仮面の少年 下

 少年が装着している仮面……。

 それは、本当に奇妙な代物であった。


 見た目は、仮面舞踏会で用いられるようなそれに似ている。

 しかし、こちらが覆っているのは、目元のみならず、顔の上部分全体であり、そのため、顔立ちを知ることはできなかった。


 全体的な意匠もまた、独特である。

 まるで、燃え盛る青い炎を仮面の形に押し込めたような……。

 どこか、魔術的な力を感じる品なのだ。


 かように奇怪な面を被っている少年であるが、露わとなっている部分から推測できる部分もある。

 まず、頭髪は金髪で、これはろくに手入れをしていないのか、肩の辺りまで伸びているのを後ろで一括りにしてあり……。

 口元の印象と声音から、年齢はミヤとさほど変わらないであろうと予想できた。


 胴衣もまた、独自のものだ。

 ミヤが着ている学院制服のように、ボタンなどは使用しておらず、胸元で重ね合わせせ、腰の帯で止めるような構造となっている。

 手首とすねには細い帯を巻き付けて、手甲や脚絆きゃはんと同等の役割を持たせているようだった。


 おそらくは、この森で生活することへ特化した服装なのだろう。

 腰に杖を差しているにも関わらず、実際にミヤを奇襲する際は短剣を用いているのもまた、そういった印象を加速させた。


 その、短剣……。

 ミヤの喉元をいつでも切り裂ける位置にあったそれを、そっと戻しながら少年が口を開く。


「質問に答えろ。

 ……お前たちは、人間なのか……?」


 腰帯にくくり付けられた鞘へ、刃を戻しながらの質問……。

 それに、ミヤはどう答えたものかと戸惑う。

 名前を聞かれた経験くらいは、当然ながら存在する。

 しかし、そもそも人間という生物であるのかを聞かれたのは、これが初めての経験であった。

 とはいえ、嘘をついたところで意味などあるはずもなく……。


「私は、人間」


 ミヤは、こくりとうなずきながらそう答えたのである。


「やはり、そうか……」


 理由は分からないが、その事実に相当な衝撃を受けたらしく……。

 少年が、戸惑った様子で髪をかき上げた。


「あ、ボクは人間じゃないです」


「え!? そうなの!?」


 続くピエールの言葉はさらなる衝撃だったらしく、少年が大げさに驚く。


「……ピエール。

 状況をややこしくしなくていい」


「いやあ、でも、聞かれましたし……」


 こちらのやり取りはよそに、少年はよほど苦悩しているのか、頭を抱えながらぶつぶつと独り言を言い始めた。


「どういう……ことだ……?

 見た目の特徴は、どう考えても俺と同じ人間なのに……。

 エルフっていうのは、耳が長いんだよな……?

 ドワーフっていうのとも、特徴が全然違うし……」


「あの、いい?」


「あ、ああ」


 ミヤに聞かれ、困惑していた少年がどうにか我へと返る。

 そして、全身に付いていたススをはらいながらこちらに向き直った。

 その瞬間は、目撃できなかったが……。

 彼は、煙突を滑り降りる形でこちらの虚を突き、奇襲を成功させたに違いない。

 恐るべき身の軽さと、いう他にないだろう。

 おそらくは、今、こうしている瞬間も、その気になれば瞬時に間合いを詰め、ミヤの喉を切り裂くことができるのだ。


 その事実を踏まえた上で、尋ねる。


「あなたは、この小屋に住んでいる人?」


「ああ、間違いない。

 俺は、この小屋に住んでいる……人間だ」


 人間、というところをやけに強調しつつ、腕を組んだ少年が答えた。

 ここまでは、予想通り……。

 次の質問にもまた、予想した答えが返ってくるだろうか……。

 緊張しながら、もう一度聞く。


「あなたは、闇の魔法使い?」


「ん?

 闇のって、どういうことだ?」


 仮面に隠されてはいるが……。

 きょとんとしているのは間違いない口ぶりで、少年が聞き返す。


「闇の攻撃魔術を習得しているのかどうかを、聞きたい」


「いや、そんなこと聞かれても……。

 魔法って、魔法だろ?

 何か種類とかがあるのか?」


 どうやら、本当に心当たりはないようだ。

 自分の杖を引き抜き、それをもてあそびながら少年が聞いてくる。


「具体的に言うと、トージンとかルガーロのことです。

 あなた、使えるんですか?」


「ああ、それなら使えるぞ」


 ピエールが尋ねると、少年が何てこともないかのように答えた。

 どころか、実際にそれを実演してみせたのである。


「ルガーロ」


 少年の突き出した杖から、空圧の拳が放たれた。

 放たれたが、これはおそらく、威力を最小限に抑えたのだろう……。

 ピエールの前髪を、軽く揺らしたに留まる。


「いつもは罠で狩ることが多いけど、向こうから襲いかかってくることもあるし、逆に奇襲を仕掛けられる機会もあるしな。

 そういう時、重宝しているよ」


 握った杖で、とんとんと肩を叩きながら、少年が笑みを浮かべた。

 一般的な魔法使いにとっては、禁忌とされている闇の攻撃魔術……。

 それを、この少年は生活する上で便利な技としか思っていないのが、態度からありありと伝わってくる。


「そっちばっかり聞いてきてるけど、俺からも聞いていいか?」


 杖を腰に戻した少年が、やはり腕を組みながら口を開いた。

 果たして、どんな質問が飛び出してくるのかと、身を固くしたが……。


「お前たちが、人間と……人間的な何かであることは分かった。

 それで、一体何者で、何しにこの忘れるべき森にやってきたんだ?」


 だが、彼の質問は、極めて当たり前のものだったのである。

 ピエールと目線を交わした上で、ミヤの方が口を開く。


「私はミヤ。こっちはピエール。

 魔術学院の学生だったけど、色々とあって逃げ出すことになって、ここへ迷い込んだ」


「魔術学院! 聞いたことあるぞ!」


 ミヤの言葉に、少年が喜色を浮かべた。

 仮面に顔の大半を隠されているというのに、随分と感情表現の豊かな人物である。


「ゲオグラーデって、いうんだろう?

 母さんが、通ってたって言ってた!」


「母さん……?」


 その言葉で思い起こされるのは、ミヤをここまで導いた幻影だ。

 そして、いまいちその意味を理解していないようだが、闇の攻撃魔術を習得している少年……。

 これら二つの要素を結び合わせると、自然、一つの答えに辿り着く。


「私たちは、この杖から生み出された女魔法使いの幻に導かれて、この小屋へ来た。

 もしかして、彼女があなたの母親……?」


「いや、それはちょっと分からないな。

 その幻、今も出せるのか?」


 少年の言葉に、かぶりを振る。


「自分で出せるものじゃない。

 ただ、その幻は、この小屋に張られていた結解の解き方について教えてくれた」


「なら! きっとそれは母さんだ!

 母さんが、お前たちをここに連れてきたんだ!

 もっと、色々と話を聞かせてくれ!」


 興奮した少年が、ずいと身を乗り出す。

 奇妙な仮面で隔てられているとはいえ、異性からここまで顔を近づけられた経験はなく……。


「ちょっと、近い……」


 我知らず顔を赤らめ、身を離してしまう。


「あ、悪い悪い」


 少年は、口元に笑みを浮かべながら離れてくれた。

 それから、こう名乗ったのである。


「俺の名はイル。よろしくな!」


 それが、自分以外に初めて遭遇した闇の魔法使い――イルとの出会いであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る