ヒルデスの決断
箒を戸口の外へ立てかけてあったのは、ミヤたちにとって
これがもし、室内にしまってあったなら、取りに行くため中へ入らざるを得ず、拘束したまま寝転しているヒルデスに、不審な印象を与えてしまったはずだ。
「よっと……。
滅多なことじゃ使わなかったから、心配だったが……。
まあ、体は覚えてるもんだな」
自分で言った通り、イルの箒は手入れこそされているものの、使われた形跡が薄く……。
それにまたがり上空へ飛翔したイルが、浮遊状態のままそう告げる。
「一度、飛び方を覚えた魔法使いがそれを忘れることはない。
逆に、飛べなくなったらそれは魔法使いを辞める時だと言われている」
この森へ来た時と同じく、ピエールとの二人乗りで飛翔したミヤは、仮面の少年にそう教えてやった。
「そういうもんか。
まあ、魔力だって大して使わないもんな」
「長距離を移動するには、なくてはならない」
「ミヤ様もイルもいいなー。
ボクも、箒で飛んでみたいです!」
「? この前は、私と一緒だからこそいいと言っていた」
うらやましそうにつぶやくピエールへ振り向くと、彼女はちっちと指を振ってくる。
「そうではないのです。
鳥とかに化けるわけでもなく、こうしてミヤ様の後ろに乗せて頂くのでもなく……。
同じ乗り物で、並んで飛ぶのに憧れるのです。
晴れてミヤ様が学院に戻れたら、ボクも練習してみようかなー」
「お前は魔力を操ることができないから、無理」
「そんなー」
「おいおい、そう決めつけたもんでもないだろ?
何だって、やってみなくちゃ分からないもんだぜ?」
「そうですよ。
こればっかりは、イルの言う通りです」
「……まあ、試すのに文句を言うつもりはない」
他に会話を聞く者もいない空中で、にぎやかな会話を繰り広げながら、目的地へ向かって飛ぶ。
――上手くいけば、これで全部が終わる。
その思いが、それこそ空を舞う鳥のように身を軽くしていた。
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正統な魔法使いであれば、こうして縛られながらも瞑想の一つでもして時間を潰すのであろうが……。
あいにくと、ヒルデスは限りなく我流に近い方法で研鑽してきた闇の魔法使いであり、そのような殊勝とも取れる時間の使い方は心得ていない。
かといって、人間が連続して眠れる時間には限りがあるものであり……。
意識は覚醒すれども、拘束により体を動かすこともままならないヒルデスは、使い魔との交信へ時間を割くことにしたのである。
『よう……一晩経った間に、随分と揃ったじゃねえか』
今度、使役するカエルの瞳に映った光景……。
それは、ルボスの農園に存在する小屋内ではなかった。
いや、正確には、小屋の中であることに代わりはない。
ただし、今、カエルの入ったカゴが置かれているのは、その地下にある魔法的な拠点なのである。
ここには、『我が君』なる人物の秘匿した魔導書や、時にヒルデスなどを派遣して集めた禁制の品々が収められており……。
まさに、彼ら一派にとっては心臓部とも呼べる場所なのであった。
……もっとも、ヒルデスが把握している範囲では、だが。
その拠点内には、ルボスやゲルマンの他にも、ヒルデスと知り合いである者……。
あるいは、今回、初めて顔を見る者などが集い、思い思いの方法でくつろいでいる。
いずれも――闇の魔法使い。
総勢で、十数名といったところか。
王国の厳しい追跡から逃げ切り、あるいは隠れ潜むことへ成功した者たちの血と技を受け継ぎし者たちであった。
「おお、これは都合が良かったですな。
そろそろ、こちらから呼びかけようかと思っていたところです」
一同の中心にいたルボスが、いつもながらの慇懃無礼な口調でそう言い放つ。
他の魔法使いたちも、言葉は発さずとも視線をこちらに注いでいた。
『そいつは、良かったな。
それで、こんだけ数を集めてどうした?
こっちへ攻め込んで、杖を奪おうってのか?
せっかくなら、ついでにオレも助け出してほしいんだけどな』
カエルを通じてそう言うと、ルボスが肩をすくめてみせる。
「残念ながら、違いますな。
ここに人を集めたのは、攻め込むためでなく、守るためです」
『守るため、だと?
一体、何からだ?』
――王国の魔法使いたちが、この拠点を知って攻めてくる。
最悪の事態を想定し、思わずそう尋ねた。
しかし、返ってきた答えは全く別の……そして、極めて意外なものだったのである。
「あなたを拘束している子供たち……。
彼女らを迎え討つために、我らは集まったのです」
『何だと?
どういうことだ? オレは何も話しちゃいねえぞ』
それは、ヒルデスにとって寝耳に水の話であった。
拘束されて一晩経つが、その間、ヒルデスはずっと不貞腐れた態度を取り続け、彼女らに何の情報も与えてない。
迎え討つも何も、あのガキたちがそちらへ向かうはずがないのであった。
「それがよ……。
おれたちの、知らされていない情報があるらしい」
これまで、黙ってルボスとのやり取りを見ていたゲルマンが、肩をすくめながら割って入る。
「いかにも……。
例の学園女子寮に存在する部屋から持ち出されたのは、とこやみの杖のみではありません。
もう一つ……いえ、一匹と呼ぶべきですか。
イミテーターという魔法生物が、持ち出されているのです」
それから……。
ルボスはイミテーターなる魔法生物の特徴について、説明し始めた。
幼体のまま封印されている内は、試験管に収まる程度の大きさに過ぎない。
だが、これを解放して成長させれば、ものの半年ほどで人間とさして変わらぬ大きさの液状生物に育つのだという。
最大の特徴は、高い知性と、透明にすらなれる変幻自在の体であり……。
マリアが集めた情報によれば、ミヤという女生徒は学院を出る際、確かにこれを使役していたらしかった。
「嘆かわしいことです。
杖のみならず、我が君の研究で生まれた魔法生物のみまで渡っているとは。
全ては、それらを預けるほどの信頼を裏切った忌まわしき女のせい……。
ですが、今はそれを利用させてもらいましょう」
「どうやら、連中はそのイミテーターにおれを尾行させていたらしいな。
そうと言われなきゃ気づかないが、確かに、小屋の中にはそれっぽい這いずった後があった。
俺たちが戦ってる間、どこに潜ませていたかは知らないけどな」
ルボスのそれを引き継いだゲルマンの言葉に、ひらめくものがある。
――金髪の娘。
あいつは、目を覚まして以来、一度も見かけていない。
ならば、あいつこそがそのイミテーターなのではないか?
「まあ、我らは、拠点が空になっていると信じてのこのこと乗り込んだ子供たちを始末し、杖を奪うということです。
あなた様を助けるかどうかは、我が君の指図次第ですな」
『そうかよ……』
それだけ言って、断ることすらなく交信を終える。
向こうからすれば、不貞腐れてそうしたように思えただろう。
「ふん……」
鼻息を鳴らしながら、洗い場の方を見た。
そこには、昨晩からの食事に使った食器が、水に漬けた状態で放置されている。
――あのスープ。
――それに、今朝食った蒸かし芋。
――美味かった、な。
それは、ヒルデス自身思いもよらぬ感情の働きであった。
「………………」
足首を拘束されたまま立ち上がり、洗い場の方まで跳ねながら移動する。
そこに放置されていた包丁……。
それは、こういった物事に慣れていない子供たちの、いかにもな隙であった。
「せっかく、縛ったっていうのによお……。
こうやって、刃物を置きっ放しにしちゃあ、台無しだよなあ」
そう言いながら、背中を洗い場に向ける。
後ろ手に親指同士を拘束されているという状態であり、多少の切り傷はできてしまったが……。
どうにか、包丁の刃を使って手の拘束を断ち切ることはできた。
後は簡単だ。
足首同士を拘束する紐も、たやすく切り裂く。
「さて……と」
これで、行動の自由は得られた。
ヒルデスの杖が、戸棚にしまわれていることも把握している。
後は……。
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