秘術

「イル……」


 舞台にかかっていた拡声の魔法も、効力を失ったのだろう。

 普通に戻った声量で、自分を抱える少年に呼びかける。


「悪いな、遅くなっちまって。

 獲物を狩る瞬間の動物ってのは、他に対して無防備なもんだ。

 その隙を、突きたかった」


 仮面に覆われた中、唯一見えている口元に笑みを浮かべながら、イルがそう言った。


「余裕こいてる場合じゃねえ!

 手筈通り、さっさとずらかるぞ!」


 そう叫んだのはヒルデスで、彼はピエールにより身動きを封じられたルボスに駆け寄ると、手にした箒で殴りかかり、これを昏倒させる。

 絶体絶命の窮地が一転、好機へと転じた。

 これは何も、舞台上でのみ起こった出来事ではない。

 観客席のそこかしこで、これまで恐怖に震えていた人々が動いたのだ。




--




「――スパイウェ!」


 ある魔法使いは、普段使う機会のない防衛魔術を必死に行使し……。


「――この野郎!」


 魔力を持たぬ平民は、しかし、腕っぷしでならば勝機があると見て殴りかかる。

 一人、二人がそうしたのではない。

 生存本能が連鎖したのか、闇の魔法使いが制圧する付近にいた多くの者が、そのような行動に出たのだ。

 こうなると、いかに闇の魔法使いが恐るべき攻撃魔術を修めていたとしても、たまったものではない。


 そもそも、彼らは観客に対して圧倒的に少数であり……。

 気を張り、周囲の動き全てに警戒していたならばまだしも、舞台上の動きに気を取られ、隙を見せてしまっては魔術を振るう暇もなかったのだ。


「――ぐあっ!?」


「――く、くそ!?」


 ある者は赤光しゃっこうの魔力糸で絡め取られ、またある者は、多人数でのしかかられるようにして鎮圧された。

 ミヤたちは知る由もないが、その中にはあのゲルマンも混ざっていたのである。

 そして、それはマリアも同じ……。


「――スパイウェ!」


 一瞬の隙を突き、アルフォートが魔術を放つ。

 床すれすれで放たれたそれは、マリアの足を拘束し……。


「スパイウェ!

 ――スパイウェ!」


 連続して放った魔力糸が、重心を崩され光剣を振るえなかったマリアをがんじ絡めにした。


「ち、畜生……!

 このクソ王子が……!」


 本性を現し、口汚くののしる彼女に、アルフォートが疲れたような溜め息を吐く。


「君のお菓子は、美味しかったよ」


 そして、そう告げると再び眼下に目をやったのであった。




--




「ミヤ、乗れ!」


「ん……」


 イルにうながされ、彼の乗っていた箒へと二人乗りになる。

 見れば、舞台下では同じようにして、ヒルデスと、人間体になったピエールが飛び立とうとしていた。

 このまま、逃亡は成功するかと思えたが……。


「――レイグ」


 起き上がったヴィタリーが、とこやみの杖でバツの字を書くようにしながら呪文を放つ。


 ――レイグ。


 これは、追尾型の光弾を放つ闇の攻撃魔術である。

 だが、生み出された光弾の数ときたら……。

 十や二十では、きくまい。

 拳ほどもある光球が、ヴィタリーの周囲を包み込むようにして生み出されたのだ。

 達人にとこやみの杖が持つ増幅能力が合わさると、このようなこともできるのである。


「おいおい、マジか……!」


 つぶやきながら、イルが箒を飛ばす。

 後方では、ヒルデスも同じように上空へ飛び立っていた。

 そこからは、追いかけっこだ。

 一つ一つが箒を破壊するに十分な威力を持った光弾と、立体的な軌道を描いての追跡戦が始まったのである。


 イルもヒルデスも、よく箒を操ったといってよい。

 だが、ともかく光弾の数は圧倒的であり……。

 イルは箒の下部に一発をもらい、ヒルデスとピエールは本人たちがこれの直撃を受け、墜落したのである。


「ミヤ!」


「――――――っ!?」


 回避を試みる内に、気が付けば低空を飛んでいたのが不幸中の幸いか……。

 悲鳴を上げることもできずにいるミヤを、イルが抱え上げながら着地した。

 一方、ヒルデスとピエールはそのまま闘技場に敷かれた川砂の上へと墜落しており……。

 どうやら、気絶しているのか、起き上がってくる様子はない。

 数を重視したのか、見た目には致命傷となる傷は負っていなかったようであり……。

 やわらかな川砂が、落下の衝撃を吸収してくれたことを祈る他になかった。


「ガキ共……!

 やってくれたのう……!」


 もはや、邪悪な本性をつくろう気もなくなったのか、憤怒の形相となったヴィタリーが一歩、また一歩とミヤたちの方へと近づいてくる。

 そして、舞台の端からこちらを見下ろしたのだ。


「もはや、儀式はどうでもいい……。

 ――死ね!

 ただ死ぬがいい!」


「――くそっ!」


 瞬間、イルは腰の杖を引き抜き……。

 ミヤはその手に、自分の両手を重ねた。


「ミヤ?」


「信じて、力を貸して」


 その短い言葉で、イルは脱力してこちらに身を任せ……。

 杖のないミヤは彼の手と杖を用い、逆三角形を描くような動きを取らせる。

 それから、ささやくように詠唱した。


「……ルスパ」


「ブレンサアアアアアア!」


 ヴィタリーの描いた六芒星から、極太の黒雷が生み出され、奔流となってミヤたちに襲いかかる。

 だが、それが自分たちを焼き尽くすことは――ない。

 ミヤたちの眼前で、魔力が鏡面のごとき逆三角形を形成し……。

 それが、漆黒の稲妻を飲み込み始めたのだ。


「これは……!?」


 自らの手と杖を使い生み出された術に、イルが驚愕の叫びを上げる。

 それも当然のことだろう……。

 これなる術は、光の防衛魔術にも、闇の攻撃魔術にも属していない。

 完全なる、ミヤ独自の秘術であるのだ。


「闇の攻撃魔術を吸収し、反射する……!

 それが、この術の効果……!」


 イルと共に、鏡面へ魔力を注ぎ込みながら、端的にその効果を説明する。

 これこそは、半年間でミヤが編み出した闇の攻撃魔術への対抗策。


 既存の防衛魔術では、到底太刀打ちできなく……。

 かといって、同じ闇の攻撃魔術を習得するだけでは、同じ土俵に立つのが限界。

 ゆえに、ミヤは相手の攻撃そのものを利用し、襲いかかる魔術が強力であればあるほど、こちらにとって有利となるこの術を編み出したのだ。


 ヒルデスやゲルマンとの戦いでは、白兵戦が主体となったために、使う機会はなかった。

 だが、老齢ゆえに飛び道具へ頼らざるを得ず、また、自らの魔力ととこやみの杖を絶対視しているヴィタリー相手ならば……!

 唯一、誤算があったとすれば……。


「ほおおう?

 これはまた、わしですら知らぬ術よ。

 ミヤ君。君自身がこれを編み出したのかね?

 どうやら、我が術を吸収している様子……。

 さしずめ、こちらの術を吸収し、跳ね返す術法といったところか。

 こんなものを生み出すとは……その年齢で大闘技大会を制したことといい、つくづく恐ろしい才能よ。

 ――だが!」


 六芒星から漆黒の稲妻を吐き出し続けるヴィタリーが、余裕の笑みを浮かべた。

 ミヤたちが生み出した鏡面……。

 それが、徐々にたわみ、膨張し始めたのを見て取ったからである。


「ミ、ミヤ……!

 このままじゃ……!」


「とこやみの杖による増幅が、強力過ぎる……!

 術が、割れる……!」


 二人で必死に魔力を込め続けるも、鏡面が限界を迎えつつあるのは明らかだ。

 だが、その時……。

 せめぎ合う三者に、呼びかける者があったのである。


『ヴィタリー先生……。

 かつての我が師よ……』


 上方から響いた声に、術を維持しながらも思わず上を見た。

 そこに、浮かんでいた者……。

 彼女を見て、イルはこうつぶやいたのである。


「母さん……」

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