旅立ち
ミヤがその声を、聞き間違えるはずはない。
彼は、食事の時など、機会を見てはミヤに話しかけ孤独とならないよう配慮してくれた人物であり……。
何より、幼い時から将来は嫁ぐ相手として定められてきた少年なのだ。
「殿下……」
恐る恐る、振り向く。
果たして、そこに姿を現したのは、アルフォート・バティーニュ王子その人であった。
よほど、急いで来たのだろう。
ミヤとは異なり、身体能力が問われる授業や種目でも優秀な成績を残している王子が、今は肩を荒らげている。
「はっ……!
はあっ……!」
しかし、すぐに息を整え、ミヤにきりりとした視線を向けた。
「下で倒れていた、先生たち……」
その声に、びくりと身をすくませる。
それは、どんな教師に叱られるよりも……例えば、カスペル先生に叱られるよりも、よほど恐ろしく感じられた。
「それに、そこで倒れているのはカスペル先生か……!?」
アルフォートの目が、壁へもたれかかるようにして気絶するカスペル先生ヘと注がれる。
そして、再びミヤの方を見やった。
その瞳に宿るのは、確かな――怒り。
今まで一度も向けられることはなく、また、この先も向けられることがなければよいと思っていた感情だ。
青い――この国で最も
「殿――」
「――君は、自分が何をしたか分かっているのか!?」
吐き出そうとした言葉は、怒鳴り声にかき消された。
「闇の攻撃魔術を、密かに習得していた……。
それだけなら、まだ知識欲として分からないでもない……!」
アルフォートが、次々と言葉を吐き出す。
堰を切ったように溢れ出すそれは、決定的な……口にしてしまえば、何もかもが定まってしまう内容のものだ。
「だが、君は軟禁されていた部屋を抜け出したばかりか、先生たちにこのような暴力まで振るった……!
もう、決して許されることはない……!」
「殿下……」
懇願するように、その顔を見る。
そもそも、自分があの部屋で闇の魔術を身に着けたのは、何故か?
そこへ残されていた日記に、現体制への……王家への恨みつらみと、必ず復讐を果たす旨が書かれていたからではないか。
だから、彼にそれを否定されてしまっては……!
「ミヤ……君は、大罪人だ。
僕は、心から君を軽蔑する」
「……っ!」
何かがきしみ、壊れる音が聞こえた。
きっと、幻聴であるに違いない。
だが、今にも膝を折らせようとするこの衝撃は、間違いなく現実のものだ。
そして、このやり取りを黙って見ていられぬ者が、この場にいた。
「ちょっと!
さっきから黙って聞いていれば、ミヤ様に何てひどいことを言うんですか!?」
他でもない……ピエールである。
ミヤを元に、似て非なる少女の姿を取ったしもべは、怒りに顔を歪ませながらアルフォートへと詰め寄ったのだ。
「君は……?」
「ボクは、ピエール!
ミヤ様の手によって目覚め、生きる喜びを知った忠実なる配下です!
ミヤ様を悲しませる者は、決して許しておけません!」
そう言って、ピエールが平手を振りかざす。
「うわ……!?
何だ、訳の分からないことを言って!」
しかし、それはアルフォートに当たることがなく、さっと身を引いてかわされた。
かに、見えたが……。
「――ぶっ!?」
アルフォートが、聞いたことのないような声を上げる。
かわしたと思った、次の瞬間……。
ピエールは液状生物としての本領を発揮し、鞭のように変形した腕で、王子の頬をはたいたのだ。
「い、今のは……?」
打たれた頬を押さえたアルフォートが、後ずさりながら驚愕の顔となる。
「人間、じゃない……!
そういえば、髪も瞳も違うし、眼鏡をかけていないが……ミヤそっくりの顔だ」
そして、ようやくその事実に気づく。
「そうか、お前があのコボルトの言っていた化け物……!」
「今度は人を化け物呼ばわりですか!?
いや、確かにボクは人じゃないですけども……。
でも、あなたがアルフォート王子なんですよね?
あなたを守ろうとしたミヤ様の思いも汲まず、好き勝手にけなして……!
それでも、ミヤ様と結婚しようとしてた人なんですか!?」
「こんな化け物まで密かに引き連れていたような娘に、守られようというバティーニュの男ではない!
こうなったら、ミヤ共々に僕が成敗してやる!」
言いながら、アルフォートが赤樫の杖を引き抜く。
およそ五十センチという、魔法使いが用いるものとしては最長の部類に入るそれを構えていると、まるで絵物語に登場する騎士のようだった。
そう、彼は正義の騎士として自分を討とうとしているのだ。
――ぶつり。
……という、何かの切れたような音が聞こえた。
やはり、これも幻聴の
ただ、この体を突き動かす情動は本物である。
「――ルガーロ!」
あえて杖は使わず、代わりに拳を突き出しながら唱えた。
「――テメリカ!」
アルフォートが即応できたのは、さすがというべきだったが……。
――パキイイイン!
彼の展開した盾は、空圧の拳によってあっさりと砕け散る。
そうなれば、後の結果は言うまでもない。
「――ぐべっ!?」
いささか情けない悲鳴と共に、アルフォートが吹き飛ばされた。
「――スパイウェ」
階段を転げ落ちる前に魔法の糸で床に縫い止めたのは、せめてもの慈悲である。
だが、ピエールがはたいたのと反対の頬が、今の一撃で大きく腫れ上がっており……。
少しばかり、男前になったと言わざるを得ないだろう。
「行こう」
「はい!」
嬉しそうなピエールを伴い、箒の保管所に向かった。
--
「うわー、すっごいです!」
「?
お前は、鳥に化けて飛べるはず」
「そうですけど、ミヤ様と一緒の箒に乗って飛ぶのがいいんですよ!」
またいだ状態で箒を操る自分の背後で、横乗りの姿勢になったピエールが大はしゃぎしながらそう言う。
「……あまり、動いちゃ駄目。
飛行が安定しなくなる」
「わわ、すいません」
ピエールがぴたりと動きを止めてくれたおかげで、ようやく安定状態に入る。
幸い、箒までは職員室に収められておらず……。
いつもと同じ場所に安置されていた愛用の箒は、ミヤの意思通りに飛翔してくれた。
その状態で、たった今飛び出してきた発着場を眼下に見る。
壁などなく、幾本かの柱のみで天井を支えるその空間は、見ようによっては鳥かごのように思えなくもなかった。
そう……形はともあれ、自分は今、大人たちの手によって作られたかごを抜け出したのだ。
この先は、全てを自分の意思で決定していかなければならない。
――今さらか。
その考えに、苦笑いを浮かべる。
自分の意思で決めたというのなら、あの部屋へ
「ミヤ様!
これからどうされますか?」
「ひとまず、落ち着ける場所を探す。
どこでもいいから、拠点が欲しい」
背後のピエールに答え、箒を操る。
空には、星明かりが瞬いており……。
闇の魔法使いが空を飛ぶには、ふさわしい状況であるかもしれなかった。
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