第二章

幻影

 魔法使いというものは、単なる魔術自慢、魔力自慢に務まる仕事ではない。

 むしろ、そういった能力が出番となるのは、稀であり……。

 普段においては、身に着けた深い学識でもって世へ貢献するのが、正統な魔法使いのあり方であるのだ。

 そういった人材を育成するため、ゲオグラーデ魔術学院は七年もの歳月を寮で過ごさせ、その間に言語、算術、歴史、薬学、占星学、地理などなど、様々な学問を修めさせるのである。


 さて、ミヤはそんな伝統ある魔術学院の一年生だ。

 より正確にいうならば、一年生の教育課程を半分ほど終えた学徒ということになるだろう。

 それはつまり、言語にしろ、算術にしろ、歴史にしろ、薬学にしろ、占星学にしろ、地理にしろ、基礎も基礎の部分しか教わってないことを意味していた。


 大きな丸眼鏡は、知性の証。

 学べば身に着けられるのがミヤという少女であるが、そもそも学んでいないことはどうにもならないのである。


 そんな少女が、当てもなく夜空に飛び出し、ひとまず学院から距離を置きたい一心で飛行し続ければ、どうなるか。

 そう……。


「ピエール」


「はい、どうしましたか?

 そろそろお腹が空きましたね」


「……ここ、どこだろう」


 ……迷ったのである。

 現在地も何もかも、一切が分からない。

 完全なる迷子が、夜空を箒で飛翔していた。


「またまたー。

 忠実なる下僕を、そうやって驚かせようっていうんですよね?

 ミヤ様ってば、お茶目さんなんですから!」


「違う。

 言葉通り、ここがどこだか分からない。

 もう、学院に戻るのも無理だと思う」


 何しろ、夜分のことであり、眼下に広がるのは漆黒の世界のみである。

 これが昼間のことならば、下の景色を頼りに道筋を記憶できたかもしれないが、これではそうもいかない。

 そして、人間というものは、これという目印がなければ、直進していたつもりでも大きく逸れてしまっていたりするものなのだ。


「もう少し、占星学の授業が進んでいれば、星を頼りにできたかもしれないけど……」


 現在、ミヤたち一年生が習っているのは、各星座の由来や秘めている力……そして、魔法的儀式の際にそれらから加護を得る方法についてである。

 屋外の探索などは、もう少し経験を積んだ二年生頃からぼちぼちと取りかかるようになるため、星から方角などを知る方法に関しては、それへ合わせて履修すると聞いていた。

 学び、実地で使用することにより、より深く知識として根付かせようというのが狙いであろう。

 つまり――今のミヤは、まだそれを学んでいないのである。


「またまたまたまたー。

 あれだけ大勢の先生たちを、たちまち倒した魔法の大天才に、不可能なんてあるわけないじゃないですかー。

 ミヤ様は、世界一かわいくて優しくて強い魔法使いなんですから!」


「世界一かわいいかは知らないし、優しさに自信はないけど、強い魔法使いではあると思う。

 けど、それとこれとは話が別。

 強い魔法使いが、全ての知識を修めているわけではない」


 背後のピエールに、かぶりを振りながら答えた。

 何度でも言おう。

 ミヤは、まだまだ教育課程の序盤も終えていない。

 要するに、単なる魔術自慢、魔力自慢のたぐいであり……。

 魔法使いとしては、半人前を名乗ることもはばかられる存在なのであった。


「え?

 じゃあ、もしかして冗談でも何でもなく、本当に迷子なんですか?」


「さっきから、そう言っている」


「え、じゃあ……どうしましょう?」


「それを相談したい」


「いや、ミヤ様に分からないことが、ボクに分かるわけないですよー!」


 彼女に視線は向けていないが、頭を抱えているのが気配で察せられる。


 ――くう。


 その瞬間、ミヤのお腹が情けない音を漏らした。

 ミヤは十三歳の少女であり、すなわち、食べ盛りの年齢だ。

 カスペル先生が運び込んできた質素な食事など、とうの昔に消化を終えてしまっていたのである。


「ひとまず、どこかへ降り立って火を起こすしかないと思う。

 このまま飛び続けていても、どうにもならない」


「そうですね……。

 それがいいと思います!

 地上に降りれば、ボクが獣の姿になって、適当な獲物を狩ってこれますし!」


 火口箱など持ち合わせてないが、魔術を用いれば火を起こすくらい造作もない

 また、本人が言っている通り、獣に化けての狩りならば、ピエールは慣れたものである。

 ミヤが食事を与えられない時は、学院の外で狩りをさせ、自身の食料を調達させてきたのだ。

 もっとも、そうやって得られるのは、獣肉をただ焼いただけという、野性味に溢れすぎた食事であるが……。

 ひとまずは、それで我慢するしかないと、そう思い立った時のことである。


 ――ピイイイイイン!


 腰に差しているとこやみの杖が、何やら鳴動を発した。

 それは、先生方と戦っている時に発したような、攻撃的な意思を感じるものではなく……。

 どうも、この杖そのものの意思というよりは、そこへ潜まされていた別の存在が、ミヤに何かを訴えようとしているかのようなのである。


「とこやみの杖……じゃない。

 これは、一体……?」


 片手で箒を操りつつ、もう片方の手で腰から杖を引き抜く。

 すると、杖から奇妙な光が生み出され……。

 それは、ミヤの隣で人の姿を取り始めたのである。

 やがて、完成したそれは――。


「――箒に乗った魔法使い?」


 そうとしか、形容できない姿形であった。

 全てが青白い光に包まれているため、影絵のように断片的な情報しか得られないが……。

 この輪郭は、成人した女性ではないかと思われる。


「ミヤ様、どうかされましたか?

 何か、見えているのですか?」


 背後から聞こえた言葉に、ハッとなった。

 振り返ると、自分と同じ顔に化けたピエールが、不思議そうな顔でこちらをうかがっている。


「お前には、あれが見えてないの?」


「はい、あれというのが何を指しているのかは分かりませんが、ボクに見えるのは星の光だけです」


「そう……」


 納得し、再び視線を幻に向けた。

 これは、自分にのみ見えている幻影なのだ。

 そして、もう一つ思い当たることがある……。


 ――この幻。


 ――思い出そうとする時の、夢で見た魔法使いに似ている。


 そうなのだ。

 あの夜、夢の中で自分を隠された部屋へいざなった魔法使い……。

 あれを思い出そうとする時より、幾分かはっきりとはしているが、ともかく、全体に漂う雰囲気が似ているのである。


 そうこうしていると、幻の魔法使いが徐々に高度を下げ始めた。

 まるで……。


 ――ついてきなさい。


 ……とでも、言うかのように。


「……決めた」


 幻影へ寄り添うように、箒を操った。


「ミヤ様、何をお決めになられたのですか?」


「この杖に眠らされていた何かが、私を導いている。

 特に当てもないし、それに従う」


 あまりに端的な説明であり、余人に同じことを言えば、正気を疑われても文句は言えないが……。


「分っかりました!

 ミヤ様の、お心のままに!」


 忠実なる配下は、能天気にうなずく。

 それで、方針は決まった。

 ミヤは、幻影に導かれるまま、徐々に徐々にと、高度を落としていったのである。

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