奪還

 さるぐつわを噛まされているわけでも、手足を縛られているわけでもない。

 だが、ミヤを後ろから杖で突き動かしている老人が、ヴィタリーの……闇の魔法使いの仲間であることは、疑いようもなく……。

 だとすれば、その杖は凶器そのものであり、丸腰の少女が抵抗することなどできようはずもなかった。


「あれは……」


「ミヤさん……」


「そういえば、聞いた話では、彼女が闇の攻撃魔術に手を出したのは、闇の魔法使いへ対抗するためだと……」


「こうなると、その言葉は正しかったということか……」


 観衆に混ざっていた、ゲオグラーデの生徒たちが、次々にそうつぶやく。


「本当に、闇の魔法使いたちは生き残っていたんだ」


「しかも、まさかその親玉がヴィタリー校長だったなんて……!」


 それで学外の来客たちも、彼女が何者であるかを知り……。

 多くの者は新聞鳥経由で事情を知っていたため、そのようなことをささやき合った。


「ミヤ……」


 マリアから光の――おそらくは剣を突きつけられたアルフォートも、その名をつぶやく。

 あの時……。

 発着塔で、自分は彼女に何と言ったか?

 もし、ミヤの言うことを全面的に信じていれば、今、このような状況になってはいなかったのではないか?

 その思いが、胸中を支配していた。


 だが、現実として、正体を巧みに隠していた闇の魔法使いにより、父王と自分は生殺与奪を握られているのだ。

 ばかりか、たった今、判明した事実によれば、自分は生まれてすぐの内に、本来存在した弟を奪われているのである。


 何という――滑稽。

 それを事前に防ごうとしていた少女もまた、眼下で虜囚となっていた。

 おそらくは、自分たちの無理解が原因で、だ。


『やあ、ミヤ君。よく来てくれたね』


 そんな少女を、恐るべき魔法使いは舞台上で迎え入れる。

 老魔法使いに背後から杖で突かれ、ミヤも渋々とそこに上がった。


『この杖――』


 愛おしそうに杖を撫でながら、ヴィタリーが語り始める。

 杖に向けた眼差しはうっとりとしており、まるで恋人に向けるそれのようであった。


『――とこやみの杖は、かつて魔王とも恐れられたわしの師が生み出した逸品でね。

 これを奪われたのが、彼の敗因であったといえる。

 だが、奪った側もその絶大な力に惹かれたのだろう……。

 破壊するのではなく、隠したというのは僥倖だった。

 ならば、探し出せばいいだけだからね。

 とはいえ、探索には、随分と時間がかかった……。

 そして、いざ隠し場所が見つかって、信頼する弟子へ取りに活かせたら、裏切られ、別の場所へ隠されたのだから、いやはや……。

 しかも、我が足元とも呼べる場所に移していたとはね』


 大げさな動きで肩をすくめるヴィタリーに、ミヤがいぶかしげな視線を向ける。


『……あなたは、あの部屋の存在を知らなかったの?』


『そう、知らなかったのさ。

 一応、学院の中はわし自らが一通り調べたのだがね。

 多くの貴族子女が暮らす女子寮というのは、立ち入るわけにもいかないし、そもそも、わしの君臨する学院に隠すというのはあり得ぬという思いがあった。

 マリアを学院に潜り込ませたのは、何か別のことに使えぬかという算段だったのだよ。

 だから、そんな部屋を見つけたと報告された時は、心底から驚いたものだ。

 もっとも……』


 杖を愛でながら語っていたヴィタリーは、そこでふとミヤに目を向けた。

 その視線は、傍から見ても冷たく鋭いものであり……。

 内に秘めた狂気と危険性が、感じられるものだ。


『肝心の杖は、君が隠してしまっていたのだがね。

 同じく持ち出されていた、わしの実験作……。

 イミテーターにでも、預けていたのかな?』


 ミヤはこの問いかけに、沈黙で応じる。

 それを、答えとみたか……。


『ふん……まあいい』


 ヴィタリーは鼻を鳴らしながら、そう言ったのである。


『ともかく、とこやみの杖は我が手に握られた。

 これでもう、何者をも恐れる必要はない!

 かつて、我が師ですら成し得なかった大願……。

 闇の魔法使いによる支配を、このわしが成し遂げようぞ!

 ……手始めに、だ』


 新たな魔王たらんとする闇の魔法使いは、手にしたとこやみの杖を軽く振るう。

 ただそれだけの動作であり、呪文も唱えられてはいない。

 だが、魔術は確かに発現し、金縛りにあったかのように動けなくなったミヤを空中に浮かべたのだ。


 学院の校長にまで上り詰めたヴィタリーの実力……。

 そして、とこやみの杖が持つ力が合わされば、術の発動は限りなく短縮されるのであろう。


『うっ……うう……』


 苦しそうにうめくミヤの声が、闘技場内に響き渡る。


『恐れる必要はない。

 痛みは一瞬だ。

 ミヤ君……君には、我が覇道の第一歩を彩る生け贄として、この場で華を咲かせてもらおう。

 君の心臓、生き血、爆ぜ散った肉体の全てが、この学院を飲み込む呪いとなって、我々にふさわしい居城へと変貌させるのだ』


 果たして、いつの間にこんなものを仕込んでいたのか……。

 見れば、闘技場に設けられた舞台の全面に複雑怪奇な魔法陣が出現し、しかも、それは魔力を通され、禍々しい光が放たれているではないか。

 おそらくは、ミヤの命を糧に発現する大規模な儀式魔法であり……。

 ヴィタリーの技量と、とこやみの杖をもって発動すれば、たった今、語られた通りの効果を発揮する違いない。


『さあ! 皆の者よ!

 しかと見るがいい!

 諸君は、新たな歴史が始まるその生き証人となるのだ!』


 興奮したヴィタリーが、踊るような仕草を交えながら杖を振るう。


『レム、ゴル、アル、クウ、テフ……』


 同時にささやかれる詠唱は、聞くだけで怖気が走るような生理的嫌悪感をもたらす発音だった。


 ――どうにかせねばならない。


 誰もがそう感じながらも、動けない。

 新たな魔王が各所に配した手勢は、驚異的な力の持ち主であり……。

 立ち向かえば、死することとなるだろう。

 そうと分かって動ける者は、ここに皆無であった。


『アギ、プフ、ズゴ、バウ……』


 ヴィタリーの詠唱が、いよいよ最高潮に達していく。

 儀式が、完成しようとしているのだ。

 その証拠に、動きを止めたかつての校長が、総仕上げとばかりに杖をかざしたが……。

 そこへ、割って入る者が現れた。


「「――ブレンサ!」」


 舞台のすぐそば……。

 きめ細かな川砂が敷かれている他には、何もないはずの場所から、先にも見た漆黒の稲妻が、しかも二条放たれたのである。

 同時に、姿を現したのは仮面を着けた謎の少年……。

 そして、闇の魔法使いたちとそっくりな姿をした男だ。

 共に杖のみならず、箒も携えており、これは魔法使いとしての完全装備である。


 完全に不意を打った攻撃……。

 これに即応したのは、第一線を退いてなお、ヴィタリーが衰えていなかったことの証左だ。

 だが……。


『ぬうううううっ!?』


 とこやみの杖をかざしたヴィタリーが、苦しそうにうめく。

 今、放たれた黒雷は彼の眼前で静止し、球体状へまとめられつつあった。

 ほんの一瞬前まで、大規模な儀式魔法を執り行っており……。

 杖の動作も詠唱もなく、半ば気合いだけで受け止めているのだ。

 いかに、ヴィタリーが当代一の魔法使いであり、とこやみの杖による強化があろうとも、これが限界ということであった。


「我が君!」


 ミヤをここへ連れてきた老魔法使いが、突然の襲撃へ対処すべく杖を引き抜く。

 しかし、それが振るわれることはなかった。


「――ぬう!?_

 い、イミテーターか!?」


 どろりとした粘液質の液体が、虚空からにじみ出すように姿を現し……。

 老魔法使いの全身を、締め付けたからである。


「ピエール! いいぞ!」


 黒雷を放つ魔法使いの内、仮面を着けた少年の方が叫ぶ。


「おおおおおおおおおおっ!」


 そして、雷を放った状態のまま、舞台上に向けて駆け出したのだ。


『うっ……!?

 お、おのれ!』


 叫ぶヴィタリーであるが、魔術を食い止めるのが精一杯で動くことはできない。


『てりゃあっ!』


 そこへ、ついに至近距離への接近を果たした少年が、鋭い蹴りを放った。


『ぐうえっ!?』


 老体でこれを喰らってはたまらず、ヴィタリーがゴロゴロと舞台上を転がる。

 それでも、とこやみの杖を手放さかったのは、彼の執念であろう。

 少年の蹴りによって狙いを逸らされた黒雷は、あらぬ方向へ飛び去り……。

 次いで、舞台上で発動しつつあった儀式魔法も霧散する。

 どうやら、ミヤにかけられていた術も解けたようで……。


『おっと』


 落ちてきた少女を、少年は軽々と受け止めた。


『返してもらったぜ!』


 そして、少女を抱きかかえたままそう宣言したのである。

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