とこやみの杖

 念話によって状況を伝えられていた時には、ハラハラとしたものであったが……。


「ミヤ様!

 ボク、やり遂げましたよ!」


 ドアが閉まると同時に、カスペル先生がそう言ったのを見てほっと胸を撫で下ろす。

 いや、目の前にいるのはあの厳格な教師ではない。

 姿形こそ、寸分の狂いはないが……。

 その実は、ミヤの忠実なる配下なのである。


「ありがとう、ピエール。

 それにしても、人間に化けさせたのは初めてだけど、見事なもの」


 まじまじとピエールの姿を見据え、感嘆の吐息を漏らす。

 もし、本物のカスペル先生と並べたところで、見分けのつく人間など存在はすまい。

 もっとも、演技力には大きな問題があるため、喋らせてしまえばすぐにバレることだろうが……。

 人手が足りないとはいえ、見張り役を大雑把なコボルトに任せておいてくれたのには、感謝するしかなかった。


「まあ、これがボクの能力ですから!」


 ピエールが、満面の笑みを浮かべながら胸を張ってみせる。

 ……どうでもいいが。


「……カスペル先生の顔と声でそうされていると、頭がおかしくなりそうになる。

 元の姿になって」


「えー!?

 こうして肉声でミヤ様と話せるの、すっごく楽しいんですけど」


「……とにかく、戻って」


「はーい」


 返事をするや否や、カスペル先生の姿になっていたピエールの頭からつま先までが、黒一色へと変じ……。

 同時に、どろりとその全身が溶けて、液体のようになる。

 だが、液状ではあるものの、粘性は非常に強く……。

 ミヤの背丈ほどもある球体になると、黒光りする表面をぶよぶよと波立たせた。


「また少し大きくなった?

 出会った時は、試験管の中へ収まるくらいの大きさだったのに」


 ――ミヤ様の愛情を受けたおかげです。


 元の姿に戻り、発声器官を失ったピエールが念話で応じる。

 ピエールは、イミテーターと呼ばれる人造の魔法生物だ。


 例の部屋に残されていた試験管の中で、休眠状態のまま保管されていたのであった。

 その封印を解き、育て、今に至る……。

 考えようによっては、ミヤは主というよりも母であるのかもしれなかった。

 といっとも、十三歳という若さで母親になるのはごめんだが……。


 ――でも、やっぱり念話だと情緒がないですね。


 ――誰か、適当な人間の姿でも借りていいですか?


「それなら、私の姿を使えばいい」


 ――ええ!?


 ミヤとしては、一番簡単で手頃な提案をしたつもりであったが、ピエールは大げさに驚いた。


 ――そんな恐れ多いこと、いいんですか!?


「構わない。

 ああ、でも紛らわしいから、髪の色は金に。瞳は青。

 眼鏡も無しで」


 ――承知しました!


 答えると同時に、ぶよぶよとした球体だったピエールが、再びその姿を変えていく。

 今度、ピエールが化けたのは、オーダー通りに髪と瞳の色が異なるミヤのそっくりさんであった。


 これこそが、イミテーターの能力。

 ピエールは、体積の許す範囲でならどのような姿にも化けることが可能なのだ。

 とはいえ、その生物が持つ種族的な能力までは真似できないため、例えば竜の姿を借りても炎を吐いたりはできない。

 また、平べったく体を伸ばした状態で周囲の景色に溶け込み、壁といわず天井といわず這いずり回ったりといった芸当も可能であり、ここまで自由に動き回れたのもそれが理由であった。


「出来ました! どうですか!? どうですか!?」


 自分の声を客観的に聞くと、こうなるのか……。

 とはいえ、自分のものよりは少々元気であろう声を聞きながら、あることを思いつく。


「胸」


「胸ですか?」


「もう少し大きく」


「分かりました!」


 元気一杯にピエールが答えると、その胸が一気に大きくなる。

 だが、頭部ほどもある大きさは、さすがに釣り合いが悪いと思えた。


「もう少し小さ目に」


「大きすぎましたか。

 では、適当なところで止めてください」


 ピエールの胸が、少しずつ膨らみを減らしていく。


「止めて。

 ……そう、その大きさと形でいい」


 やがて、大きすぎず、けれど主張ははっきりとしている段階に至ったので、そこで固定させた。


「いい……。

 これからは、これを基本形態にしよう」


「承知致しました!

 ミヤ様を元にした姿なんて、光栄です!」


 ひらひらとスカートをなびかせながらはしゃぐピエールの姿を見ていると、何やらやり遂げたような気分になる。

 何となく男の子扱いしていたが、これからは彼ではなく、彼女として扱ってもいいかもしれない。

 そもそも、性別が存在する生物ではなく、本人の性自認も曖昧なのだ。

 うん、それがいい。そうしよう。


「それで、ミヤ様。

 これから、どうしましょうか?」


 ピエールに問いかけられ、少し考え込む。


「今すぐにマリアを問いただしたい気持ちはあるけど、現実的ではない。

 それに、問題は彼女以外にもおそらく複数、闇の魔法使いがいること……。

 だから、まずは学院を脱出して行動の自由を得る。

 そのためには……」


 言の葉にすると、不思議と考えがまとまっていくもので、一気にやるべきことが見えてくる。

 そして今、最初に着手すべきことは……。


「……杖がいる。

 何としてでも、必要」


 このことであった。

 ミヤの愛用している杖は、魔法使いのそれとしては最小最短の部類に入るこしらえであるが、やはり、取り上げられて以来は腰が寂しくて仕方がない。

 魔法使いにとって、杖とは術の発動を補助する道具である以上に、自分自身の一部であるということだ。


「杖ですか……。

 残念ながら、どこに保管されているのかまでは……。

 ミヤ様には、心当たりがありますか?」


 ピエールに問われ、あごへ手を当てながら考え込む。

 何しろ、入学以来、学年主席の座を誰にも譲ってこなかったミヤであり、杖が取り上げられるような懲罰を受けたことはない。

 そのため、昼食時など、他の生徒が世間話として話しているのを横から聞いただけであるが……。


「……確か、罰を与えるために取り上げた杖は、職員室に保管されていた……はず」


「なら、決まりですね!

 早速、そこへ向かいましょう!」


 気楽に言ってくれるピエールへ、難色を示す。


「……職員室は、常に見張りのゴーストたちが守っている。

 杖のない状態で、守りを突破するのは難しい」


「なら、ミヤ様にはどこかへ隠れててもらって、ボクが盗み出してくるというのは?」


「上手く隠れていられる自信がないし、もし、問題用紙とかを保管している金庫へ入れられていたら、お前には開けることができない」


「お手上げじゃないですか……。

 ――あ、そうだ」


 そんな風に話していると、何かへ気づいたようにピエールが手を打つ。

 そして、自分の胸へと片手をかざした。


 ――ずぶり。


 手をかざした部分が一時的に元の黒い液状へ戻り、そこから何かが吐き出される。

 果たして、ピエールが手にした物……。

 それは、一本の杖であった。


 長さは、三十八センチ。

 素材として用いられているのは、エルダートレントの枝であり、表面からは匂い立つほどに濃厚な魔力が感じられる。

 芯材は、バジリスクの外眼筋がいがんきん

 それがゆえだろうか、杖そのものがこちらを覗き込んでいるかのような錯覚に陥ってしまう。

 いや、錯覚ではないか……。

 装飾としていくつかの節が存在する赤錆色の杖は、実際、己の意思を有しているのだから……。


 ――とこやみの杖。


 あの部屋に保管されていた、宝物であった。

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