発着場を目指して

 発着塔とは学院中央部から屹立する尖塔のことで、ここから箒に乗った生徒たちが大空へ飛び立っていく様は、ゲオグラーデ魔術学院を象徴するような光景である。

 それはつまり、地下階に存在する『静寂と静謐の部屋』からは、最も離れた場所に存在するということ……。

 この距離が、脱走の発覚と教師陣が布陣するに足る時間を生み出してしまった。


 ――ミヤ様! 教師たちが大勢待ち構えています!


 ――大丈夫、見えてる。


 トージンで姿を消した状態のまま、発着塔の入り口付近で立ち止まり、ピエールの念話に応じる。

 いかんせん、この術は味方であるピエールからも姿を消してしまうため、このように細かなやり取りが必要だというのも、足を遅くしていた。

 記録によれば、本来は単独で使用するための術なのだ。

 例えば――暗殺などに。


 ――どうします? このまま、こっそりと入り込みますか?


 ――難しいと思う。


 教師たちの様子を見ながら、ほぞを噛む。


「本当に、ミヤさんが脱走したんですか?」


「間違いありません。

 見張りのコボルトは、スパイウェで拘束されていました」


 教師にのみ使用可能な、学内の瞬間移動を利用したのだろう……。

 女教師の一人に問いかけられたジョグ先生が、はっきりと答える。


「杖を手に入れていたということか?」


「彼女なら、杖なしでもある程度の魔術は使えるでしょうが……いや、あれは道具を使っていないとは思えない強力さだった。

 それより、コボルトの話によれば、彼女は妙な化け物を連れ、自身の姿を消したそうです」


「姿を消す……。

 確か、伝え聞く闇の魔術にそんなものがありましたね」


「ひょっとしたら、今もすぐ近くにいるかも……」


「ともかく、入り口を固めましょう。

 まだ箒が飛び立っていない以上、ここには足を踏み入れていない可能性が高い。

 そして、発着場までの出入り口はここだけです」


 話し合った教師たちが、横一列となって入り口を固めた。

 そして、それぞれの杖を引き抜き、油断なく構えて周囲を見回し始めたのだ。


 ――……トージンは、かつての大戦でも使用されていた魔術。さすがに対策されてる。


 現代の魔法使いたちは、闇の攻撃魔術に対していささか頭の固いところはあるが、かといって愚かなのかといえば、そのようなことはない。

 それぞれ、師や校長先生からの口伝によって、かつて使われていた術に関しては知識を得ているし、その対策も頭に入っているのだ。

 あくまで、かつて使われていた術に対してのみであるが。


「カスペル先生は、どちらに?」


「最後の防衛線として、発着場の方に控えるそうです」


「ヴィタリー校長は?」


「シャルル陛下たちと共に、会議室です。

 万が一に備えて、陛下をお守りしないと」


 ――カスペル先生は、上。


 ――手早くやれば、校長先生が来ることはないか。


 最も手強い相手たちの所在が判明し、覚悟を決める。

 機を逸すれば、ますます状況は悪くなっていくと見えた。

 ここはもう、やるしかない。


 ――戦おう。


 ――と、いうことは、トージンを解かれるのですね?


 見えていないのは承知の上で、うなずく。

 この術は使用中、一定の集中が必要となるため、念話をするくらいならともかく、他の魔術と並行して使用することはできないのだ。


 ――奇襲して、一気に突破する。


 ――承知致しました! 援護します!


 念話を交わすと同時に集中を解き、トージンの効果を消し去った。

 同時に、短い動作で杖を振るいながら、呪文を唱える。


「――スパイウェ」


 とこやみの杖は、それそのものが生きているかのように脈動し、ミヤが放った術の威力を大幅に引き上げた。

 赤光しゃっこうの魔力糸が、クモの巣のように展開しながら守りを固める先生たちへ襲いかかる。

 しかし……。


「「「――テメリカ!」」」


 見習いたちと異なり、即座に魔法を発動できる技量があるからこそ、伝統ある学院で教職を務められているのだ。

 半ば条件反射として展開された魔力の盾が、青き光を発しながら赤光しゃっこうの魔力糸を阻む。

 阻んだ、が……。


 ――みしり。


 最も前面に展開された盾が、きしむような音を立てた。


 ――パキイイイン!


 そして、次の瞬間にはガラスが割れるような音と共に、粉砕され消失したのである。


 ――パキイイイン!


 同様の現象は、二枚目として展開された盾にも起きた。


 ――みしいいいいいっ!


 最後の防壁として展開された三枚目のみは、どうにか砕ける寸前で止めきることに成功したが、それも、ギリギリのところであったのが伝わってくる。

 たかが初歩的な魔術が、この威力。

 やはり、とこやみの杖が持つ力は絶大だ。


「――ミヤ君!」


「姿を現したか!」


「ミヤさん! これ以上、馬鹿な真似はお止めなさい!」


「そうだ! これ以上は、処分が重くなるだけだぞ!」


 ジョグ先生を始めとする教師陣が、次々と降伏の言葉を呼びかけてくる。

 だが、その腰は引けており……。

 大決闘大会の優勝者とはいえ、たかが一年生に過ぎぬ小娘の魔術が発揮した威力に、恐れを抱いているのが感じられた。


「それにしても、今の威力は……」


「教師三人で同時詠唱して、止めるのがやっとだったぞ……」


「――あの杖!

 あれは、ミヤ君が使っていたものではない!」


「どうやら、あの杖に秘密がありそうだな……」


 だが、そこはゲオグラーデの教師たちだ。

 いずれも一流の魔法使いであり、即座にとこやみの杖が持つ計り知れない力に気づく。


「あれが、ミヤの力を飛躍的に高めているようだが……。

 数では、こちらに利がある」


「ああ、分散せず、一気に魔術を放つんだ」


「ミヤさん!

 少し痛いかもしれないけど、我慢なさい!」


 そして、この場における最適解――数に物を言わせた力押しを実行するべく、それぞれが杖を構えた。


 ――ミヤ様!


 それを阻害したのが、天井と同化した状態で密かに這い進み、教師たちの頭上へ到達していたピエールだ。



「――うわっ!?」


「――何だこいつ!?」


「――これが、例の化け物か!?」


 液状生物としての正体を現したピエールが、最大限に体を引き伸ばし、教師たちの顔や手を抑え込む。

 所詮、体を引き伸ばした状態であるため、力そのものは大したことないが、彼らの動きを邪魔するには十分だった。


 ――ドクン!


 手にしたとこやみの杖が、心臓のような鼓動を発する。

 それは、まるでこう訴えてくるかのようだった。


 ――あんな弱い術を使っていてどうする?


 ――お前が部屋で身につけた力は、その程度ではあるまい?


「――っ!」


 言われるまでもない。

 部屋の中で密かに研究され、進化していた闇の攻撃魔術は、学院に伝わる光の防衛魔術などたやすく打ち破る。

 そして、それを知ったからこそ、自分はあえてこれを身に着けたのだ。

 闇の脅威へ、対抗するために……。


 ゆえに、教師たちへこれを向けるのは、本末転倒ともいえる。

 だが、ここで捕まってしまっては、マリアを始めとする闇の魔法使いたちを止める者がいなくなってしまうのだ。


 ――ピエール、離れて!


「――ルガーロ!」


 念話と共に、ミヤとしては珍しく呪文を叫ぶ。

 握った杖を突き出すような所作と共に放たれたのは、闇の攻撃魔術だ。

 瞬間、ミヤの眼前に存在する空間が……。

 そこに満ちる空気が、急激に圧力を増し、ミヤの全身ほどもある見えざる拳と化す。

 それはそのまま、教師たちへ向けて放たれた!


「「「「「テメリカ!」」」」」


 ピエールが離脱し、天井へ逃れてからのほぼ一瞬で魔法を行使したのは、さすが先生たちという他にない。

 今度の防御魔法は、先のそれにも勝る多重障壁として展開された。

 だが、何の問題もない。


 ――パッキイイイイインッ!


 かつての大戦時代よりも進化し、強化された闇の攻撃魔術は、光の防衛魔術に対して深く浸透し、これを粉砕せしめるのだから。

 しかもこれは、とこやみの杖が歓喜するかのようにたっぷりと威力を増幅しているのだ。


「――うわ!?」


「――ぐあっ!?」


「――きゃあっ!?」


 空圧の拳を受けた教師たちが、たまらずに吹き飛ばされる。

 ミヤが習得した闇の攻撃魔術においては、比較的……あくまで、比較しての範囲でだが、殺傷力の低い魔術だ。

 だから、重大な負傷を負っているものはいない。

 しかし、いずれも立ち上がれないほどの苦痛を受けているか、あるいは昏倒してしまっており……。

 敬愛する先生たちをそのような目に遭わせたのは、ひどく心が痛む。


「はっ……。

 はあ……」


 そのためだろう……。

 魔力の消費は大したことないが、大きく息を吐き出した。


「さあ、ミヤ様!

 急ぎましょう!」


 そうしていると、先ほど定めた基本形態――ミヤそっくりの少女となったピエールが、床に降り立ちながら急かしてくる。


「……ごめんなさい」


 ミヤは、倒れる先生たちにそう言い残して、発着場へ続く階段を駆け上がったのであった。

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