第2話 電話と元カノ



 鳴り響く着信音。表示される名前。ドキドキと高鳴る鼓動。やばい。やばい。やばい!


「どうする? 別に出なくても……いやでも、このタイミングでかかってくるってことは、何か知ってるのかも……」


 考えて、悩んで、覚悟を決めて。扉の方に視線を向ける。……大丈夫。少女が部屋に戻って来る気配はない。


「よし」


 ゆっくりとスマホを手に取り、音量を最小にして、電話に出る。


「……もしもし」


「もしもし違うし! 今どこにいんのさ、ハル!」


 聞き慣れた声。知ってる声。去年まで同じクラスで半年前まで付き合っていた少女、白山しらやま 心音ここねの声が部屋に小さく響く。


「どこかどうかは分からないんだけど、ちょっと……変なことになっててさ、お前なんか知らない?」


「は? 意味わかんないこと言わないで! そんなことより、どうして昨日デートこなかったのさ! いくらあたしでも、連絡もなしに放置されたら怒るからね!」


「……え?」


 デートってそんな約束した覚えはないぞ。何より俺とこいつは、もう半年も前に別れたはずじゃ……。


「え? じゃなくて、そんなことより他に言うことあるんじゃないの?」


「えっと……ごめんなさい?」


「ん! 仕方ないから許したげる! けど、次はないかんね! 埋め合わせはちゃんとしてもらうからね!」


「あ、はい。分かりました」


 よく分からないけど、何故か敬語になってしまう俺。


「……それと、この前のことだけど」


「この前のことって?」


「とぼけないで! ……この前の夜、あたしとあんたがしたことよ。忘れたなんて、言わないわよね?」


「────」


 言葉がない。意識が霞む。おいおいおい! どうなってる? 手を出したって、そんな記憶、俺には──。


「なんて、朝から言うことじゃなかったね。ただ……あたしがハルのことを想ってる間、ハルもあたしのことを想ってくれてたらいいなって、そう思っただけ。だから……好きだよ、ハル」


「いや、ちょっと待て! ……って、切れた」


 相変わらず人の話を聞かない奴だ……じゃなくて。え? なに? どうなってんの? なんで俺、別れたはずの元カノとデートの約束してんの? それどころか、え? 俺、白山さんに何したの? さっきの話を聞く限りじゃ、1つしか思い浮かばないんだけど……。


「そもそもデートの約束すっぽかして、他の女のところに行ってるのか? このくずは。……いやいや、落ち着け。何か事情があったはずだ。落ち着いて考えろ、神坂こうさか 春人はると


 深呼吸をして、精神を落ち着ける。するとふと、気がつく。


「……あれ? スマホの日付、間違ってる?」


 表示されている日付は6月18日。しかし俺の記憶では、今日は6月11日のはずだ。だって昨日……6月10日は、限定発売されたプラモを買いに行って、明日から頑張って作るぞ! と意気込んでいたはずだから。


「つまり、丸々1週間の記憶が飛んでるってことなのか?」


 そんなことってある? つーかその1週間で、元カノと復縁して、他の女に手を出したのか? 俺。いくら何でもそれはないだろ。……ないと信じたい。


「ごはん、できたよー」


「うおっ!」


 背後から響いた声に、思わず変な声がこぼれる。


「そんなに驚いてどうかしたの? ハルくん」


「いや、別に何でもないよ。ちょっと発声練習してただけ」


「……ハルくん、スマホ持ってる。誰かに電話したりしてたの?」


「あ、いや、時間を見てただけだよ」


「うそ。ハルくんの声、聴こえてたもん」


「え? 聴こえてた?」


「やっぱり、電話してたんだ……」


 やばい。カマをかけられた。少女が薄暗い目で、こちらに近づいてくる。俺の方がずっと身長が高いのに、妙な迫力に思わず後ずさる。


「ねぇ、ハルくん。ハルくん約束してくれたよね? ハルくんは私だけのハルくんなんだって、そう約束してくれたよね?」


「…………」


 そんな約束をした覚えなんて、俺にはない。しかし今それを口にする訳にもいかないので、誤魔化すように視線を逸らして言う。


「確かに電話はしてたけど、でも相手は……妹だよ。どこで何してるのかって、心配して電話してきたんだよ、あいつ」


「……ほんと?」


「ほんとほんと。俺は嘘つく時しか、嘘なんてつかないよ」


「…………そうだよね。疑ってごめん」


 虚な目で俺を見て、少女はそのまま俺に抱きつく。


「不安にさせてごめん。正直に言うべきだったな」


「ううん、いい。……ありがとう、やっぱりハルくんは優しいね」


 少女の腕に力がこもる。柔らかな感触に肩に力が入る。


「ずっとこうやって、ハルくんに抱きしめられてたい。1秒でも離れたくないよ」


「…………そうだね」


「ねぇ、ハルくん」


「なに?」


「これからはね、妹さんとでも、私が居ないところでは電話しないで欲しい」


「それは、ちょっと……」


「大丈夫。私はもうハルくん以外の連絡先は全部、消したし。だからハルくんもお願い。今ここで、余計なものは全部、消して?」


「……いや、そんなこと言われても。流石にそれは……無理かな。バイトとかあるし、全部消すのは……」


「そうだよね。……うん。無理言ってごめん」


 少女が寂しそうに、俺から距離を取る。なんだか悪いことをしているような気になる。……いや実際、忘れてる俺が悪いのか。この少女がここまで依存しているのも、俺のせいかもしれないんだから。


「──! ど、どうしたの? ハルくん」


「嫌?」


「ううん! 嫌な訳ないよ! でもハルくんからそんな風にしてくれるのって中々ないから、ちょっと……恥ずかしい」


 立ち去ろうとする少女の背中を抱きしめた。できる限り優しく、少女の身体を引き寄せる。背中越しに、ドキドキと高鳴る少女の鼓動が聴こえる。


「……なんで俺、こんなことしてるんだ?」


「ん? ハルくん、何か言った?」


「あ、いや、なんでも」


「そっか。……ふふっ、変なハルくん」


 しばらくそうやって抱きしめた後、ゆっくりと少女から手を離す。離してから、どうしてこんな大胆なことをしたんだとドキドキと心臓が高鳴る。……けど、どうしても放っておくことができなかった。この子が悲しんでいる顔を見るのは、どうしても……耐えられない。


 その理由は、全く思い出せないが。


「…………ごめん、ハルくん。先にごはん食べてて」


「え? なんで?」


「ちょっとあの、いろいろ準備しておきたいことがあるから。先に行ってて欲しい」


「いや、それくらい待ってるけど」


「ダメ! 女の子にはいろいろあるんだから、先に行ってて!」


「……分かったよ」


 無理やり部屋から追い出される。いや、それは別に構わないんだけど、どこにキッチンがあってどこにリビングがあるのか全く分からない。


「まあ、家の構造なんてどこも似通ってるし大丈夫か」


 今考えるべきは、そんな小さなことではない。軽く息を吐いて、とりあえず階段を降りる。結構大きい一軒家だけど、他に音がしないから家族の方は出掛けているのだろう。……助かった。あの子のお父さんと鉢合わせたら、何を喋ればいいのか分からない。


「お、あっちか」


 階段を降りて奥の部屋からいい香り。部屋に入るとあんな短時間で用意したとは思えないほどの、見事な和食が出来上がっていた。


「味噌汁、美味っ。あの子、料理上手なんだな」


 状況はまだ全く分からない。なんならこの先、白山さんかあの子に刺されてもおかしくない状況だ。しかしその全てを忘れさせるくらい、少女の料理は美味しかった。









「あぁ……。ハルくん。ハルくん。ハルくん。ハルくん。ハルくん。ハルくん。ハルくん。ハルくん。ハルくん。ハルくん。ハルくん。ハルくん。ハルくん。ハルくん。ハルくん。ハルくん。ハルくん。ハルくん。ハルくん。ハルくん。ハルくん。ハルくん。ハルくん。ハルくん。ハルくん。ハルくん。ハルくん。ハルくん。ハルくん。ハルくん。ハルくん。ハルくん……!」


 だから、ベッドの上で下半身に手を伸ばす少女の声なんて、俺の耳に届くはずもなかった。


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