決着

 上空から、せめぎ合う三者を見下ろすようにしている人物……。

 彼女が、思念体や霊体に近い存在であることは、一見して判別することができた。


 学院の職員室を守護するゴーストたち……。

 彼らに、雰囲気がそっくりだったからである。

 全体的に地味な――しかし、間違いなく正統な魔法使いとしての格好をしており……。

 イルに向けられる眼差しは、慈愛に満ちたものだった。


『イル……。

 あなたに対して、語らねばならないことはいくらでもあります。

 ですが、今は……』


 イルから母と呼ばれた女性の眼差しが、魔術を放ち続けるヴィタリーに向けられる。

 イルに対してのそれとは対照的に、そこにははっきりとした敵意が宿っていた。


『ヴィタリー先生……。

 あなたを倒すのが先決です』


「不肖の弟子よ。

 死してなお、わしの邪魔をするか……!」


 女性を見上げたヴィタリーの顔が、憎々しそうに歪む。

 おおらくは、彼女こそヴィタリーがとこやみの杖探索を命じたという弟子。

 やはり、イルの語る母とは、あの部屋を使っていたのと同一人物だったのだ。


『もちろんです。

 決して、あなたの思うようにはさせません。

 ですが、立ち向かうのもこれで終わり……。

 我が師ヴィタリー。

 あなたは今日、この時をもって滅するのです』


 ヴィタリーを見据えた女性が、決然とそう言い放った。


「ふん……」


 それを受けて、新たな魔王は鼻で笑ってみせる。

 問答を続けながらも、ミヤたちに撃ち放つ魔術はいささかも威力を衰えさせておらず、その技量とそこなしの魔力……。

 そして、とこやみの杖が持つ力を思い知れた。


「昔から君は、冗談を言うのが下手だったが……死しても、それは健在だね。

 一体、どうやってこのわしを滅しようというのかね?

 ただ最強の魔法使いというだけではない……。

 とこやみの杖という至宝を手にした、このわしを……」


 ヴィタリーの言葉に……。

 女性が、薄い笑みを浮かべてみせる。

 それは、間違いなく勝利を確信した笑みであったのだ。


『先生……。

 私が遺したこの思念体……。

 一体、どこから発されているとお思いですか?』


「ああん……?」


 女性の言葉に、ヴィタリーは怪訝そうな声を発したが……。

 ミヤだけは、その意味を理解することができた。

 忘れるべき森へと到達した、あの時……。

 そこまで導いてくれた思念体を、生み出したのは……。


「――こ、これはっ!?」


 瞬間、魔術を放ち続けていたヴィタリーが、驚愕の表情を浮かべる。

 他でもない……。

 彼の手にするとこやみの杖が、バチバチという音を立てながら、込められた魔力を持ち主へ逆流させ始めたのだ。

 こうなっては、たまらない。


「お、おおおおおっ!?」


 本来ならば、黒雷として敵を焼き尽くすだろう魔力……。

 それが自分の指を焼き焦がしたので、さすがのヴィタリーも杖を手放さずにはいられなかった。


「くっうううっ……!?」


 右手の指を押さえながら、闇の首魁が苦しそうにうめく。

 おそらく、杖を手にしていた右手の指は、焼け焦げ使い物にならなくなっていることだろう。


「き、貴様あ……っ!?」


『用心深いあなたのことです。

 普段なら、このような罠は見抜いていたことでしょう。

 ですが……自分で苦労し、手に入れた物は、無条件で信用してしまいますよね?』


「お、織り込み済みであったというのか……!?

 とこやみの杖が、巡り巡ってわしの手元にくるということを……!?」


『杖に対するあなたの執着を思えば、それは当然の帰結でした。

 成すと決めたことを、必ず成し遂げる……。

 あなたの精神性に関しては、弟子である私が誰よりもよく存じ上げています。

 ……ところで。

 そのように、私の方ばかり見ていていいのですか?』


「――はっ!?」


 ハッとするヴィタリーであるが、もう遅い。

 魔力の逆流により、杖を手放したその瞬間から闇の雷は消え去っており……。

 今は、それを吸収したミヤたちの鏡面が、これを解き放つべく膨れ上がっていたのだ。


「イル……!」


「ああ……。

 やるぞ! ミヤ!」


 ほんの一瞬……二人で、互いの顔を見合わせ。

 そして、渾身の魔力を眼前の術に注ぎ込んだ。

 受け止め続けた、恐るべき威力の黒雷……。

 それが、一気に解き放たれる。


「――うっ!?」


「――くあっ!?」


 もし、目を開き続けていたならば、ミヤとイルの両目は焼かれていたに違いない。

 解き放った結果、生まれたのは、地上に生まれた太陽と形容すべき閃光だ。

 狙いなど、到底付けられたものではない。

 だが、一直線に吐き出されたそれは、自らに力を与えた魔法使いに直進し……。

 これに直撃したのが、手応えとして伝わった。


「ぐあ――」


 最後に聞こえた悲鳴は、あまりにあっけない。

 閃光が消え去ったのを感じて、恐る恐る目を開く……。

 果たして、そこに出現していたのは……。

 巨大な、穴であった。


 ヴィタリーが立ってい舞台……。

 それが丸々消滅し、代わりに、同じくらいの大きさを持つ大穴が形成されていたのである。

 しかも、穴の表面部はあまりの熱量によってガラス化を果たしており……。

 瞬間的に生まれた熱量というものを、感じることができた。


「やった……」


 こうなっては、もはや遺体を確認することもできないが……。

 新たな魔王として君臨しようとした魔法使いが、執着した杖もろともこの世界から消え去ったのは、疑う余地もあるまい。


『自身が磨き抜いた魔術……。

 追い求め続けた杖……。

 その二つを己が身に浴びて、滅んだのです。

 あなたにとっては、本望だったことでしょう』


 どこか、物悲しげな表情を浮かべながら……。

 空中に浮いた女性の思念体が、そう告げる。


「母さん……」


 そんな彼女に、駆け寄る者がいた。

 他でもない……。

 仮面の少年――イルである。


「母さん! 急に俺を置いて、どこへ行っちまったんだ!?

 い、いや、それより……。

 もう死んじまっているっていうのは、本当なのか!?」


 思念体の足元に駆け寄ったイルが、女性を見上げながら尋ねた。

 そんな彼に、女性は寂しそうな笑みを浮かべながらうなずいたのである。


『その通り……。

 本当の母は、すでにヴィタリーへ挑み、死んでいます。

 全ては、彼を油断させ、この勝利へと導くため……必要な手順でした。

 そして、思念を宿したとこやみの杖が消滅した今、この私もまもなく消え去ります』


「そんな……。

 せっかく、また会えたのに!」


 嘆く仮面の少年と同じ地点に、女性が降り立つ。

 そして、触れられぬ指をそっと彼の仮面に押し当てた。


『どうか……母を許してください。

 いいえ、許してというならば……。

 あなたを本来あるべき場所から連れ出し、そうと名乗れぬ身でありながら、母として振る舞ったことを許してください』


「母さん……。

 何を言ってるんだ?」


 イルの問いかけには答えず、女性が仮面をそっとなぞる。

 実体なき、思念による接触。

 しかし、それは確かな効果を発揮し……決して外れなかった、彼の仮面がぽとりと地面に落ちたのだ。

 そうして現れた顔は……。


『イル……かわいいイル。

 ですが、あなたは私のイルではありません。

 この国にもう一人存在する王子――イルナート・バティーニュです』


 バティーニュ王国の王子、アルフォートと瓜二つのものであった。

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