脱出開始

「……その杖は、使わない。

 しまって」


 ミヤが命じると、同じ顔になっているピエールがいかにも不服そうな顔となった。


「ですが、ミヤ様の杖を取り戻すのが難しいことは、ご自身で説明されたではないですか?

 それに、せっかく手元に置いてあったわけですし……。

 ボクはてっきり、聡明なミヤ様のことだから、こういった状況も見越して預けておいてくれたのかと」


 早口でまくし立てつつ、ちゃっかり主のことを持ち上げてくるピエールに、眉をしかめる。


「確かに、見越したと言えば見越していた。

 お前にその杖を預けておいたのは、万が一、あの部屋を誰かに発見された時、その杖が持ち出されないようにするためだったから」


 そして、その用心は功を奏したといえた。

 もし――十中八九そうであろうが――マリアが闇の魔法使いで、あの部屋に関して最初から知っていたのだとした場合、間違いなくこの杖を手に入れようとしていたはずなのである。

 だが、それはミヤ自身が杖の担い手となるためではなかった。


「その杖は、とこやみの杖は……あまりに強力過ぎる。

 どころか、使った人間を支配しようとさえしてくる。

 とてもではないけど、使うことはできない」


 強力な宝物というものは、しばしば使った人間自身を破滅に追いやる危険性を秘めているものであるが、これなる杖はその典型例であるといえるだろう。

 以前、一度だけ振るってみた時に感じたあの感覚……。

 外側から自分の意識が押しつぶされ、塗り替えられるような感覚は、二度と味わいたいものではなかった。


「……あの日記を残した魔法使い自身、普段はその杖を封印し、絶対に失敗できない場面でしか使用していない。

 力を渇望する闇の魔法使いですら、自制したくらいに危険な品」


 逆に言えば、この強大な杖を所持していながら、使用を自制できるだけの聡明さがあったからこそ、例の部屋を生み出した魔法使いは正体が露見することなく在学期間を終えられたのだろう。


「ミヤ様なら、きっと大丈夫です!

 いえ、ミヤ様以外には、きっとこの杖を使いこなせません!

 それに、本来の杖を取り戻すのが難しい以上、これを使う以外ありませんよ。

 他の生徒とかから杖を奪おうにも、普通、他人の杖を使うのは難しいって言ってたじゃないですか?」


 ピエールが言った通り……。

 魔法使いの杖とは、長き時をかけて自分に馴染ませ、育てていくものであり、他者のそれを借り受けようとも思うに術は行使できない。

 例えるならば、右利きの人間が左手で歯を磨くようなもので、そこにはどうしようもない違和感が生じてしまうのだ。

 ごく一部の、例外を除いては。


「……使うしか、ないのか」


 溜め息を吐き出しながら、その例外へ向けそっと手を伸ばす。

 そんな自分に、ピエールは手にした杖をうやうやしく差し出し……。

 ついに、指先が赤錆色の杖へと触れた。


「――っ!?」


 瞬間、ミヤを襲ったのは、脊髄へ異物が入り込んでくるかのような感覚である。

 指先から、腕……。

 腕から心臓を経由し、脊髄へと……。

 血流を辿るかのようにして、何かが流れ込み、ミヤの中へと居座ってくるのだ。


 これこそが、杖の意思である。

 ピエールと念話で話した時のように、はっきりとした言語でそれを伝えてくるわけではない。

 しかし、触れた指先から確実にミヤの中へと入り込み、根付こうとしているのであった。

 そして、カマキリの体内へ入り込んだハリガネムシが、宿主を水場へ誘うのと同じように……。

 少しずつ、ミヤの思考思想を染め上げ、自分好みの主へ育て上げようと目論んでいるのである。


「……いい気になるな。

 お前を使うのは、あくまで非常事態だからに過ぎない」


 手にした、自分には少しばかり長く感じる杖に向かって、そう呼びかける。


 ――ドクリ。


 ……という、心臓の鼓動にも似た反応が、とこやみの杖から返された。

 それがミヤには、「自分に溺れずにいられるならばやってみせろ」というあざけりとして感じられたのである。


「それでは、杖は手に入りましたね!

 次は、どうしましょうか?」


「……まずは脱出。

 この部屋を出た後は、学院の最上階……箒の発着塔へと向かう」


 元気を持て余しているのか、子犬のように体を動かしながら聞いてくるピエールへ、そう返す。


「承知致しました!」


 そんな自分に、忠実なる配下は敬礼と共に答えたのである。




--




「あ、用はお済みになりまし――」


「――スパイウェ」


 ドアを開くと同時に、使い慣れた光の防衛魔術を行使した。

 だが、自身の内奥から引き出された魔力は、振るう動作と共にとこやみの杖へ達すると風船のごとく膨れ上がり……。

 結果、発動した魔術はミヤが意図した以上の威力で放たれ、哀れな見張りのコボルトを腕といわず足といわず赤光しゃっこうの糸で拘束し、壁へと磔にしてしまったのである。


「むー!? むー!?」


 さるぐつわのような形で口までも封じられてしまったコボルトが、涙目になりながら何事かを訴えかけようとしていた。

 結果的には、騒がれて人が来るようなことにはならなくなったため、好都合である。

 好都合では、あるが……。


「……やはり、強力過ぎる。

 お前、私が意図した以上の威力にはするな」


 手にした杖に、そう呼びかけた。

 が、今度は何の反応もなく……。

 それが、無視を決め込まれているみたいでどうにも腹立たしい。


「ささ、ミヤ様! 急ぎましょう!」


 後から部屋を出たピエールにうながされ、気を取り直す。

 脱出を開始した以上、迅速に行動する必要があり、立ち止まって杖と問答している余裕はなかった。


「ピエール、私はあれを使う。

 お前は、自力で擬態しながら発着塔まで先導して」


「あれですね?

 承知致しました!」


 その所作が、気に入ったのだろうか?

 またも敬礼したピエールの姿が、どろりとした黒い液状へと変じ……。

 今度はそれが水たまりのごとく床に広まって、すう……と消え去る。

 体表の色を変化させ溶け込んでいるわけであるが、いつもながら見事という他にない。

 だが、これからミヤが行使する魔術もまた、それに負けず劣らずの魔術なのだ。


「――トージン」


 つま先から、頭のてっぺんに至るまでを包み込むような軌跡で杖を振るい、呪文を唱える。

 ただ、それだけだ。

 自分の主観からは、術が発動しているかは判断できない。


「むーっ!?」


 ――さすがはミヤ様! バッチリ消えてます!


 しかし、驚きうめくコボルトの反応とピエールからの念話で、部屋で習得した闇の魔術は問題なく発動し、自分の姿を他者からかき消しているのが知れたのである。


「よし、行こう」


 ――ボクからも姿が見えないので、念話で細かく指示を出して下さい。


 見えないので意味はないが、ピエールの言葉にうなずいて一歩踏み出す。


「むー!? むー!?」


「……ごめんね」


 磔状態でうめき続けるコボルトに、一言だけ謝っておいた。

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