ピエールがんばる

 元来、大型の鳥類というものは連続飛行距離が短いものであり……。

 成長し、現在は主であるミヤと大差ない体積を得るに至ったピエールの化けたそれは、自然界の法則に照らし合わせるならば、決して長時間の空中尾行には向かぬ形態のはずである。

 だが、それはあくまで、自然界のことわりに則った場合の話……。


 正体が液状生物であるピエールに、そのような常識は当てはまらぬ。

 肉体は、疲労という概念から解き放たれており……。

 空腹と睡眠さえ我慢することができれば、事実上、無限に行動し続けることが可能なのだ。

 まして、今のピエールは主から託された使命感に燃えており、空腹も眠気も感じる余地など残されていなかった。


 ――戦いでは、役に立てなかった。


 ――だから、ここで必ずお役に立つ!


 その一念を抱きながら、夜の世界へ変わった空を飛翔する。

 今のピエールは大型の鳥類に化けているが、それを第三者が確認することはかなわない。

 自身の能力を発現し、体を透過させた彼女は完全に夜闇へ溶け込んでおり……。

 羽ばたきを捉えられるほど鋭敏な聴覚の持ち主でなければ、存在を察知することはできぬであろう。


 そして、目下尾行しているゲルマンなる魔法使いは、全力で箒を飛翔させており……。

 風切り音に包まれた彼の耳がそれを捉える心配は、皆無といってよかった。


 ――休みも取らず、随分と急ぎますね。


 ――これは、今夜中には決着が付くでしょうか?


 相手の様子から、そのような推測を抱く。

 場合によっては、日をまたいでの尾行となる可能性も考慮していたが……。

 ゲルマンは一度、適当な場所で瞑想――使い魔と交信でもしたのだろうか――をした以外は、休憩を取る様子もなく、一直線に夜空を飛び続けているのである。

 人に見つかる心配のない深夜を飛び続けるのは、魔法使いでありながら人目をはばかる身なのも関係しているだろうが……。

 どうも、この様子からは、今夜中に目的地へ到着しそうな気配が感じられた。


 そして、どうやらその勘働きは正解であったらしく……。

 ある地点から、ゲルマンは徐々に高度を落とし始めたのである。


 ――よし、いいぞ。


 ――ここまでの方角は、しっかりと覚えている。


 これに関しては、学院を脱出した際の失敗から学びを得たといってよいだろう。

 現在、ピエールが目として構成している部分は、夜行生物のそれを参考にしており……。

 月と星の明かりのみが頼りとなる現在でも、地上部の様子を観察することは容易である。

 彼女はそれを活かし、忘れるべき森からここまでの地形をしっかりと頭へ叩き込んでいた。

 また、ゲルマンは一直線にここへ飛んで来てくれたため、覚えるのが楽だったというのもある。


 ともかく、ここまでは――万全。

 後は、見つからないように注意しながら、ミヤのために持ち帰れるだけの情報を持ち帰るだけだった。


 ――ここは、農園でしょうか?


 ゲルマンが降り立った場所の様子を見て、そう推察する。

 広々とした敷地内は、育てている作物によって整然と区画分けされており……。

 昼間となれば、さぞかし多くの農夫が働いているのだろうとうかがえた。

 世間というものを知らぬピエールから見ても、これはかなりの大農場であると推察できる場所なのである。


 ゲルマンが降りたのは、そんな農園の片隅……。

 それも、周囲を未伐採の木々に囲まれた小屋であった。

 空中から見れば、何かの理由で使われなくなった物置きか何かのように見え……。

 地上からは囲んだ木々によって気づきづらく、下手をすれば、ここで働く農夫でさえも存在を認知していないかもしれない。

 そのような、さりげなく……。

 しかし、そうと考え出してしまえば、どこまでも怪しい小屋なのであった。


 長時間の飛行で、さすがに疲れたのだろうか……。

 音もなく地上へ降り立ったピエールには気づく様子もなく、ゲルマンは息を整えている。

 いや、ひょっとしたならこれは、緊張でもしているのだろうか?

 これは……そう。

 ミヤが読書へ夢中になっている間に、つい彼女の分までクッキーを食べてしまったピエールと、似た雰囲気を感じるのだ。


 そうしている内に、覚悟を決めたのだろう。

 意を決したゲルマンが、小屋の戸を開く。

 これを見逃す、ピエールではない。

 姿は消したまま、液状生物本来の姿に戻り、ゲルマンとほぼ同時に戸をくぐり抜ける。

 くぐり抜けた後は、素早くその後ろへ回り込んだ。


 小屋の中では、カラスやヘビなど、何匹もの……使い魔に向くとされる小動物がカゴへ入れられており。


「ヒルデスの野郎、どうやら生きているか……」


 その内、カエルの入ったカゴを見たゲルマンが、そんな独り言をつぶやいた。

 つぶやいてから、小屋の片隅……空の戸棚を見やる。

 どうも、つい最近ずらしたらしく、床にちょっとした跡が残っていた。

 そして、ずらす前にあったと思わしき場所は、他の床と明確に切り分けられていたのである。


「よっ……とっ……」


 ゲルマンが床のふちを掴むと、それはあっさりと開く。

 開いた先……。

 そこは、地下へと続く階段になっていた。


「杖と合言葉で開く仕組みなら、楽でいいんだけどな……。

 まあ、魔術学院出身のお偉い魔法使い様からしてみれば、こういう仕掛けの方が盲点になるか」


 そんなことをつぶやきながら、ゲルマンは階段を降りていく。

 当然、ピエールは素早く這いずり、彼に触れないよう注意しながら一緒に入り込んだ。


「リアカ」


 魔術の光を杖に点したゲルマンは、注意深く入り口をはめ直し、地下への階段を降りていく。


 ――カツリ。


 ――カツリ、カツリ。


 足音を響かせながら降りていった先……。

 そこに存在したのは、こんな農園の中にあるとは思えぬ魔法的な空間であった。


 壁一面はそのまま本棚となっており、魔導書と思わしき書物がズラリと並んでいる……。

 隠すことなく堂々と陳列されているのは、ユニコーンの角を始めとする禁制の品々だ。

 薬品調合に用いるのだろう設備も、ゲオグラーデ魔術学院で見たそれに劣らぬ充実ぶりであり……。

 総じて、女子寮に存在した秘密の部屋を、質、量ともに充実させたような造りなのである。


「ゲルマン様、おめおめとよく戻って来られましたな」


 部屋の中央で、酒の入ったグラスを傾けていた初老の男がゲルマンに向き合った。

 世間に疎いピエールであるが、つなぎを着ていることから、農夫のたぐいではないかと推測できる。

 しかし、身にまとった厳格な雰囲気は、学院の教師たち……とりわけ、カスペル先生を始めとする厳格な教師に似ていた。


「いきなりご挨拶じゃねえか……。

 それで、他の連中はどうしてるんだ?」


「まあ、いいでしょう」


 鼻を鳴らした初老の男が、グラスを手近な机に置く。

 それから、本題に入ったのである。


「皆様、無事に連絡が取れました。

 現在は、それぞれこちらへ向かっているところです。

 距離がある人間もいるので、完全な集合は明日になるでしょうな」


「あんたが言う『我が君』とやらの指示は?」


「『万難を排し、全員が集結してから再び杖の奪還へ向かえ』……とのことです。

 とこやみの杖が持つ力……。

 そして、あなたの話にあった未知なる魔術を使う小娘……。

 これらを、最大限に警戒してのことですな」


「さすが、おれたちのかしらは賢明でいらっしゃる。

 ……正解だと思うぜ。

 慎重を期して、損することはねえ」


「いかにも、ですな」


 ゲルマンと老人とが、互いにうなずき合う。


 ――た、大変だ。


 一方、体を透過させ、天井にへばりつきながらこれを聞いていたピエールは、見えない体をぷるぷると震えさせるのだった。

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