仮面の少年 上
生きるということは、起きている時間のほぼ全てを、食いつなぐために用いるということである。
今はいない母から聞いた話によると、外の世界では大勢の人間で作業を分担し、苦労を分かち合っているらしいが……。
現状、この忘れるべき森に暮らしているのは自分だけであり、食糧の調達から、必要な物資の採集、いざという時に備えた薬品の調合……果ては、炊事洗濯に至るまでを、この身一つでこなさなければならないのだ。
あらためて、母のすごさを実感させられる。
彼女は、幼い自分を育てながらも、これらをこなしていたのだから……。
「……よし。
咲いているな」
目当ての通り、星追い草が花を付けているのを見つけ、うなずく。
一定期間の夜にのみ咲くこの花は、乾燥させ粉末状にすることで、様々な薬の材料とすることが可能であり、決して採集をおろそかにすることはできなかった。
もう、体調を崩しても、自分を看病してくれる人間はおらず……。
いざという時には、かねてより調合していた薬品の数々こそが頼りなのだ。
周囲の状況を、素早く確認する。
採集対象に気を取られ、警戒がおろそかになった瞬間を狙ってくる獣など、珍しくもない。
そのため、明かりを灯す魔術――リアカすらも、少年は使用していなかった。
そのようなものに頼らずとも、星明かりのみで行動できるよう、常日頃から夜目を鍛えているのだ。
幸い、こちらを狙っている獣はいないようである。
いや、これは不幸か……。
狙っているならば、あえて隙を見せて返り討ちにし、食糧の足しとすることができるのだから。
ともかく、素早く採集した星追い草を、腰の革袋にしまい込む。
全てを摘み取ったわけではない。
あえて手つかずで残した幾本かは、この場で繁殖し、また新たな花を咲かせて恵みをもたらしてくれるのである。
――周囲を、慈しめる人間におなりなさい。
母の言葉が、思い出された。
同時に、どうしようもない寂しさを感じてしまうのは、致し方のないことだろう。
「……よし」
採集を終え、立ち上がる。
これで、この夜にすべきことは終わった。
後は、家に戻って休養するだけである。
そうして起きたならば、また、自分の命をつなぐために様々な活動をしなければならないのだ。
さしあたっては、洞窟に向かい、そろそろ備蓄の尽きる塩を採集してくるのが良いだろう。
風のような速さで、森の中を駆ける。
足音はない。
そのようなものを立てていては、この森で成果を得ることは難しかった。
そうやって、家に帰ってくると……。
「……何?」
すぐさま、異変へと気づく。
――何かが、いる。
おそらくは、自分に近い大きさの生き物が二匹だ。
木窓は閉ざしてあり、内部の様子がうかがえるわけではない。
また、壁と結界を隔ててはいるが、磨き抜いた野生の感覚が、少年にそれを教えてくれた。
奇妙なのは、どうも結界の発動した様子がないことである。
母が残したこの結界は、極めて強固に作られており……。
もし、何も知らぬ生物がこれに触れると、強烈な衝撃を与える仕組みとなっていた。
命を奪うほどの威力はないが、好き好んでそのような目に遭いたい生物がいるはずもなく……。
結界の威力を学習した森の生き物たちは、この家に近寄らなくなっていたのである。
それが、どのようにしてか結界の内側へと入り込み、家への侵入を果たしていた。
……確かめるしかないだろう。
この家という安全地帯を失えば、生きていくことは困難なのだから。
「………………」
緊張と共に、腰の杖を引き抜く。
素材となっているのは、ブナ。
芯材として仕込まれているのは、シノビギツネの心筋……。
杖全体が青く染め上げられており、持ち手の部分は金細工を施してある。
長さは三十二センチで、母の扱っていたものよりは少し長くしていた。
「ケラーヒ・マゴ」
それを振り、合言葉を唱えると、いつも通りに結界が入り口を作り出す。
やはり、結界に問題があるわけではないようだ。
――どのようにするべきか。
内部の生物がこちらに気づかぬ保証はなく、素早い判断が求められた。
巣を乗っ取られ、追い出される獣の気持ちというのは、このようなものであったか……。
だが、自分がそのようになるつもりはない。
ここは――俺の家だ。
その家を、ちらりとうかがう。
壁を破壊したりするわけにはいかない以上、侵入口足り得るのは、玄関と窓……そして、煙突である。
一人で生きるというのは、生活空間の全てを自身で整えるということ……。
すなわち、煙突掃除なども、少年にとってはお手の物であった。
--
腹がくちくなると、次に眠気が襲ってくるのは生物としての本能である。
「何だか、眠たくなってきちゃいましたねー」
その欲望に忠実な言葉を発するしもべへ、苦笑いを浮かべた。
「私も眠たくなってきた。
けど、眠るわけにはいかない。
この小屋の主がどういう人間か、知らなければ……」
「このまま、待ち受けるわけですか?」
「そういうことになる」
答えて、テーブルの上に置いたとこやみの杖を見る。
いまだリアカの術が解けていないそれは、先端部から室内を照らし出すに十分な光を発していた。
木窓は閉ざされているので、この光が外に漏れ出すということはないだろう。
そのため、小屋の主が帰ってきた場合、ドアを開けたら、いきなり見知らぬ少女二人と出くわす形になるはずだった。
「会って、それからどうなるかは分からない。
善良な人間なら、スープを食べてしまったことを詫びて、可能なつぐないをする。
でも、もし邪悪な人間だったら……」
「戦うわけですか?」
ピエールの言葉に、こくりとうなずく。
「この杖に眠らされていた……多分、あの部屋を使っていた魔法使いの意思。
それに導かれたということは、闇の魔法使いが住んでいる可能性は高い」
「戦って、どうします?
殺すんですか?」
具体的な問いに、言葉を詰まらせる。
正直な話、誰かを殺める自分の姿というのは、想像できなかったが……。
「少なくとも、無力化はする。
その上で、他に仲間がいないか尋ねる。
それで闇の残党を駆逐できれば、私の正当性も示すことができる」
「そうすれば、胸を張って帰れますね!
大丈夫! ミヤ様なら余裕ですよ!
そのために、あの部屋で色々と研究したんですから!」
「余裕かどうかは分からないけど、闇の攻撃魔術に対する対策は用意してある」
あくまでお気楽な配下へ、こればかりは自信を持ってうなずいてやった。
何事においても対抗策というのは用意できるものであり、魔術もまたその例外ではない。
ミヤの編み出した術は、十分な効果を発揮するはずである。
そんな会話をしていた、その時だ。
――ゴトリ。
……という音が、すでに火を消した暖炉から響いた。
驚いてそちらを見ようとしたが、それはかなわない。
その人物は、野生動物めいた身のこなしで暖炉から飛び出し……。
瞬きをする間に、ミヤの喉へ短剣の刃を添えていたのである。
「――ミヤ様!」
叫ぶピエールであるが、動くことはない。
動けば主の命が奪われるかもしれないと、警戒しているのだ。
短剣の刃は、あと一寸で喉を切り裂けるという位置で静止しており……。
実際に触れているわけではないが、冷たい感触にびくりと身を震わせた。
だが、それだけだ。
短剣が、ミヤの喉を裂く気配はない。
恐る恐る、短剣の持ち主へ視線を向けると……。
「人……間……なのか?」
奇妙な仮面を付けた少年が、困惑の声を発していた。
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