極上のスープ
「………………」
「お邪魔しまーす!」
ミヤは無言のまま……。
ピエールは元気一杯に挨拶をしながら、ドアの向こうを覗き込む。
果たして、そこには――誰もいなかった。
「無人、みたいですね」
「でも、生活感はある」
魔術で照らし出された室内の様子は、薬学の授業で使う実験室を簡素化したようなものである。
壁際の棚には、フラスコなど様々な器具が整頓した状態で並べられており……。
天井から吊るされたいくつもの紐には、採取したのだろう植物などを乾燥させたものが、くくり付けられていた。
マンドラゴラなどはミヤでも知っていたが、素性の知れぬ植物やキノコも数多い。
おそらくは、この森で採取したのだろう。
「あ、食べ物です!
ミヤ様、これは何という食べ物ですか?」
暖炉に設置されていた鍋を見つけたピエールが、その中を覗き込みながら尋ねてくる。
「これは、スープ。
まだ温かい。
作った人間は、これを食べた後、どこかへ出かけた……?」
同じく鍋を覗き込み、その表面に触れて温度を確認してから、推測を口にした。
見てみれば、流し台の方には一人分の食器が使用済みの状態で置かれている。
おそらく、小屋の主は何かの用事があったため、腹ごしらえを済ませた後、出かけて行ったのだろう。
――くう。
またも、ミヤのお腹が情けない音を立てた。
「お腹、空きましたねー」
正体が液状生物であるピエールはそんな音を鳴らさないが、やはり空腹ではあるのか、スープに向けた目を輝かせている。
「これ、食べちゃいませんか?」
そして、そのような……悪魔がごとき誘惑の言葉を口にしたのだ。
「それは……」
こう見えても、ミヤはドラコーン公爵家のご令嬢である。
あまりにはしたない提案をされ、否定の言葉を口に出そうとした。
出そうとした、が……それはあと一歩というところでかき消え、明瞭な言葉として出てこない。
お腹が、空いていた。
とにかく、空いていた。
魔力というものがどこから生じているかは諸説あり、解き明かした者は歴史に名を残すのが確実と言われている。
ただ一つ確かなのは、体力と密接に関係しているということで、強力な魔術を連発し、長時間の飛行もしてきたミヤの体力はもう、限界に達しつつあった。
一刻も早く、充実した食事を取る必要があると、体が……特に胃袋が訴えてくる。
これに抗うほどの精神力は、ミヤに――ない。
「そうね。
頂きましょう」
ゆえに、ピエールの提案へ乗っかることにしたのであった。
――そもそも、小屋の主が友好的な人物であるとは限らない。
――出会ったら戦いになる可能性も十分ある。
――なら、このスープを食べることで力を蓄えておくのは、合理的。
脳内にすらすらと、誰も聞くことのない言い訳を羅列していく。
かくして、ミヤの脳内議会において、スープを食べることに対しての正当性は確立され……。
「……よし。
せっかくだから、温め直してから食べよう」
のみならず、「どうせなら、より美味しい状態で食べよう」という意見が満場一致の支持により、採用されたのであった。
「――ソティーダ」
図々しくも、暖炉のそばに積まれていた薪を頂戴し、リアカと同様の基礎魔術で着火する。
これは、小さな火種を生み出すための術であり……。
発動してしばらくの間はその場で燃え続けるため、焚き付けとして用いるにはもってこいであった。
どうやら、薪はよく乾燥させられていたらしく、ソティーダの火はさして待つこともなく燃え移り、鍋を温め直していく。
そうすることで立ち昇るのは、これまで嗅いだことのない……それでいて、何ともかぐわしい香りだ。
どうにも鼻孔を刺激する香りであるが、これが毒でないことは、ますます増進してくる食欲によって直感できる。
「これ、どういうスープなんだろう?」
「あれ?
ミヤ様は、ご存知だったんじゃないんですか?」
「一口に汁物といっても、色々ある。
これは、私が食べたことのないスープ」
公爵家令嬢として、王国に存在する料理は一通り味わったことのあるミヤであるが、この黄緑色をしたスープは初めて見るものだ。
国境を出るほどの距離は飛行していないと思うが、異国の料理なのかもしれない。
あるいは、小屋の主が独自に生み出したか……。
「料理の名前は分からなくても、味の方は食べてみれば分かりますよね!
さっそく、頂きましょう!」
いつの間に、用意していたのだろうか?
棚から深い木皿を二つばかり見つけ出したピエールが、そろそろ頃合いだろうスープをおたまで注ぎ始める。
「それだけじゃなく、スプーンも必要」
「スプーンって、薬を調合したりするだけじゃないんですね?
でも、ボクの方はいつも通りで大丈夫ですよ?」
胸の辺りを液状生物本来の姿に戻したピエールが、首をかしげた。
彼女の言ういつも通りとは、すなわち、液状化している肉体でそのまま食事を取り込むというものだ。
今の姿で行う様を想像しようとして、途中でやめる。
「駄目。
私の姿を元にしている以上、食器を使って人間と同じように食べて」
「分かりました!
ミヤ様と同じようにして食べられるなんて、光栄です!」
ニコニコ顔のしもべにうなずき、やはり棚に保管されていたスプーンを二つ取る。
流し台の食器は一人分だったが、その割に、食器類は多めだ。
もしかしたら、薬品の調合などにも使い回しているのかもしれない。
「ささ、食べましょう!」
ピエールが、スープのよそわれた深皿をこぢんまりとしたテーブルへ置いておく。
都合の良いことに、椅子も二つ存在した。
「じゃあ……頂こう」
席につき、盛り付けられたスープをあらためて観察する。
黄緑色のスープ内には、様々な根菜が放り込まれており……。
それだけでなく、何かの肉も大ぶりに切られ、煮込まれているのが嬉しかった。
具材にも心躍るが……。
やはり、最初に味わうべきは、この汁であろう。
かぐわしい香りの汁をひとさじすくい、味わう。
「――っ!?」
瞬間、ミヤの舌に走った感覚は――痛みだ。
ピリリとした刺激が、舌の先端から半ばまでを震わせたのである。
食べ物と思ったが、それは錯覚で、何らかの毒物……あるいは薬品だったか?
……そうではない。
未知の痛みが舌を刺激した後は、何かの乳だろうか……やわらかな甘みが、やさしく舌を包み込んでくれたのだ。
これは――快感すら感じられる!
もう一口、汁を味わう。
すると、やはり痛みが舌を刺激し……次いで、先の甘みが優しく癒やしてくれた。
ただ痛いだけでは、これほどの爽快感はないだろう。
また、甘さを下地としただけでは、どこかだらけた味になってしまったかもしれない。
どちらもが……必要不可欠。
痛みと甘さが渾然一体となって、完全なる調和を作り出しているのだ。
しかも、これはそういった薬効が含まれているのか、何やら体をポカポカと温めてくれるのである。
「……美味しい」
「本当に、美味しいです!
ボク、これ好きです!」
ミヤの真似をしてスプーンで食べたピエールが、無邪気な笑顔を浮かべた。
幻影に導かれるまま入り込んだ、謎の小屋……。
そこで食べたスープは、心身共に疲れ切っていたミヤへ、活力を与えてくれたのである。
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