ヴィタリー・トラフキン

 ゲオグラーデ魔術学院最大の行事である光術祭には、同校を卒業した国内の魔法使いのみならず、周辺国の魔法使いも数多く来場している。

 しかしながら、たった今、ヴィタリーが放った魔術は、彼ら正統な魔法使いにとっては見たことのないそれであった。

 だが、かつての魔法大戦時代を生き抜いた高齢者のみは、己の目で見た光景に震え上がっていたのである。


 他でもない……。

 今の術は、かつての昔に闇の魔法使いたちが使用し、幾人もの人間を亡き者としたそれに酷似していたからであった。


『ふふん……。

 今の術を見て、驚いた者もいよう?

 そう……これこそは、我が師の生み出した闇の攻撃魔術に連なる魔法である』


 ヴィタリーはそう言い放つと、膝立ちの状態で苦しそうにうめく国王の顔面へ蹴りを放つ。


『ぐあっ!?』


 しょせんは、老人の力であり、見た目にも大した威力があるとは思えぬ。

 だが、先の雷撃により深手を負った国王がこれに耐えられるはずもなく、無様に舞台上を転がる羽目になった。


「――父上っ!」


 これを見て、黙っていられるアルフォートではない。

 観客席から立ち上がり、ともかく舞台へ走り出そうと勢い込んだが……。


「キレーア」


 それを阻んだのが、隣に座っていたマリアの突き出した杖である。

 いや、これはもはや、ただの杖ではない……。

 彼女の杖は、桜を素材とし、芯材にグリフォンの羽を用いた二十センチほどの、ごくごく平凡な品であったはず……。

 それが今は、長剣ほどもある光を発し、アルフォートの喉元へ押し当てるように向けられているのだ。


 ――もし、これが喉に当てられたら、死ぬ。


 生物としての生存本能が、その解を導き出す。

 一見すれば、これは単なる光の棒……。

 しかし、その殺傷力は真剣のそれを上回るに違いない。


「ま、マリア……」


 ぎくりと動きを止めた状態で、眼球のみを動かして隣を見る。


「動くんじゃないよ」


 光の剣で自分を制する少女の瞳も表情も、どこまでも冷たく……。

 街角で、誰にも気づかれず咲く花のような素朴さは、完全に消え去っていた。


「あんたはここで、馬鹿みたいに黙って座ってりゃいいんだ。

 余計なことしようと、しゃしゃり出るんじゃないよ」


 その口調も、完全に普段のマリアではない。

 おおよそ、アルフォートとは関わり合いのない人種……。

 スレた人間が用いそうな、それであった。

 異変が起きたのは、アルフォートの周囲のみではなかった。


「――うわっ!?」


「――きゃあっ!?」


「――な、何だお前たちは!?」


 闘技場内の、そこかしこに……。

 どこから現れたのか、いかにも荒んだ格好をした者たちが、姿を現したのである。

 こやつらは、単なる暴漢のたぐいではない……。

 その証拠に、それぞれが杖を手にしており、しかも、これを使い慣れているのが所作で分かった。


 明らかな、招かれざる者たち……。

 これに対し、各所へ配置された学院の教師たちや、警備として動員された王国の魔法使いが見せた反応は、素早い。


「――スパイウェ!」


 それぞれが杖を引き抜くと、光の防衛魔術を放ったのである。

 防衛魔術としては最も初歩的なこの術であるが、外した際に周囲へ人的被害が出ないことを考えれば、最善の選択であったといえるだろう。

 だが、彼らが立ち向かいし者たちは、そのような術で立ち向かえるような存在ではなかったのだ。


「――ルガーロ!」


 謎の魔法使いたちが、拳を振り抜くような動作と共に、誰も知らぬ術を放つ。

 それは、目に見える魔術ではない。

 しかし、スパイウェによって生み出された赤光しゃっこうの魔法糸が、次々と引きちぎられていくのを見れば、これは空圧の拳が放たれているのだと分かった。


「――テメリカッ!」


 すかさず、教師や警備の魔法使いたちも、魔法の盾を展開してこれに対抗する。

 ……が、


 ――パリイイイィィン!


 生み出された青き光の盾は、空圧の拳をいささかも留めることなく、ガラスのような音と共に砕け散ったのだ。

 守りの障壁が砕ければ、後は生身の魔法使いが晒されるばかり……。


「――うおっ!?」


「――ぐあっ!?」


「――きゃあっ!?」


 悪漢たちが放った魔術に、警備も観客も、魔法使いも非魔法使いも区別はない。

 絶大な威力を誇る空圧拳は、爆ぜるようにして多数の人間を巻き込み、これを昏倒させた。


「今のは……!」


 アルフォートは、これなる魔術に覚えがある。

 あの時は、杖を使わずに行使していたが……。

 確かに、ミヤが使った――闇の攻撃魔術だ。


『皆の者、動くな。

 ……我らが術の威力は、今ので分かっただろう?』


 とまどい、慌てふためく観衆にヴィタリーが呼びかける。

 その声は、どこまでも愉快そうであり、暗く、深い渇望が満たされたことへの喜びに満ちていた。

 そのまま、ヴィタリーが倒れる王の方を見る。


『ここにいる王が原型を留めているのは、わしが手加減してやったからに過ぎない。

 別に、かつての教え子だから情けをかけてやったわけではない……。

 存分に痛ぶり、苦しめてやるためだ』


 恐ろしき魔法使いはそう言うと、王の脇腹に蹴りをくれたのだ。


『げえっ!?』


「父上!」


「動くなっつってんだろう!」


 父の悲鳴を聴き、反射的に身じろぎしたアルフォートの脇腹へ、マリアの蹴りが突き刺さる。

 それは、十三歳の少女が放ったとは思えぬほど、鋭い一撃であり……。


「がはっ!?」


 苦しみ、咳き込みながら、倒れるようにして着席する他なかった。


「そうそう、それでいい」


 満足そうにうなずいたマリアが、眼下の舞台に向けて手を振る。

 すると、それを見たヴィタリーが観衆に向けて再び語り出した。


『学院の教師諸君!

 並びに、王国から派遣された魔法使いたちよ……。

 諸君らが忠誠を捧げる王の命は、見ての通りこのわしが握っており……。

 そして、その息子たるアルフォート王子の命もまた、我が配下の手にある。

 余計な動きをして、わしらの不興を買わぬことだな。

 もっとも……』


 と、そこでヴィタリーは杖を見て、うっとりとした顔になる。

 果たして、その杖は、普段ヴィタリーが腰に差しているそれではなかった。

 一体、いかなる樹木を材料とし、どのような生物の、どんな部位を芯材にしたのだろうか……。

 装飾としていくつかの節が設けられた赤錆色の杖は、見るからに禍々しい雰囲気を放っており……。

 まるで、杖そのものが邪悪な意思を宿しているかのようだ。


『……この、とこやみの杖があれば、この場にいる全員を殺すことも、そう難しくはないのだがな』


 校長の言葉に、おそらく嘘はない。

 ただでさえ、最強の魔法使いである彼が、邪悪な杖の力でさらに強化されていることを、魔法使いの本能が感じさせるのである。


『い、一体……どういうつもりだ?』


 魔術を受け、その上で痛ぶられようとも、さすがは一国の王か……。

 苦しそうにうめきながらも、王がそう尋ねた。


『どういうつもり、か……。

 シャルル君、君には言っていなかったがね。

 わしは、君の苦しむ顔を見るのが大好きなのだよ。

 そういえば、十五年ほど前……。

 双子として生まれた弟の方が、生後まもない内にさらわれた時の君は、実に見ものだった。

 世間には、生まれた赤子の存在ごと事件を隠し……。

 わしに対して、そのことを相談する……。

 赤子を誘拐させた張本人が、このわしであることも知らずにな』


 衝撃の事実に、観衆はおろか、アルフォートすらも驚愕の顔を浮かべた。


「僕が双子……?

 弟がいた……?」


 そして、それが真実であることは、倒れるシャルル王の顔を見れば一目瞭然だったのである。


『き、貴様あ……!』


『もっとも、その企みも我が愚かな女弟子のせいで無駄に終わったが。

 探索を命じたとこやみの杖は秘匿し、赤子をさらわせれば、その赤子ごと姿を消す。

 まったく、女というのは解せぬものよ……。

 そういえば、わしを困らせた愚かな女は、もう一人いたなあ?』


 そう言いながら、ヴィタリーが闘技場の片隅を見た。

 そこは、出場する選手などが出入りするための場所であり……。

 彼が目をやると、そこから老魔法使いに杖で突かれながら、一人の少女が姿を現したのだ。


「ミヤ……」


 かつての婚約者を、見間違うはずもなかった。

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