イルの提案
「ああ、スープ食ったのか?
どうだ? 美味かったか?」
「はい! すっごく美味しかったです!
何というか、こう……刺激的な味!」
「あれは、この森で採れたハーブと乳ヤシの汁を使って作るんだ。
母さんから教わった調理法なんだぜ。
ミヤはどうだ? 口にあったか?」
「……とても美味しかった。
でも、勝手に食べてしまって申し訳ない。
どうか、お詫びをさせてほしい」
「気にすんなって!
腹、減ってたんだろ?
それを知ったら、どっちみち食わせてやっていたさ」
イルと名乗った少年……。
不気味な仮面を着けている上、闇の攻撃魔術まで習得しているが、これが何とも人懐っこい。
向こうからすれば、ミヤたちはいきなり現れた侵入者であるはずだが、そんなことは気にせず、極めてほがらかに話しかけてくるのだ。
「それにしても、ピエールはどの辺が人間じゃないんだ?
どこからどう見ても、人間の……女に見えるけど?」
「こんな風に、体を作り変えられるんですよ」
「うお!?」
ピエールが右腕からもう一本腕を生やしてみせると、何か漬けているらしい樽を椅子代わりにしていたイルが、大げさに身をのけぞらせる。
「びっくりした……。
スライムの仲間みたいなもんか?
まあでも、話せるし人間みたいなもんだな。確かに!」
だが、細かい――そう細かいことではない気もするが――ことは気にしないのか、そう言って快活に笑う。
万事が、この調子だ。
こちらの名前は、当然のように呼び捨て。
仮面に覆われていない口元は、常に笑みを浮かべている。
ミヤに犬を飼った経験はないが、親戚の家で飼われていた犬は、このような感じで、人間と見れば誰でも友達と言わんばかりの態度であった。
「ミヤは……」
こちらの心中で犬扱いされている少年が、そうとは知らずに無遠慮な視線を向けてくる。
どうやら、椅子に腰かけたミヤの全身を、まじまじと観察しているようだったが……。
「……どうやら、俺と同じ男のようだな!」
特に胸の辺りを見て納得したらしく、そう結論づけて笑みを浮かべた。
「――ルガーロ」
「――うぐあ!?」
仮面はなかなか頑丈な造りをしているらしく、正面から空圧の拳を食らったイルが、顔を押さえながら悶絶する。
手加減し、杖を使わず発動したのは、ミヤの冷静さであった。
冷静な人間はこんなことしないというのは、禁句だ。
「……ぶち殺すぞ。ゴミが」
「俺、何か悪いこと言った!?」
言ったのである。
「見ての通り、私は女性」
「え、でもお前……胸が」
「――ルガーロ」
「――でぃあ!」
再度の空圧拳は、俊敏な横転により回避された。
例によって杖は使わず、手加減を加えた一撃がむなしく壁にぶち当たり、霧散する。
「……次、同じことを言ったら杖も使って全力で放つ。
見ての通り、私はスカートを履いている。
問答無用で、女」
「そういうもんなのか……。
そういえば、母さんもそういうの履いてたな。
それって、女だと履くやつだったのか……」
床に膝立ちとなったイルが、どこかズレたことを言いながら立ち上がった。
「いや、そういうことなら済まなかったな。
悪いことしちまった」
「いや、悪いことと言うなら、こちらはあなたの食事を勝手に食べてしまっている。
少し怒りすぎた。申し訳ない」
「だから、気にすんなって。
……いや。
そういうことなら、今のとで相殺ってことにしようぜ。
それなら、お互い気にせず済むしな」
「そうしてもらえると、ありがたい」
詫びも済んだところで……。
再び樽へ腰かけた少年に、気になっていたことを尋ねることにする。
この調子で会話の主導権を譲っていると、延々としょうもないやり取りを繰り広げることになりかねなかった。
「ところで、さっきからあなたの話に出てくる母親……」
「なんだよ。イルでいいぜ。水臭い」
どこに水臭さを感じればいいのかは知らないが、ともかく続ける。
「その、母親の幻に私が導かれて、ここへ来たとして……」
「絶対に間違いないって!
結界の合言葉まで知ってたんだからさ!」
「………………」
先程までの会話で、薄々は感じていたことだが……。
人好きではあるようだが、別に対人能力が高いわけではないらしく、こちらの話へ無遠慮に割り込む。
いや、これは……そもそも、他人と会ったことがないのか?
スカートのことすら知らなかったことや、その他様々なことからそう結論づけつつ、聞くべきことを聞いた。
「その、母親に会うことは可能?」
ミヤの質問……。
それに対して、イルが見せた反応は劇的なものである。
何とも言えず、しょんぼりとした風になると、樽へ坐りながら肩を落としてしまったのだ。
「母さんか……。
会う方法があるなら、俺の方こそ知りたいぜ」
そう言って、仮面のふちをついとなぞる。
「母さんは、俺をここで育てながら色々なことを教えてくれた。
魔術に料理、狩りの仕方や薬の作り方……本当に、色々だ。
それで、三年前くらいだったかな?
ある日、寝ている俺にこの仮面を勝手に着けると、置き手紙を残してどこかへ行っちまった」
「その仮面、イルが自分で着けてるわけじゃないんですか?」
さっそく、彼をイルと呼び始めたピエールが尋ねると、彼は肩をすくめてみせた。
「そんなこと、しないさ。
これ、外したくても外れないんだ。
変な魔法がかかってる」
仮面を指差したイルが、苦笑いを浮かべる。
そして、そのままそれを外そうとしてみせた。
……が、仮面が外れる気配はない。
見ていても、彼が力を抜いている様子はなく……。
真実、外すことがかなわないのだと納得できる。
「まあ、かゆくなったり蒸れたりすることもないし、俺の成長に合わせて大きくなってくれてるみたいだから、不便はないんだけどさ」
「手紙には、何と書いてあった?」
「あなたはもう、一人で立派に生きていけるので、母は成すべきことを成しに行きます。
その仮面は、ふさわしき時、外れることでしょう。
――てさ」
おそらく、問題の手紙は何度も読み返したのだろう。
すらすらと答えたイルが、再び肩をすくめる。
「手がかり、なくなっちゃいましたねー。
イルのお母さん、多分、ボクにとっても生みの親だと思うんですけどー」
「何?
どういうことだ? 母さんは人間だぞ?
人間って、人間以外の生き物も生み出せるのか?」
「それは……」
何やら、おかしな勘違いをしそうな雰囲気だったので……。
ミヤは訂正すると共に、自分たちの事情を語り始めた。
学院の女子寮で見つけた部屋のこと……。
そこに残されていた、ピエールを始めとする様々なもの……。
その部屋を使っていたのが、おそらくイルの言う母親であること……。
最後に――闇の魔法使いが、邪悪な存在であるということを。
「魔術を身に着けたくらいで悪者扱いって、外の世界は変わってるんだなー」
ミヤの説明に対し、当の闇の魔法使いが発した言葉は実に軽いものであった。
それから、樽の上で行儀悪く足の裏同士を合わせつつ、こう言ってきたのである。
「俺は、物心ついた時からこの森で母さんと二人暮らしだったんだけどさ……。
母さんは、優しい人だったぜ?
自分のことだけじゃなくて、周りの全てを慈しめるような人間になれって、そう言ってた。
外の世界じゃ、そういう人間が悪人なのか?」
「それは……ない」
あの部屋に残されていた魔導書や違法な品の数々……。
それに、消失した日記へ記されていた恨み言の数々……。
そういったものから受けた印象と、イルの語る人物像は確かに大きく乖離したものであった。
「だろ?
まあ、俺にとっていい母親なんだから、外でどう思われようと関係ないんだけどさ。
それで、ミヤたちは母さんと会って、どうするつもりだったんだ?」
「えーと、それはですね……」
――ピエール、私が話す。
念話でしもべを制し、自らが口を開く。
「……日記の内容から考えると、イルの母親には仲間がいるらしい。
私たちは、そいつらに関しての情報が欲しい。イルの母親はともかく、そっちは悪人の可能性が高いから……。
もしかしたら、イルの母親は改心して仲違いしたのかもしれない。
それなら、こんな森で人目を避けて暮らしていた理由も説明がつく」
「なるほどなー。
まあ、確かに、あんまり昔のことは話してくれなかったな。
せいぜい、学院ってところに通ってたってことくらいだ」
納得したらしいイルが、何やら考え込んだ。
そして、こう提案してきたのである。
「なら、しばらくここで暮らさないか?」
「え、いいんですか?」
飛びついたピエールに、イルは軽くうなずく。
「ああ、多分ないとは思うけど、母さんとかその仲間に関する手がかりが見つかるかもしれないし。
それが見つからなかったとしても、とりあえず行くところがないんだろ?
ひとまず、飯食って寝れる場所がなくっちゃな。
どうだ?」
どうだと聞かれ、ピエールと顔を合わせる。
確かに、行く当てなどなく……。
学院を出る時に話した通り、ひとまず必要なのは拠点であった。
だから、念話を交わすことすらなく、二人で同じ結論に達したのである。
「お願いします!」
「……迷惑でなければ」
「迷惑なもんか。
あらためて、よろしくな!」
仮面の少年は、にこりと笑いながらそう言った。
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