おかしな先生

 普段、ゲオグラーデ魔術学院の内部は、生徒たちが教師に質問する声や、時には魔法実習で使用された魔術の音が騒がしく響き渡るものであり……。

 それを思えば、今現在の静けさは、まるで学院が死んでしまったかのようである。

 優れた聴力を誇るコボルトにしてみれば、いっそうその思いが強かった。


 だが、それも致し方がないだろう。

 教師たちは、そのほとんどが、女子寮に存在するという秘密の部屋の捜索に当たっており……。

 教え導く者が不在となった結果、生徒たちは自室での自主勉強を言い渡されているのだから。


「それもこれも、この女子生徒が原因か……」


 暇つぶしに読んでいた本から顔を上げ、『静寂と静謐の部屋』を見やる。

 分厚いドアの先は、自分が見張りを命じられたここ以上に静かな世界となっており……。

 そこでは、闇の攻撃魔術を習得したという少女が、囚人のごとく囚われているのだ。


「困っちゃうよな。

 見張りなんて言っても、退屈なだけだし……」


 他に聞く者がいない気楽さから、そう独りごちる。

 彼らコボルトは雑用係として雇われており、様々な授業や催しが行われる学院において、なくてはならぬ労働力であった。

 それはつまり、授業や催しがなければやることがないということであり、見張りや捜査の手伝いを命じられた者以外は、カード遊びなどに興じているのである。


「僕も、カードとかで皆と遊んでたいな……」


 ――チャリリ。


 腰に下げた鍵をいじりながら、なおも愚痴った。

 『静寂と静謐の部屋』を開くための鍵は、鎖で厳重に腰のベルトへ繋がれており、万が一にも紛失することがないよう配慮されている。

 肉球が備わった毛むくじゃらの手でいじっても、この鍵が退屈を誤魔化す話し相手になってくれることはなかった。


「ふむ……どうやら、退屈で死にそうといった様子だな?」


「びえっ!?」


 突如としてかけられた声に、思わず粗末な椅子から立ち上がる。

 振り返ると、そこにいたのは一人の教師であった。


 枯れ木のように細身な中年男は、波立った黒髪にいくらか白いものが混ざっており……。

 その眼差しは冷たく、どこまでも厳格なものである。


 ――カスペル・リンドボリ。


 生徒たちにも、コボルトたちにも……あるいは、同僚の教師たちからも恐れられている、光の防衛魔術教師であった。

 それにしても、防衛魔術の達人であるとは知っていたが、コボルトの耳にすら足音を聞こえさせないとは……!


「か、カカカ、カスペル先生!」


 後ずさりながら、彼の名を呼ぶ。

 我知らず、頭頂部の耳がぺたりと伏せり、お尻の尾は丸まって股の間へと挟まってしまう。

 直立した犬に服を着せたような種族のコボルトであるが、このような時に見せる生理反応もまた、犬のそれに順じているのだ。


「そう、恐れることはない。

 私は常日頃から、生徒やお前たちコボルトに好かれる存在であろうと、そう心がけているのだ。

 なあ?」


 カスペル先生がそう言いながら、にかりと笑ってみせる。


 ――怖い!


 ――絶対に怖い!


 普段は根暗さすら感じられる彼が口角を上げてみせると、親しみやすさよりも不気味さが勝った。

 だが、そんな本音を漏らすわけにもいかず……。


「あ、あはは……。

 え、笑顔も大変素敵でいらっしゃいます」


 毛むくじゃらの手で揉み手をしながら、お世辞で返す。

 どこの世界においても、上役の機嫌を損ねないというのは大事であった。


「そ、それでどうしたんですか?

 次の食事を与えるのには、まだ早いと思いますけど……?」


 さておき、気になったことを尋ねる。

 現在、学院の教師陣は多忙を極めており……。

 光の防衛魔術においては右に出る者のいないカスペル先生もまた、秘密の部屋を捜査するにあたってなくてはならぬ戦力のはずであった。


「用……?

 用か……。

 あー……」


 一体、どうしたというのだろうか?

 黒髪の教師が、何やら遠いところを見ながら考え込む。


「……用がなければ、来てはいけないのかな?」


 そして、その果てにこんなことを言い出したのである。


「いや、来てはいけないなんてことはありませんけど……。

 え? 何の用もなしに、わざわざこんなとこまで来たんですか?」


 そう言いながら、首をかしげてしまう。

 何やら、おかしな漫才の相方にされてしまったような気分であった。

 その時である。


「む……!?」


 突然、カスペル先生が何かへ気づいたかのように険しい顔をした。


「はい……。

 あ、分かりました。

 いえ、すいません!」


 それから、虚空に向けてぺこぺこと頭を下げ続けたのである。

 どうも、何かと話しているかのようであるが、傍から見ればただの一人芝居だ。


 ――カスペル先生って、こんな変な人だったかな?


 疑問はますます深まり、首だけでなく、胴体までかしげてしまう。

 そんな風にして見ていると、何かとの会話を終えた先生が、きりりとした顔になった。


「そう……要件があったのだ!」


「ええ!?

 さっきまで、そんな感じはありませんでしたけど?」


 急に真面目な顔で実は用があったと告げられ、困惑してしまう。


「それに、一体どんな要件なんですか?」


「一言では伝えられない……。

 ただ、非常に重要な要件だ。

 そう――世界の存亡がかかっているくらいに!」


「せ、世界の存亡!?」


 いきなり話が大きくなり、思わず声を大きくしてしまった。

 しかし……。


「そんな重要な用事なのに、さっきまで匂わせもしてなかったんですか?」


 しごく当然な疑問が浮かび上がり、そう尋ねる。


「そ、それはだな……」


 先生はしばし、言い淀んだが……。


「ド忘れしていたのだ!」


 やがて、胸を張ってそう言い放った。


「世界の存亡がかかってるくらいなのにですか?」


「仕方があるまい……そう、年なのだ!」


 まだ三十代だろう教師が、堂々とそう言い張る。


「はあ……そうですか」


 どうにも不審感は拭えないが、それを口にして不興を買うのも嫌なので、とりあえずうなずいておいた。


「それで、結局、要件とは何なんですか?

 僕はどうすれば?」


「うむ……。

 とりあえず、その部屋の鍵を開けてくれ」


「鍵を……?

 中の生徒に、用があるんですか?」


「そうなのだ。

 詳しいことは話せないが」


 中に囚われた、ミヤという生徒への用事……。

 なるほど、それを言われると、重要な案件なのではないかと思い直せる。

 もしかしたら、例の部屋を調査するにあたって何かの不都合が起き、彼女からの情報を必要としているのかもしれない。


 人間というものは、おかしく感じたことでも脳内で埋め合わせをしてしまうもので、それはコボルトも同じであった。


「……分かりました。

 そういうことなら、今、開けますね」


 腰のベルトと鎖で繋がった鍵を取り出し、『静寂と静謐の部屋』にかけられた鍵を開ける。


「ご苦労」


 カスペル先生はそう言うと、いそいそとドアの先へ消えて行った。

 その様子が、やけに急いでいるようなのが印象的ではあったが……。


「何だか、今日の先生は変だなあ」


 細かいことを気にしないのはコボルトの種族的特徴であり、彼もまた、その程度で済ませてしまったのである。

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