闇の王

 ――まるで、国中の人間がここへ押しかけたかのような。


 理性ではあり得ぬと分かっている錯覚を、しかし、抱いてしまうのがこの光術祭という行事の賑わいであった。

 右を向けば人がおり……。

 左を向けば、やはり人がいる……。

 ならば、空を見上げればどうなのかというと、学院上空では箒にまたがった生徒や教師が縦横無尽に飛び回っており、列の形成や来場客の誘導を行っているのだ。


「学院内では、決して走らないでください!」


「係の人間が誘導するので、それに従い、一定の感覚を維持して移動してください!」


 空から誘導する者たちの表情が真剣なのは当然で、過去、この祭りでは飽和状態が起きた際、押しつぶされる形で死人が出たこともある。

 そのような痛ましい事件を踏まえ、誰もがこの祭りを楽しめるよう、学院中が神経を尖らせているのだった。


「毎年のことながら、大したものだよな。

 ……今年は特に、多い気がする」


 マリアを伴い、学院の廊下を歩きながら、アルフォートはそうつぶやく。


「本当に……。

 箒で飛んでこられる魔法使いならともかく、今年はそうでない方の来場も非常に多いのだとか……」


 思い出すようにあごへ指を当てたマリアが、そう言って同意を示す。


「竜カゴも、他への経路を減らしてまで、学院との往復便を増やしてるって話だものな」


 ――竜カゴ。


 飼い慣らした竜が吊るす巨大なカゴへ大勢で乗り合い、所定の場所まで運送してもらう商売のことを思い出しながら、噂で聞いた話を語った。

 事実、窓から外を見れば、大型の竜が胴体から吊り下げた巨大なカゴを揺らさぬよう、慎重に飛行しながら学院へと向かってきており……。

 これは、平日ならば存在しない便なのである。


「竜カゴ……ちょっとだけ、憧れる気持ちがあるかもしれません」


 そう言いながら窓を見るマリアに、少し不思議な気持ちが湧く。


「飛行術の授業で箒に乗るだろう?

 自分で乗れるなら、あんなものを使う必要はないじゃないか?」


「そうなんですけど……。

 竜カゴって、庶民からすればかなりの運賃を取られるので、わたしは今まで縁がなかったんです。

 その……あまり裕福ではなかったので」


 そう言われて、来場客たちの姿を見る。

 なるほど、貴族である魔法使い以外の客たちも、それなりに身だしなみの整った姿をしており……。

 このバティーニュ王国において、少なくとも、中流階級以上の人間であることがうかがえた。

 国中の人間が集まったかと錯覚するようなこの催しであるが、真実としては、一定以上の豊かさを持つ人間にのみ開かれているということだろう。

 何とも言えぬ気持ちになって、少し口ごもる。


「ごめんなさい、わたしったら……。

 でも、そうですよね。

 箒で空を飛ぶのに比べたら、竜カゴなんて……。

 遠くからでは分かりませんけど、きっと、あのカゴでは人がぎゅうぎゅう詰めになっていて、とても落ち着けないでしょうし」


 彼女がそう言ってほほ笑んでくれたので、ほっと胸を撫で下ろした。


「そうだね。

 カゴの中には椅子とかも用意されてるらしいけど、きっと、大半の客は立ちっぱなしで運ばれるんだろうな」


「そう考えると、魔力を持って生まれられたことに感謝です。

 こうして、お祭りを見て回ることもできますし……」


「ああ。

 まずは闘技場の方に急ごう。

 校長先生が、どんな余興をやるのか……。

 きっと、来場者が多いのも、それが理由だろうし」


 あるいは、生徒が闇の攻撃魔術を習得していたという醜聞により、注目が高まっているのか……。

 そのことは飲み込んで、アルフォートはマリアと共に闘技場へ向かったのである。




--




 最大で五万人近くは収容可能なゲオグラーデの円形闘技場であるが、学院の施設である関係上、その席が全て埋まるというのは非常に稀であり……。

 今日は、その数少ない事例の一つであるといえた。

 観客席には、何をやるのか内容も秘されている校長の余興を見るべく、隙間なく人々が座っており……。

 ヴィタリー・トラフキンという偉大な魔法使いの登場を、今か今かと待ち望んでいたのである。


 ゆえに、校長が老齢に見合わぬ見事な箒捌きで空中から現れ、闘技場内へ設けられた舞台に立った時は、万雷の拍手が彼を包み込んだのであった。

 しかも、舞台に降り立ったのは彼のみではない……。

 国王シャルル・バティーニュまでもが、ヴィタリーと反対側から箒で飛翔し、彼の隣へと降り立ったのだ。


 国王がこの場へ姿を現すことは、完全に秘されており……。

 観客の全てが、驚きどよめく。

 実の息子であるアルフォートまでもがそうであったのだから、この試みは成功であるといってよいだろう。


『静粛に。静粛に』


 まずは、国王シャルルが魔法で拡張された声を用い、騒ぐ観客たちに呼びかける。

 それで、ようやく静けさが戻った。


『まずは、この場へ招待してくれた親愛なる校長先生……。

 ヴィタリー・トラフキン殿に礼を』


 そう言って、国王が優雅な一礼を校長に披露する。

 二人は、国政と魔術、双方の頂点に君臨する立場であったが……。

 今のみは、かつての昔……学生だったシャルルと、一教師だったヴィタリーへ戻ったように思えた。

 礼を終えた国王が、観衆へと向き直る。


『さて、このように登場したが、実のところ、何をするのかというところまでは、聞かされていない。

 かつて、教師だった時代も、こちらにおられる我が師はこのような茶目っ気を出し、我々生徒を驚かせてくれたものだ』


 この言葉で、人々がくすりとした笑い声を漏らす。

 今となっては、想像する他にないが……。

 きっと、ほがらかで楽しい授業であったに違いない。


『それでは、校長先生……。

 本日は、どのようにして我々を驚かせ、また、楽しませてくれるのでしょうか?』


 校長の方を振り向いた国王が、弁舌の機会を明け渡す。

 それを受けて、最も偉大な魔法使いは軽く咳をしながら、観衆を見回した。

 そして、告げる。


『皆さん……。

 先日、我が愛すべき学院で生徒の一人が闇の魔術を習得していたことが判明し、のみならず、先生方を負傷させて脱走したことは、ご存知でしょう』


 しん……とした静寂が、円形闘技場に立ち込めた。


 ――まさか、この場でそのことへ触れるとは。


 誰もが、そう思ったからである。

 校長先生は、そんな彼らを見上げながら、安心させるようにほほ笑んでみせた。

 長き時を生き、精神的には大樹のごとき境地へ至っている彼がそうすると、不思議と心が安らぐものであり……。

 人々は、次なる言葉を聞くべく姿勢を正す。

 だが、続く演説はあまりに意外なものであった。


『ですが、恐れることはありません。

 生徒の一人が、闇の攻撃魔術を学んでいた……。

 このようなことなど、何も驚く必要はないのです』


 ――ざわり。


 ――ざわ。ざわ。


 落ち着いていたはずの観客たちが、困惑にざわめき始める。


 ――何も驚く必要がないとは、どういうことか?


 皆が皆、そのように思っていたからだ。

 しかも、そう語り始めた校長の表情……。

 これが、徐々に変わり始めていた。

 温厚な笑みは、消え去り。

 その瞳は、冷たく……見据えられたなら、視線だけで命を奪われそうな迫力が宿っているのである。

 もはや、明らかに誰もが知るヴィタリー・トラフキンではない。


『校長先生……。

 一体、何を?』


 舞台上にいた国王が、彼に問いかけたが……。


『――ブレンサ』


 返ってきたのは、言葉ではなく……。

 恐るべき魔術だったのである。


『――おおおおおっ!?』


 視認することすら困難な杖捌きで発動した魔術は、漆黒の稲妻となって国王に襲いかかる。

 こんなものを受けては、ひとたまりもなく……。

 国王は、全身に深い火傷を負った状態で膝をついた。


『そう……何も驚く必要はない。

 わしこそ、闇の魔法使いを率いる新たな王、その人なのだから』


 国王を見下ろしながら、校長は……。

 本性を表した闇の魔法使いが、そう宣言したのである。

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