イルナート
イルの正体が、この国にもう一人いた王子……。
女性がそう告げると同時に、割って入る者があった。
他でもない……。
「ほ、本当に我が子……イルナートなのか?」
国王シャルル・バティーニュ、その人である。
精悍さで知られる王であるが、今は闇の攻撃魔術を受けたことにより、装束から何からボロボロであり、普段とは打って変わった姿となっていた。
それでも、ヴィタリーとの決戦中、巻き添えを喰らわぬよう密かに避難し、今はこうしてどうにか立っているのは、さすがというべきであろう。
「お、おお……!
その顔は、確かにアルフォートと瓜二つ!」
それでも、走ることはかなわないのか、イルに歩み寄る足並みはよろよろとして、頼りない。
「……っと。
ということは、あんたが俺の父親なのか?」
それを見ていられなかったのか、国王の体を受け止めてやりながらイルがそう尋ねた。
「あ、ああ……。
そうだ……。
そうだとも……。
幼き日に、お前がさらわれてから、この日に至るまで……。
常に、心の片隅にはお前という存在がいたぞ」
さすがに、王という立場にある人物であり、軽々しく涙を流すような真似はしない。
だが、真実、感動に震えているというのが、傍から見ても伝わってくる。
『国王陛下……。
あなたにもこの子にも、私は大変にひどい仕打ちをしました』
今は地上に降り立っている思念体が、心底から申し訳なさそうに頭を下げた。
『あの日、とこやみの杖を探索し、帰還する途中だった私は、先生から王子どちらかの誘拐を命じられ、それを実行に移しました。
おそらくは、今やろうとしていたような邪悪な儀式の生け贄とするつもりだったのでしょう。
ですが、この手に赤子を抱き、箒で空を飛ぶ内に、私の心は変わったのです。
このような、幼き命を散らしてはならない……。
自分が今までしてきたことは、全てが間違いだったのだと。
ですので、追っ手との戦いで命を落としたように偽装し、姿をくらませました』
女性の言葉に、王がうなずく。
「うむ……。
威嚇の魔術が思いがけず当たった結果、撃ち落としてしまったと聞いているが、我が子も犯人も見つからなかった……。
それは、そういうことだったのか」
納得する王をよそに、思念体は彼に肩を貸すイルの方を向いた。
『その後は、かつて修行の場としたこともあるあの森へ隠れ潜みながら、あなたを育てました。
本来ならば、自首すべきだったことでしょう……。
ですが、私にはやるべきことがあったのです』
「ヴィタリーを倒す……」
ミヤの言葉に、女性がうなずく。
『そうです。
我が師は、必ず闇の復活を目論み、立ち上がるだろうと知っていました。
それは、仮にとこやみの杖がなかったとしても変わりません。
ですから、私は今日この日に必勝するべく、布石を投じたのです』
「それで、俺を残して……」
今度は、イルの言葉に女性がうなずいた。
『あなたが十分に成長したのを見届け、私は単身で先生に挑みました。
勝てぬことは、承知の上……。
その際、彼にとこやみに杖は破壊し、王子は亡き者になっていると嘘をつくのが目的です。
もし、両者が無事であると知ったら、きっと先生は必死になって探索するでしょうからね』
「確かになあ。
いざ、探そうってなったら、あの森にいたのをすぐに見つけられたしよお」
どうやら、無事だったか……。
腰の辺りを痛そうにさすりながら、ヒルデスがこちらに歩み寄る。
「ミヤ様!」
「お前も無事でよかった」
一方、元来が液状生物であるピエールに落下の衝撃などは関係ないのか、こちらは元気に抱きついてきた。
『そして、最後に布石としたのが、ミヤさん……あなたです』
「私?」
自分を指差しながら聞くと、思念体は深くうなずく。
『女子寮に残した思念は、才能ある者をあの部屋に導くためのものでした。
もし、即座に先生たちへ部屋の存在を伝えたとしても、よし。
闇の力へ傾倒したとしても、またよし。
いずれにせよ、先生は隠されていたとこやみの杖を手にし、失われたはずのそれが健在だったことへ大喜びとなったことでしょう。
それが、自滅へ誘う罠とも知らずに……』
「では、私の行動は予想外だった?」
この言葉に、これまで暖かな笑みを浮かべていた女性が、それを苦笑いに変じさせる。
『まさか、独力で闇の勢力に対抗しようとするとは思いませんでした。
そればかりか、先ほど見せたあの術……。
ミヤさん。あなたは先生のはかりも、私のはかりも遥かに超えた才能の持ち主だったのですね』
「それほどでもない」
少しばかり鼻を荒くして答えると、思念体がまたおだやかな笑みに戻った。
『後は、皆さんご存知の通りです。
ここに、邪悪な闇の魔法使いは倒れました。
イル……いえ、イルナート殿下。
どうか、この先はあなたの歩むべき、本当の人生を歩んでください。
ただ、これだけは……。
あなたを、愛しています』
それきり……。
女性の思念体は、霞のように消え去る。
宿っていたとこやみの杖が消滅している以上、いつそうなってもおかしくはなかったはずだ。
それをここまで伸ばしたのは、ひとえに愛という他にない。
出会ったきっかけは、誘拐であり、到底許されるものではないだろう。
しかし、その後、彼女がイルに対して注ぎ続けた感情……。
それを思えば、彼女はまさしくイルの母であったといってよかった。
「俺もだよ、母さん……」
仮面の呪縛から解放された少年が、そう言って目をつぶる。
ごくごく短い時間で行われたそれは、鎮魂の祈りであり、感謝の念を伝える言葉ならぬ言葉であり……。
そして、親子が交わす別れの挨拶であった。
「さあ、いつまでも、しめっぽくしてはいられんぞ!」
暗く重い空気を、あえて壊すように宣言したのは国王シャルルである。
イルの……いや、イルナートの肩を借りながら立っている彼は、腰の杖を引き抜きそれを短く振った。
呪文の詠唱すら必要とせず完成したのは、ごくごく初歩的な拡声の魔術である。
『諸君! 我が愛すべき臣民よ!
ここに、隠れ潜んでいた闇の魔法使いは倒された!』
――ワッ!
その言葉に、闘技場中から歓声が湧き起こった。
すでに、無力化された闇の魔法使いたちは教師たちや心得のある魔法使いによって、杖などを奪われた上で拘束されており……。
その首領が倒されたことで、ようやく騒動が解決したことに、皆、心から喜んでいるのだ。
『――さて!
諸君! ここにいるミヤ・ドラコーンが、先日、闇の攻撃魔術を習得していた咎により、学内へ幽閉され、最終的にそこから脱走したのは知っての通りである!』
その言葉に、今度はしん……とした静寂が満ちる。
――果たして、国王はミヤをどう遇するのか?
誰もが、そのことに注目していた。
そして、国王シャルル・バティーニュの決断は、この場にいる全ての民が望んだのと同じものであったのだ。
『しかしながら、彼女の言葉は全てが正しかった!
のみならず、恐るべき慎重さで学院の長として君臨していた新たな魔王を倒すのへ、大いに貢献してくれたのである!
もし、光の防衛魔術のみで立ち向かおうとしても、こうはいかなかったのは明らかだ!
認めねばならない! 闇の攻撃魔術をただ忌避してきたこれまでの法制度こそ、過ちであったのだと!
故に、余は彼女とその仲間へ一切の罪を問わない。
皆、小さな英雄に拍手を!』
――ワッ!
再び、歓声が湧き起こり……。
万雷の拍手が、ミヤたちを包み込む。
「やったな、ミヤ」
ふと見ると、イルナートがそう言いながら親指を立ててくれていた。
「……うん」
はにかむようにしてミヤが浮かべたのは、滅多なことでは見せることのない笑顔だったのである。
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