脱走判明
罪悪感か……。
あるいは、使命感か……。
アルフォートがミヤと面会をしようと思い至った理由は、本人でも判然としない。
しかしながら、間違いないのはこれが、
――やらなければ、ならないこと。
……で、あるということであった。
今となっては、元という但し書きがつくものの、ミヤ・ドラコーンは彼にとって婚約者だった少女である。
学院に彼女が入学してから、最も接点を持っていたのは自分であるという自負があった。
それはつまり、彼女が闇の魔術を密かに研究していると気づきうるのが、自分を置いて他にいないということであり……。
もし、もっと早期に感づき、彼女を説得なりできていたのなら、事態はもっと穏便に解決していたかもしれないのである。
「すいません、ジョグ先生……。
僕のわがままに、付き合って頂いて……」
そのような想いを抱きながら、隣を歩く教師に話しかけた。
「いえ、殿下のお気持ちは分かります。
本当なら、自分が立ち会ったりはせず、二人だけで話をさせてあげたいのですが……」
赤髪の若き男性教師は、そう言って少し申し訳なさそうな顔をする。
「そんな……。
僕が元婚約者であったことを思えば、先生に立ち会わせるのは当然の判断です。
万が一、考えを変えて彼女を逃がすようなことになってしまったら、王家の威信そのものを揺るがしてしまいますから……。
それよりも、例の部屋を捜索するのに忙しい中、余計な手間をかけてしまって申し訳ないです」
自分が王子であることもあって、多分に気を使っているだろう青年教師に、あらためて謝罪の言葉を告げた。
「捜索……。
捜索、か……」
学院の廊下を出て、一階の大広間に入りながらジョグ先生が苦笑いを浮かべる。
「あの部屋は、それそのものが一つの工房であり、研究室であり、図書館でもあって……。
そんな中に、自分から語りかけてくる魔導書やら、禁制の品々やら、効果の想像がつかない魔法薬やらが山ほどあるわけですから、終わりが見えず気が滅入っていたところです。
正直、一時とはいえ離れる口実ができてほっとしてますよ」
それは、本音であるのだろう……。
普段は若者らしく、威勢よく生徒たちへ箒の飛行技術を叩き込んでいる先生が、少しだけ疲れているように見えた。
「一人きりであんな部屋にこもって、よく気がおかしくならなかったものだと、今さらながらミヤの非才さを感じているところですよ。
……本当に、もったいのないことだ」
心から残念そうにしながら、先生が先んじて地下への階段を下りていく。
ミヤが収容されている『静寂と静謐の部屋』へ通じているのは、唯一、この大広間からの階段のみであった。
ゲオグラーデ魔術学院の歴史と偉大さが一目で感じられる空間のすぐ下には、その校則を破った生徒に反省を促すための場が設けられているのである。
建物の構造へ、どうにも皮肉さを感じながら自分も階段を下りていく。
「な、何だこれは!?」
すると、一足先に地下へ降り立っていた先生が、驚きの言葉を発したのである。
「先生、どうしましたか?」
どうにもただならぬ様子を感じ、急いで会談を駆け下りた。
すると、その先で見たものは……。
「むー!? むー!?」
おそらく、スパイウェを使ったのだろう……。
「今、助けてやる!」
赤髪の教師がそう言いながら、腰の杖を引き抜く。
松の木で作られたそれは、芯材としてペガサスの羽根を私用している。
長さは四十センチほどで、持ち主の髪と同じ色をしており、柄頭を箒の形にしてあるのが飛行術の教師らしかった。
「――デパイテ!」
円を描くような動作でその杖を振るい、先生が呪文を唱える。
このデパイテという魔術は、テメリカと似て非なる術であり、すでに発動している魔術を解除する力があったが……。
「……消えない!?
何て強靭な魔法なんだ!」
それは、コボルトの拘束を解くどころか、魔力糸に弾かれ霧散してしまう。
最も得意としているのは箒の飛行術とはいえ、ジョグ先生の実力は確かであり、その解除術が通用しないのは瞠目に値すべきことであった。
「先生、僕も!」
「よし、お願いします!」
先生の隣に立ち、目配せして共に杖を振るう。
「「――デパイテ!」」
渾身の魔力を込めたそれが、さるぐつわとなっている糸を消失させる。
消失させたが、しかし、他の糸を消し去るまでには至らなかった。
その事実に、二人でがく然とする。
「ああ、ジョグ先生! アルフォート殿下!
助かりました! ありがとうございます!」
だが、当のコボルトにしてみれば随分と楽になったようで、磔となりながらもしきりに感謝の言葉を述べていた。
「いや……全てを消せなくて済まない」
「僕のことなんて、どうでもいいんです!
それより、中の生徒が……ミヤが、逃げ出しました!
おかしな化け物も一緒です!」
「何だって!?」
コボルトにそう言われ、『静寂と静謐の部屋』を見る。
なるほど、分厚いドアは開け放たれており……。
内部の空間には、誰一人として存在しなかった。
「ミヤは、見たこともない魔術で姿を消していました!
確か……そう、発着塔まで行くと言っていたはずです!」
「発着塔だって!?」
コボルトの言葉に、ジョグ先生が驚きの声を上げる。
発着塔とは、学院の最上部に存在する箒用の施設であり……。
そこへ向かっているということは、一つの事実を示していた。
「ミヤは、箒で脱出するつもりだ!」
「――くっ!」
アルフォートが叫ぶと、ジョグ先生は自分の杖を壁に当てる。
そして、そのまま複雑な動きでなぞった。
これは、教師にのみ使用可能な非常用の術である。
教師がこれをすると、学院が力を貸し、学院全体へその声を届けてくれるのだ。
『全教師へ通達します。
……ミヤ・ドラコーンが逃走しました!
彼女は、箒の発着塔へ向かっている模様です!
動ける教師たちは、すぐに守りを固めて下さい!』
その言葉を受けて、にわかに学院全体がざわついたのを肌で感じる。
ジョグ先生の言葉を聞いた教師たちが、すぐさま対処するために動き出し……。
同じく聞いた生徒たちもまた、驚き、騒ぎ始めたのであろう。
「殿下!
申し訳ありませんが、自分は行かせて頂きます!」
ジョグ先生がそう言いながら、先にも勝る複雑な動きで杖を振るい、壁をなぞった。
これもまた、教師にのみ使える術であり……。
要望に応えた学院が力を貸し、彼の体を消失させる。
この世から消えたわけではない。
彼の体を、瞬間移動させたのだ。
おそらくは、発着塔へ急行したに違いない。
「――僕も!」
杖を握り締めながら、階段を駆け上がる。
向かう先は、当然――発着塔。
何ができるかは分からないが、行かねばならぬと感じていた。
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