奇妙な小屋
「これは……森?」
明かりといえば、月と星の光に頼らなければならない状況であるが、さすがに、地上付近にまで降下してくれば、眼下の景色もおおよそは掴めてくる。
ミヤの目に見えたのは、樹海と評しておおよそ問題はないであろう、切れ間なき木々の群れであった。
それを肯定してくれたのが、ピエールである。
「はい! 間違いありません!
ボクは夜でも目が見えるので、はっきりと分かります!」
「そういえば、そうだった。
まあ、お前に地理は教えてないし、私自身も勉強していないのだから、どの道、迷子にはなっていたけど」
背後で自信満々に胸を張っているらしいピエールへうなずきながら、杖を振るう。
ごくわずかな動作で繰り出すことのできるこれは、学院へ入学するまでもなく、貴族ならば幼い頃より習得させられる術であった。
「リアカ」
幻影を出している状態だったが、杖は問題なくその能力を発揮し、周囲が明るく照らし出される。
このリアカという術は、周囲を光で照らす……ただそれだけの魔術だ。
光量がいつもと変わらぬのは、とこやみの杖もこんな術まで増幅するつもりはないのか、あるいは、幻影が出ている影響かもしれない。
「それにしても、薄気味悪い森ですね。
学院の近くにあったのと比べると、おかしな気配がたくさん感じられます」
ピエールがそう言った通り……。
どうやら、幻影が導いてきたのは、単なる森林ではないらしかった。
眼下の木々には、風と無関係に葉や枝を揺らしているものも見受けられ……。
時折、聞いたこともないような獣の鳴き声が耳を震わせる。
そして、森全体から濃厚に感じられる魔力の気配……。
学院の近くにあった森は、先生たちが管理し、生徒による採集などがたやすくなるよう調整されていた。
魔獣も潜んでいたし、危険な植物やキノコ等も存在したが、それは計算された危険……。
言うなれば、箱庭のごとき場所だったのである。
対してこちらは――混沌の
純粋な……それでいて、どこか歪な生命のせめぎ合いが、ここでは展開されているのだ。
「森の中へ入る」
幻影は、さらに高度を落として森の中へと入って行き……。
ミヤもまた、それに追従するべく箒を操る。
木々の切れ間から入った世界は、やはり、ミヤたちが知る森のそれではなかった。
まず、感じられるのは、肌をひりつかせるような無数の視線。
これらは、実際に自分たちへ目を向けているものばかりでは、あるまい。
ただ、本来ならばこの森にいないはずの存在を、それぞれの感覚器で敏感に察知し、意識の一部を向けているのだ。
幻影は、森の中をすいすいと浮遊しながら進んで行く。
対するミヤは、突き出た枝などに髪や衣服を引っかけてしまわないよう注意しながら飛行する必要があり、これはなかなかに神経を削る作業であった。
食中植物に近い性質があるのだろう。
ヘビのごとくうごめきながら、ハエトリソウのそれに似た先端部を向けてくるツタに、ピエールと二人で驚いたりしながらついていくと、やがて、幻影が目指しているらしい目的地を発見する。
それは……。
「小屋……?」
意外なほどに、しっかりとした造りの小屋であった。
建材は、この森に生えている樹木を使ったのだろうか?
壁から何から、ほぼ全てが木造であり、隙間なくびしりと構成された壁面には、すきま風が入る余地などない。
唯一、石材を使っているのが突き出した煙突で、排出口にこびりついたススの具合から、これはかなり使い込まれているのが察せられる。
「何となく、外からでも生活感が感じられますね。
こんな森に、住んでいる人がいるんでしょうか?」
背後からミヤの頭に頬を乗せてきたピエールが、そうつぶやく。
ここが、何と呼ばれている森なのか、ミヤの知識には存在しない。
しかし、今も周囲に感じられる野生生物の気配といい、さきほどの不気味なツタといい……とてもではないが、人間が住むのに適しているとは思えぬ。
どころか、採集や狩猟、伐採など、通常の森が人間にもたらす様々な恩恵を授かることも不可能に思え……そんな場所に、生活感漂う住居が存在するというのは、ただ驚く他になかった。
やはり、ここが目的地だったのだろう。
杖から生み出された幻影が、箒を降りて地上に降り立つ。
そして、杖を引き抜くと俊敏な動作でそれを振るい、涼やかな声を発したのだ。
ミヤは、一挙手一投足たりとも見逃すまいと注視していたが、その必要はなかった。
「ケラーヒ・マゴ」
杖を振るう動きも、唱えられた呪文も、女子寮に存在した例の部屋へ入るためのものと全く同一だったのである。
違いがあるとすれば、柱をなぞったか、虚空に向けて振るったかだけであった。
そして、それきり……。
「消えた……」
幻影は、消え去る。
まるで、伝えるべきことは伝えたと言わんばかりに。
「……やってみるか」
「降りるんですか?」
ピエールの言葉にうなずきながら、地面に降り立つ。
箒を彼女に預け、あの幻影と同等の距離から杖を振るった。
「ケラーヒ・マゴ」
これ自体は魔術というわけでなく、単なる合言葉である。
それが作用したのは、小屋に存在したのだろう結界……。
無形の壁と呼ぶべき力が一部を開き、自分たちを招いたのが感じられた。
こうして、解除をするまでは、結界が存在したことすら感じさせない。
これは、かなりの使い手が構築した結界である。
もし、知らずに触れていたらどうなるか……それは、想像しない方がいいだろう。
「あの部屋に入るのと、同じ合言葉ですね。
何か、関係があるんでしょうか?
例えば、ボクを生み出し、ミヤ様に部屋を預けた魔法使いが暮らしてるとか?」
「そうかもしれないし、違うかもしれない」
ピエールの手を握って結界内へ入りながら、答える。
そもそも、あの部屋へ自分を
直接にやり取りをしたわけではないため、真意が計れない。
唯一、その意思を伝えていた日記に書かれていたのは、魔術の改良に関する所感や、現体制への恨みつらみのみなのである。
もし、この小屋にその魔法使いが住んでいたなら……。
その辺りについて、詳しく聞くことができるだろうか?
あるいは――戦いになるか。
ミヤが闇の攻撃魔術を習得したのは、それを操るだろう勢力に対抗するためであり、ならば、あの部屋を使っていた魔法使いこそはその筆頭にあたるのだ。
「……とにかく、入ってみよう」
「はい!」
箒を持ったピエールと共に、小屋のドアを開く。
鬼が出るにせよ、蛇が出るにせよ、他の選択肢はないと思えた。
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