カスペル先生との戦い

 数ある授業の中でも、箒を使った飛行術は特に人気が高いそれであり……。

 そのため、発着塔の入り口から屋上の発着場へと至る螺旋階段は、期待に胸を踊らせた生徒たちの雑談で騒がしくなるのが常であった。


 ミヤは他の生徒たちと距離を置いており、話の輪へと加わることはない。

 しかし、生徒たちの中団で、彼らが弾ませる会話に包まれながら一歩、また一歩と階段を上っていくのは、何とも心地の良い時間だったのである。


 それを今は、息せき切らしながら全力で駆け上っていた。


「ミヤ様! あと少しです!

 がんばって下さい!」


「はっ……!

 はっ……!」


 今は自分と同じ顔に化けているピエールであるが、液状生物に疲労という概念はないのか、平気な顔をしながら先に上がって行く。

 一方、運動というものが得意でないミヤは、太ももの悲鳴に耐えながら追従する形となる。


 そのようにして、長い長い階段を上った先……。

 果たして、待ち構えていたのは一人の教師であった。


「まさか、ジョグ先生たちを倒してきたのか?

 彼らの修行にもなると判断して下を任せたが、いささかに浅慮であったかもしれぬ」


 年の頃は、三十代半ばといったところか……。

 枯れ木のように細身な体が、今は分厚い城壁のようにも見える。

 白いものが混じりつつある黒髪は、波打っており……。

 手にはすでに、栗でこしらえた愛杖あいじょうを握っていた。


 ――カスペル・リンドボリ。


 階段を上がった先の広場で待ち受けていたのは、光の防衛魔術を極め抜いた達人である。


「先生方は、動けなくなっているだけです。

 殺したりとかは、していません」


「口ぶりから察するに、相応の手傷は負わせているのだろう?

 まったく、嘆かわしいことだ」


 カスペル先生は、普段の授業においても、生徒のやる気を削ぎかねない毒舌ぶりで知られている教師だ。

 しかし、今日のそれはいつも以上に冷ややかなもので、こう見えて、普段は彼なりの温情をもって生徒に接しているのだと、こんな状況ながら察せられた。

 こんな状況だからこそ、察してしまった。

 今の自分は、もはや彼にとって、教え導く対象ではないのである。


「そちらのお嬢さん……」


 不意に、先生の視線がピエールへと向く。


「え? ボクですか?」


 間抜けな声で返す彼女を、先生はまじまじと見つめたが……。


「……何らかの魔法生命か。

 『静寂と静謐の部屋』を脱走できたのは、この生物を使ったからだな?

 そして、その杖」


 先生の眼差しが、今度はミヤが手にするとこやみの杖へと向けられた。


「果たして、それを杖と呼んで良いものか、どうか……。

 見るもおぞましき、その禍々しさ……。

 なるほど、闇の魔法使いが手にするには、これ以上にふさわしき品はないかもしれん」


 彼が向けているのは、警戒の眼差し……。

 術が行使されるところを見るまでもなく、とこやみの杖が秘める危険性に勘付いたのだ。


「もはや、君を一人の学び手として見ることはできん。

 王国に……大陸に害をなす闇の魔法使いとして、対処するだけだ。

 悪根、摘み取るべし……」


 杖を構えた先生が、油断なくそれをこちらに向ける。

 そして、次の瞬間にはそれが振られ、呪文が唱えられた。


「――ゴフォージ」


 恐るべき速度で完成した魔術により、先生の周囲へ光の短剣がいくつも生み出される。

 それは、魔力によって構築された刃であり……。

 これが突き刺さった対象は、即座に生命力を奪われて行動不能となり、その場に縫い止められるのだ。

 光の防衛魔術に、相手を殺害する術は存在しない。

 その中で、これは極めてそれに近い――重罪と見込んだ相手にしか使用されない攻撃的な魔術であった。


「――っ!?

 テメリカ!」


 ギリギリのところで防御の術を発動できたのは、自分のことながら称賛すべきであろう。

 魔力によって形成された青き盾が、ミヤの眼前で光の短剣群を受け止める。


 ――ガキイイイイイン!


 金属同士の打ち合うような音が響き渡り、光の短剣は粉々に砕け散った。


「――ミヤ様!」


 ピエールが、悲鳴のような声で叫ぶ。


「よくも……!」


 忠実なる魔法生物は、主を攻撃された怒りに燃えたが……。


「下がって」


 それは制する。

 ゴフォージは、五芒星を描くような複雑な杖の動作が必要となる魔術であるが、カスペル先生はそれを見切らせることなく、ほぼ瞬間的に放ってみせた。

 不意を打ったならともかく、ピエールの出る幕がある相手ではない。


 とこやみの杖が補助する以上、単純な力比べでは自分に分がある。

 だが、技量という点では相手の方が遥かに上だ。

 これこそが、カスペル・リンドボリという教師の実力なのであった。


 ――イイイイイン!


 とこやみの杖が、催促するように鳴動する。

 闇の攻撃魔術でなければ対処できないと、そう言っているのだ。

 気は進まないが、それは正鵠を射ている。


「――ルガーロ」


 ゆえに、ミヤは杖を突き出しながら望み通りの術を放ったのであった。


「――テメリカ」


 先生はそれに対し、やはり俊敏極まりない動きで盾を展開する。

 だが、ただ盾を生み出したのではない。

 カスペル先生が作り出した盾は、極めて巧妙に角度を付けられており、それが魔法を受け止めるのではなく、受け流すことを可能としたのである。


 ――バッガアアアン!


 石壁にルガーロが直撃し、盛大な砂埃を生み出す。


「……これが他の先生たちを倒した魔術か。

 大した威力だが、真っ向から相手取るのみが対処法ではない」


 最小限の魔術で最大の効果を得た先生が、余裕を持ちながらそう宣言した。

 侮っていたつもりは、ない。

 だが、先生の実力はミヤが想定していたより遥かに上だ。


「ゴフォージ」


 先生が、やはり見切れぬほど素早い動きで光の短剣を生み出す。


 ――パキイイイイイン!


 それは、先ほど生み出しておいたミヤの盾と相殺し、共に砕け散った。


「ゴフォージ。

 ――ゴフォージ」


「て、テメリカ!」


 ――パキイイイイイン!


 先生が続け様に魔術を放ち、どうにか生み出すことに成功した盾がそれと相殺する。

 恐るべきことに、先生はミヤが基礎的な魔術を一つ使う間に、高等な魔術を二連続で叩き込んだのだ。

 だが、それは千日手となることを意味しない。


 何度も同じ攻防が続けば、技量で劣る自分が徐々に遅れを取るのは確実であり……。

 そもそも、今は一時を争う状況なのだ。


 ――イイイイイン!


 とこやみの杖が、さらに激しく鳴動する。

 どうしてだか、この杖は知っているのだ。

 ミヤが習得した魔術は、こんなものではないことを……。


「ゴフォージ。

 ――ゴフォージ」


 この状態が続けば、勝利は自分のものであると察しているのだろう。

 カスペル先生が、再度、ゴフォージの連撃を放つ。

 今度、ミヤがそれに対して放つのは、防御の術ではない。


 ――攻撃だ。


 放たれた光の短剣すら飲み込み、この場を蹂躙する術なのだ。

 六芒星を描くような動作で、杖を振るう。

 こんな状況であるというのに、ミヤの肉体は正確に動作し、必要な杖の動きを最短最速で完了させた。

 同時に、唱える。


「――ブレンサ」


 術が発動したのは、まさに光の短剣がミヤを貫く直前のことだ。

 杖の動きによって生じた六芒星の光から、漆黒の……それでいて、まばゆい稲光が荒れ狂う。

 それらは、ゴフォージの短剣群を飲み込み、ばかりか、それによってますますその太さを増し、カスペル先生に向かって襲いかかったのである。


「――むっ!?

 テメリカ!」


 先生が、再び角度を付けた盾での防御を試みた。

 だが、この術はそんな小手先の技術でどうこうできる代物ではない。


「うっ……おおっ!?」


 確かに、稲光の角度をわずかに逸らすことはかなったが、擦過した際の衝撃で先生は弾き飛ばされ、石壁へ叩きつけられたのだ。


「む……う……」


 打ちどころが悪かったか、それで先生は気を失い……。

 狙いを逸らされた雷の鞭は、無人の空間を存分に焼き尽くした後、消え去った。


 ――受けたのが先生でなければ、確実に死んでいた。


 その事実に戦慄しつつも、歩みを進める。

 この先には、全校生徒と教員の箒を収める保管庫があり……。

 さらに進めば、目指す発着場となる。


「さすがです! ミヤ様!」


「……行こう」


 無邪気にはしゃぐピエールと共に、そこを目指す。


「――ミヤ!」


 背後から声がかかったのは、その時であった。

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