闇の魔法使いたち

「おや、ヒルデス様。

 まだ生きておられましたか?」


 使い魔にしているカエルへ、意識を同調させると同時……。

 ヒルデスの使い魔へと話しかけてきたのは、一人の老爺ろうやであった。

 薄汚れたつなぎを着ている姿は、どこぞの農夫にしか見えず……。

 実際、彼はバティーニュ王国の片田舎で農園を営む農場主である。

 だが、整った顔立ちといい、綺麗に手入れされているヒゲといい、どこか気品の漂った雰囲気を漂わせており、燕尾服にでも着替えさせれば、すぐにどこぞの貴族家へ仕えることも可能そうに思えた。


『ご挨拶じゃねえか、ルボスさんよ。

 こいつの支配が解けてねえんだから、オレがまだ生きてることなんて分かってるだろ?』


 こいつ――使い魔にしているカエルの口を借りて、老爺へ憎まれ口を叩く。

 場所は、ルボスが営む農園内に存在する小屋だ。

 大した広さもない室内には、他にもカラスやヘビなどがそれぞれのカゴへ入れられており、こちらに視線をくれている。

 この動物たちは、いずれも仲間たちと契約した使い魔であった

 ルボスというこの老人は、ヒルデスたち一派のつなぎ役であり……。

 闇の魔法使いたちは、ここへ使い魔を置くことによって、密な連絡と連携を可能にしているのである。


「死んでいてくれた方が良かったのですがな。

 あなたが生きている限り、常に情報の漏れる可能性が生まれる」


 冷たい目線をくれながら、ルボスがそう言い放つ。


『おいおい、仲間が生きていたことを少しは喜んでくれよ』


 カエルに肩をすくめさせるという、器用なことをやりながら告げた言葉に返ってきたのは、やはり冷たい一瞥であった。


「仲間……などという上等なもの。

 あるいは、生温いものになったことは一度としてありません。

 我らは、手であり、足……。

 いや、あなたに関しては、それらを構成する指の一本といったところでしょうか」


 老人の目には、明確なあざけりの感情が秘められており……。

 それが、ヒルデスには何とも言えず不快だ。

 あちこちを転々として暮らす中、例えば人足など、ちょっとした日雇いの仕事へありつくことも、当然ながら存在した。

 そういった、きつくつらい労働へ従事している際……。

 貴族や、あるいは商売人など、恵まれた生き方をしている人間から時々注がれたのが、このような視線である。


 その瞳に、自分たちへ代わって必要な仕事をしている人間への敬意は存在しない。

 ただ、安い賃金で過酷な労働をする者への哀れみ……。

 あるいは、自分たちがそういった立場にならず済んで良かったという安堵……。

 最も大きいのは、そのような仕事しか選べぬ身分の者たちに対する、嘲笑……。

 直接、言葉にして伝えられたわけでなくとも、そういった感情の動きがありありと伝わってきたのであった。


 ――舐めやがって。


 かつて、そういった視線を向けてきた無数の人間と眼前にいる老人とが重なり合い、そのような思いを抱く。


「大切なのは、我々一人一人の生き死にではありません。

 そのようなことは、ささいなもの……。

 最後の最後、我が君の大願を成就することこそが、寛容なのです」


 ご後説を垂れてくる老人は、確かにヒルデスたち一派にとっては、重要な立場にあった。

 実のところ……。

 ヒルデスは、彼が『我が君』と呼んだ組織の首魁へ、直接会ったことがない。

 それは、ゲルマンなども同じであり……。

 おそらく、大半の者は、せいぜいかの人物が使い魔としているネズミと話したことがあるくらいだろう。


 だが、拠点であるこの農園を営むルボスは例外であるらしく……。

 彼は、時折このようにうっとりとした顔になっては、『我が君』なる魔法使いへの忠誠を見せるのだった。


 言ってしまえば、首領の腹心であり、組織における次席。

 今の言葉からも、自分のみはその例外であるという考えが、透けて見えているのである。


『安全な所にいる奴が、よく言うぜ』


「この場所を守り、確保するのもそれなりの苦労があるのですよ。

 何しろ、闇の魔法使いたちが拠点にしていると知られれば、たちまち王国の手勢が押しかけてくるわけですから。

 私のような役割を果たす者がいるからこそ、皆様、安心して努めに励むことができるわけです。

 実際、このようにしてあなたの現状を確認することもできている」


『はいはい、ありがとうよ』


 ルボスの言葉に言い返す隙などは存在せず、ヒルデスはただ不貞腐れた態度を取る他にない。

 そんな自分に――正確には自分が操る使い魔に眉を潜めつつ、ルボスが口を開いた。


「それで、今はどういった状態ですかな?

 ゲルマン様から聞いた話では、例の小娘と……それからもう二人ばかりにしてやられた、ということですが?」


『おうよ。それに関しちゃ、ちっとばかり文句があるぜ。

 ミヤという娘の他に、もう二人、娘と小僧がいて、しかも小僧の方は闇の攻撃魔術を習得してやがった。

 事前に聞いてた情報と、随分食い違ってるじゃねえか』


「そのことは、ゲルマン様からもうかがっております。

 ゆえに、同じ言葉を返しましょう。

 指令を果たす際、不慮の事態というのは常に存在するもの……。

 それへ対処しきれなかったのは、そちらの未熟さが原因かと」


『ケッ……!

 程度にもよるだろうがよ』


「それで、繰り返しになりますが……。

 現状は、どうなっていますかな?」


 ヒルデスの憎まれ口は無視し、ルボスがそう尋ねる。


『……手足を拘束されて、床に寝転がされてる。

 連中も、闇の魔術は知ってるからな。

 魔術で口を割らせるつもりはねえようだ。

 かといって、拷問のやり方を知ってるわけでもねえから、助けが来るまではこのままだな』


「おや、我々が助けを出すとでも?」


『とこやみの杖が必要なんだろ?

 実際、使われるところを見て分かったが、ありゃ大した宝物だ。

 あんたはどうだか知らねえが、『我が君』とやらは再度の奪取を命じるだろうさ。

 今度は、分散してじゃねえ。

 より大勢で、確実にな。

 そん時、ついでに助けるくらいは手間じゃねえだろ?』


「ふむ、まあそうなりますか……」


 ヒルデスの言葉に、ルボスが思案げな様子を見せた。


 ――ガキの一人。


 ――金髪の娘が見当たらないことは伝えるか?


 その時、ちらりと脳内にそのような考えが浮かび……。

 結局、ヒルデスは伝えないことを選ぶ。

 どのような感情の働きによってそうしたかは、ヒルデス自身にも分からなかった。


『――と、ガキ共が用のようだ。

 交信を終えるぜ』


 そして、本体であるヒルデス自身に声がかけられているようだったので、そう言って一方的に会話を終えたのである。




--




「あんだ?

 用がねえなら、寝かせててほしいんだけどな。

 オレは、寝不足なんだ」


 寝転がった体勢のまま、あくまでも、不貞寝していたという体を貫きながらそう言った。


「まあ、そう言うなよ。

 あんただって、腹は減るだろ?」


 かがみ込んでこちらを見ていたガキ共の内、イルという仮面の少年がそう告げる。


「ん……。

 拘束は解けないから、食べさせる」


 もう一人のガキ……。

 ミヤという小娘がそう言いながら、スープの入った深皿からすくったスプーンを差し出す。


「……そうかよ。

 礼は言わねえぞ」


「そんなもの、期待してない」


 無表情に告げる少女の手で、スープを一口食べさせられる。

 色合いといい、香りといい、刺激的な味わいといい、初めて尽くしの代物であったが……。

 それは、とても美味しく、温かなものであり……。


 ――美味い。


 この一言をこらえるのに、随分と苦労することになった。

 そういえば……。

 こうして、誰かから何かを与えられたのは、いつ以来のことだっただろうか?

 そんなことを考えながら、ヒルデスはひな鳥のごとく与えられての食事を終えたのである。

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