ピエール

 耳障りな音に耐え抜いて食事を終え、『静寂と静謐の部屋』に一人残されたミヤは、再び瞑想を始めたが……。

 今度のそれは、先までに比べると見るから不完全なものとなった。

 他でもなく、先に知らされた事実が心を波立たせているのである。


 ――日記が見つからなかった?


 ――なら、考えられる可能性は……。


 深い集中を半ば諦め、数少ない情報から推理を行う。

 そうしていると、ミヤの思考へ割って入るモノが現れた。


 ――ミヤ様。


 ――ミヤ様。


 ――ボクの声が聞こえますか? ミヤ様。


 待っていた……あるいは、無事を祈っていたモノの声が脳裏に響いたことで、そっとほほ笑みを浮かべる。


 ――ピエール、お前は無事だったのね。


 そして、心の一部を開き、そう語りかけた。


 ――はい。ミヤ様が前日の内に森へ出しておいて下さったおかげです。


 ――さすがはミヤ様。こうなることを、予期されていたのですね?


 何かにつけては過剰に主を持ち上げるピエールの言葉に、苦笑いを浮かべてしまう。


 ――違う。ただの偶然。


 ――あの夜は部屋へ行く予定がなかったから、あなたにご飯をあげられなかった。


 ――だから、自分で調達してもらっただけ。


 ――そもそも、予想してたらこんなことになってない。


 否定の意思を伝えると、ピエールのかぶりを振った様子が伝わってくる。


 ――ならば、ミヤ様は運すらも味方につけておられるのです。


 ――このような状況下でも、意識せず希望を残してしまうとは……さすがミヤ様!


 ピエールの持ち上げぶりは、留まるところを知らない。

 ばかりか、ちゃっかりと自身を希望として扱っている自信満々さに、ますます苦笑いを浮かべた。

 とはいえ、実際のところ、今のミヤにとって彼こそが頼みの綱であるのは事実なのだ。

 ……何をどうするにしても。


 ――ピエール。外が今、どのように動いているかを知りたい。


 ――お任せ下さい。そうおっしゃると思い、先んじて偵察をしてまいりました。


 我が意を得たりとばかりにピエールが答え、それから心の中へ語りかけてくる。

 そこで、彼が語った内容……。

 それはつい先ほどまで、学院の会議室で行われていたという話し合いについてであった。


 ピエールは、決してうぬぼれが過ぎるわけではない。

 鉄壁の守りを誇る会議室へ誰にも知られることなく侵入し、情報を持ち帰ることに成功しているのだから……。


 ――ありがとう。お前のおかげで、大体の状況が掴めた。


 だが、あまり褒めすぎると調子に乗りそうな気もするので、労いはほどほどにしておく。


 ――ミヤ様にそこまで言って頂けるとは……!


 ――ボク……ボク! 感激の至りです!


 だが、それでも十分すぎるくらいだったようで、彼の歓喜がこちらの心までをも震わせてきた。


 ――……とにかく、情報を整理して考える。


 理由はよく分からないが、何やら恥ずかしくなってきたので、咳払いをするような心境でそう告げる。

 今、伝えてもらった情報から導き出せる結論。

 それは……。


 ――マリアは、闇の魔法使いだと思う。


 これであった。


 ――ボクも、その可能性を考えていました。


 ――校長先生が言う通り、第三者がたまたまその状況であの部屋に入り、日記を持ち去ったというのは考えづらいです。


 ピエールの言葉に、心中でうなずく。


 ――だとすると、マリアがあの日記に記されていた闇の勢力に属すると考えるのが自然。


 ――もしかしたら、あの部屋についても最初から知っていたのかもしれない。


 ミヤの推測に、ピエールが同意する。


 ――本当は、自分があの部屋を使いたかった。ところが、先にミヤ様があの部屋を使ってしまっていた。


 ――ミヤ様、マリアというのはどういう生徒なのですか?


 ピエールに問われ、普段の彼女について思い出す。


 ――平民出身だけど、誰とでも仲良くなれる子だった。私にもよく自分で焼いたクッキーとかをくれてた。ピエールも食べたことがある。


 ――あれは、そのマリアという娘が焼いたものだったのですか。


 あの味を思い出したのだろう……。

 ピエールは、心底驚いたようだった。

 彼は甘い物を好むが、学友からもらったと言って渡したクッキーは特に喜んでいたのだ。


 ――そう、本当にいい子。


 ――今になって思えば、出来すぎているくらいに。


 思えば、あまり人付き合いの良い方ではない自分が、彼女に対しては随分と気を許していたように思う。

 あの、やわらかな人間性……。

 あれがもし、生まれ持ってのものではなく、演じたものなのだとしたら……。


 ――それに、親類に闇の魔法使いがいるなら、平民出身でありながら魔術の素養があったのもうなずける。


 ――実際は、ただの平民ではなく魔法使いの血筋だったわけですね。


 ミヤの推測に、ピエールが同意を示した。


 ――大戦以来、闇の魔法使いたちは、破壊の力だけでなく、この社会に解け込むための術を磨いていった。


 ――マリアがそれらを習得しているなら、既存の読心術は簡単に誤魔化せる。


 ――もし、先生たちがあの部屋に残された魔導書を読み解いたならば、そのことを知れるはずだけど……。


 ミヤ自身、望みは薄いと思っていたが、ピエールの返答は、やはり否定的なものである。


 ――難しいかと。


 ――会議室へ入り込む前にあの部屋も覗いてきましたが、先生方は内容を確認することもなく、次から次へと封印していました。


 ――ひょっとしたなら、今頃はもう燃やしているかもしれません。


 ミヤ自身、その可能性は高いと思えたので、うなずく他にない。

 現在の魔法使いが闇の攻撃魔術に抱いている恐怖心は、一種、病的なほどであり……。

 例え、知識の一端であろうとも、触れようとするとは思えなかった。


 ――……私が、何とかするしかない。


 ――ミヤ様が立ち上がるのですか?


 ――そうしないと、殿下も……陛下すらも殺されてしまうかもしれない。


 ――ですが、その王子はミヤ様を見捨てたのですよ?


 ――関係ない。人々のために、私がやらないと。


 これは譲れぬ一線であり、ピエールがどう言おうとも、考えを変える気はない。

 そんなミヤの頑固さが、伝わったのだろう。


 ――ミヤ様がそうおっしゃるのでしたら、ボクはお手伝いするだけです。


 不承不承といった様子ではあるが、そう言ってくれたのである。


 ――それで、お前は今どこにいるの?


 高い知性を持つピエールと使い魔の契約を結ぶことは不可能だ。

 そのため、彼とは念話の術で結びついているものの……これは、そう遠い距離にまで影響を及ぼすことができない。

 ゆえに、かなり近くにいるはずなのだが……。


 ――ミヤ様が囚われている部屋のすぐ近くです。


 果たして、返事は望んだものであった。


 ――なら、私を出してほしい。


 ――今は、トラバーユ監獄に捕らえられている場合ではない。


 忠実なる配下へ、オーダーを出す。


 ――お安い御用です。


 彼はそれに、二つ返事で答えたのであった。

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