなのだろう。でもどうして、忘れた記憶を思い出したのか。……奪うと彼女が言っていたが、その意味は何なのか。


「ま、考えても仕方ない。聞けば分かることだ」


 まだ眠るソラちゃんを見る。彼女がしたことを思えば、起こしていろいろ問い詰めてもいいとは思う。けど、今は先に確認しておきたいことがある。


「弱い天使の絵本。多分、本棚探せばあるよな」


 部屋を出て、リビングに向かう。切無さんの姿はないので、勝手に本棚を見させてもらう。


「切無さん、自分が描いた本は確かこの辺に……あった」


 1冊の絵本を見つける。タイトルは『弱い天使の子』。8年くらい前に発売された絵本だ。俺が小学生低学年の時。切無さんがまだ、大学生だった頃。俺がその絵本を読んで……違う。俺がした天使の話を元に、切無さんがこの絵本を描いたんだ。


「何で忘れてたんだろ……」


 ページを開く。天使が泣いているところから、絵本は始まる。大筋はソラちゃんが語った通り。人の嫌な記憶を集める天使。そんな役目に疲れたと泣く天使の少女。その少女に声をかける男の子。2人は一緒に楽しいことを探す。


 しかし、天使には役目がある。それを疎かにすると、少女自身が傷つくことになる。それを分かっていながらも、少女は少年との楽しい時間を捨てられず、遊び続けた。


 そして、少女は気がつく。嫌な記憶を奪わずにいた自分は、知らず少年の記憶を奪ってしまっていたことに。それに気づいた少女は、少年から逃げ出した。少年はもう、少女のことを忘れてしまっていた。


 別の女の子と楽しそうに遊ぶ少年。少女はそれを見ていられなくて、少年から別の少女の記憶を奪った。少年を1人にして、そして自分の記憶も消してしまった。


 何もかもを失くしてしまった少女は、近くに生えていたタンポポの綿に、ふーっと息を吹きかける。誰か私を見つけてくださいと、少女は1人で泣いた。


「切無さんらしくない内容だな。あの人、基本的にハッピーエンドしか書かないのに……」


 でも、だからこそこれは、俺の話を元に描かれたという証拠でもある。その話自体を俺はあんまり覚えてないけど、切無さんがやたらと俺の話に興味を持っていたことは覚えてる。


「……思い出したのか?」


 ふと、扉が開いて声が響く。目を覚ましたソラちゃんが、全てを諦めたような顔でこちらを見ている。


「ちょっと外、歩こうか? 付き合ってくれるよね?」


「……ああ」


 2人でマンションの外に出る。今日も変わらず、風が心地いい。俺たちは2人並んで、歩き出す。


「ソラちゃんがさ、俺の記憶を奪ったの?」


 と、俺は問う。


「ああ、そうだ」


 と、ソラちゃんは淡々と答える。


「それってソラちゃんが、俺のこと……好きだから?」


 俺のそのストレートで気遣いのない問いかけに、ソラちゃんはどうしてか笑う。白い髪が夜風に揺れる。


「貴様は本当に変わらないな」


「変われないだけだよ。俺はずっと……多分これからもずっと、変われない」


 空を見上げる。月が白い。100年前からそれは変わらない。1000年経っても変わってない。俺だけが、停滞している訳じゃない。


「……お前は、私を選ばなかった。昔も今も、私を選んでくれなかった」


「…………」


 俺は何も言わない。ソラちゃんは言葉を続ける。


「仕方ないと、分かっていた。お前と私は違うイキモノで、何より私はお前から逃げた。その癖、後から辛くなってお前からいろんなものを奪った。……寂しくなって、私はお前を呼んでしまった。天使の本能がお前を引き寄せた」


「やっぱり、そういうことだったんだね」


 もしかしたら、記憶を集める天使は人の心が分かるのかもしれない。俺が誰を好きになったのか。誰のことを考えているのか。遠くにいても、ソラちゃんにはきっと分かってしまうのだろう。


「でもさ、貴様も懲りない奴だなって台詞は、ちょっと酷くない? 俺を呼んでたのは、ソラちゃんなんでしょ?」


「懲りてないないだろう? 私を選ばなかったらどうなるか、貴様は身をもって知っていた筈なのに」


「……怖いこと言うな。でも、それを忘れさせたのも、ソラちゃんでしょ?」


「……ごめんなさい」


「いや、別に謝らなくてもいいけど……」


「……だって、恥ずかしいじゃないか。好きだって気持ちがバレるのは」


「…………」


 そんなことが理由だったのか? ……いや可愛いけど、もうちょっと何かないのだろうか? なんかちょっと、調子が狂う。


「でも俺、今すげー大変な状況なんだぜ? 鷹宮さんと白山さんと二股しちゃってるし、いのりちゃんにも口説くようなこと言っちゃったしさ。彩ちゃんは……まあ、酔ってただけだと思うけど、これから俺どうすればいいんだよ」


 土下座しても許されることではない。特に、忘れていたとはいえ関係を持ってしまった鷹宮さんと白山さんには、何を話せばいいのかすら分からない。


「……大変なんだな、大人の恋というのは。私はただ、昔と同じように、お前に会いたいと……独り占めしたいと願っただけなのに。そんなことになるとは、思わなかった。……ごめんなさい」


「いやまあ、半分は自分で撒いた種なんだし、謝らなくてもいいよ」


 鷹宮さんのことも白山さんのことも、原因が俺にない訳じゃない。少しボタンをかけ間違えば、ソラちゃんがいなくても似たような状況になっていただろう。


「貴様はこれから、どうするんだ?」


「とりあえず謝って……許されることじゃないけど、まあ謝るしかないな。その後はまあ……どうすりゃいいのかなー」


「またあの2人のどちらかと、付き合うのか?」


「そんな真似はできないよ。許してくれないでしょ、2人とも」


 白山さんと鷹宮さん。2人に向ける感情は、どちらも本物だ。俺は白山さんのことも鷹宮さんのことも、両方……愛してる。でもだからって、裏切った事実が消える訳じゃない。


「私はもう、この街を離れるよ」


「……でも、ソラちゃん。まだ何か、大切なものを探してる最中なんでしょ? 俺のことは気にしなくていいから、好きにして構わないよ」


「貴様は……私を恨んでないのか?」


「恨まないよ」


「どうしてだ?」


「さあ、分かんない。でも、怒ってないのに怒ったフリをする理由もないだろ?」


「……貴様のそういうところが、私は……」


 また、風が吹き抜ける。ポケットから手を出し、軽く伸びをする。


「それでもやっぱり私は、この街から出て行くよ」


「どうして? 行くとこあるの?」


「本来、私は天使であり、眠る必要も食べる必要もない。そもそもこうやって人の前に姿を現すのは、記憶を奪う時だけだ。だから帰る場所なんて、私には必要ない。……そもそも、私はもう……」 


 寂しそうな顔で、空を見上げるソラちゃん。引き止めたいと思った。けど、その理由をうまく説明できない。


「あ」


 ソラちゃんが何かを見つけたように声を上げ、道端にしゃがみ込む。


「タンポポか。ソラちゃん、好きなんだね?」


「貴様が私に教えてくれたんだ。これをふーっとすると、綺麗だってこと」


「そうだっけ? ごめん、忘れてた」


「謝るな。それもきっと、私が忘れさせてしまったのだろう」


 ソラちゃんがタンポポに息を吹きかける。白い綿が夜の街を舞う。


「人間とは不思議なイキモノだ。どんなに辛いことがあっても、それを忘れれば平気で生きていける。心と記憶は別のものなのに、記憶を忘れれば痛みも忘れる。……私は、そうはいかない」


 空を見上げる。風に揺れるタンポポを綿。遠くに見える欠けた月。忘れていた1週間のことを思い出したのに、なにも変わっていない現実。


 ここから先、俺はどこに行くのだろう?


 ソラちゃんは、どこに行くのだろう?


「心配するな。私が起こした問題は、全て私が連れて行く。もうこれ以上、貴様が苦しむ必要はない」


「……待った。まさかソラちゃんまた、俺の記憶を奪う気じゃないだろうな。それはもう、辞めてくれ。そんなことをしても、俺は──」


「お前だけではない。私は全てを連れて行く。そこからお前が誰を選ぶのかは、お前自身が決めろ。……私はもう、大丈夫だから」


「大丈夫って、そんな……」


 ソラちゃんは、綿が飛んで茎だけになったタンポポを大事そうにポケットにしまう。そして、真っ直ぐに俺を見る。


「私を見つけてくれて、ありがとう。私に優しくしてくれて、ありがとう。貴様は私を選んではくれなかったけど、それでも私は……貴様に出会えてよかった」


 ソラちゃんは笑う。相変わらず、とても悲しそうな笑顔だ。俺はそんな顔を見ていられなくて、ソラちゃんに手を伸ばす。……けれど、その手が届く前に白い翼が生えて、ソラちゃんは……言った。



「──愛してるよ、春人」



 そこで、俺の意識は途絶えた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る