第三章

ヒルデスの処遇

 とこやみの杖を狙ってきたらしい闇の魔法使いたちを、どうにか撃退することに成功し……。

 まず、問題となったのはイルの負った負傷であった。


「すごい傷……。

 最悪の場合、後遺症まで覚悟しないといけないかもしれない」


 かがみ込んで彼の傷を確認し、その酷さに息を呑む。

 イルのすねは、いまだにぶすぶすと煙を立てているような有様であり……。

 その表皮は、醜く焼けただれてしまっていた。

 本来ならば、激痛で気絶するか、あまりの痛みにより、心臓が停止してしまっていてもおかしくはないほどの火傷なのだ。


 ――ブレンサ。


 ゲルマンという取り逃した魔法使いが放った魔術は、それであるとみて間違いない。

 直撃していないというのに――この威力。

 あらためて、闇の攻撃魔術が秘めた威力を思い知らされる。

 同時に、追跡させたピエールの無事も祈らずにはいられなかった。


 ともかく、すぐにでも応急処置をしなければならない。

 いまだ薬学の授業は初歩的な部分しか履修しておらず、ミヤのつたない知識では、すぐそこにある小川の水で冷やすくらいしか思い当たらなかったが……。


「まあ、そう心配したもんじゃねえ。

 見てろよ? このくらいなら、すぐに治っちまうんだから」


 当のイルは激痛に顔をしかめながらも、意外と余裕のある声でそう言ったのである。

 そうしながら彼が腰袋から取り出したのは、水薬が入った小瓶だ。


「こいつに関しては、味がひどいからあまり飲みたくないんだけど――な」


 言いながら、一気に小瓶の中身をあおった。

 すると、おお……これはどうしたことか。

 まるで、時間の流れが巻き戻ったかのように……。

 イルの負った負傷は、たちまち消え去り、新しく生まれた皮膚や肉によって覆われたのである。

 生まれたての皮膚は、赤ん坊のようにすべすべとしていて、思わず触ってしまうとなかなかの触り心地であった。


「おいおい、くすぐったいぜ。

 こいつは、母さんから教わった中でもとっておきの薬だ。

 この守で採れる材料の中でも、とりわけ希少なもんを使ってる」


 そう言いながら、仮面の少年が立ち上がる。

 見た目から傷が失われただけでなく、しっかりと治療も完了しているらしく、確かめている足の調子に問題はないようだった。


 イルが持つ薬の威力には、驚くしかないが……。

 ともかく、これで最大の問題は解決である。

 となれば、残る問題は……。


「それで、こいつ……確かヒルデスだっけ?

 どうしようか?」


 魔術の直撃により昏倒している男へ歩み寄りながら、イルがそう尋ねてきた。


「どうしようかって、聞かれても……。

 とりあえずは、拘束する必要があると思う」


 ――トドメを刺す。


 脳裏に浮かんだ選択肢を打ち消しながら、答える。

 相手は、容赦なくこちらを殺そうとしてきた人間であり……。

 いかなる観点から見ても、間違いなく悪人であろう。

 しかし、そうだとしても、無抵抗な相手を殺害することには強烈な忌避感があった。


「拘束か……。

 とりあえず、動けなくしちまえばいいんだよな?」


 森に入っての狩猟や採集というものは、必要な物が実に多く、ロープを始めとする紐類やナイフはその代表格である。

 イルは一本の紐を取り出すと、それをナイフで手頃な大きさに切り、後ろ手で組ませたヒルデスの親指同士を結び合わせた。

 ミヤの想像していた拘束というのは、ロープで体をぐるぐる巻きにするというものであったが、なるほど、これならば最小の消費で、よりしっかりと行動の自由を奪えることだろう。

 イルが、さらに足首同士を結び合わせる。

 これならば、いかなる縄抜きの達人でも脱出は不可能であると思えた。


「で、拘束したところでどうしようか?」


「ひとまず……家に連れて帰る?

 質問に答えるかは分からないけど、聞きたいことはいくらでもある。

 あるいは、こいつを突き出せば、闇の勢力が実在することを証明できるかもしれない」


 それは、ミヤにとっては希望である。

 事実として、このヒルデスが見せた戦闘力は、正統な魔法使いの及ぶものではなく……。

 対抗するために闇の攻撃魔術習得が必須であったと訴えれば、自身の正当性が証明され得るのだ。


「そんじゃ、かついで行くか。

 釣り、途中で切り上げになっちまったな」


 そう言いながら、気絶したヒルデスを担ぎ上げ、ついでに紅鮎が泳いでいるビクも回収する。

 気絶した大人というのは、相当な重さがあるはずだったが、仮面の少年はそれを問題としていなかった。


 残る荷物をまとめるのは、ミヤの仕事だ。

 一つ一つの道具が貴重なここでの生活において、置き去るという選択肢は存在しないのである。

 と、そこで地面に放り投げられていた品に気づく。


「これも、持って行く」


 それは、ヒルデスが投げ捨てた箒であった。

 闇の魔法使いであっても、こればかりは通常の魔法使いと何も変わらないらしく、ごく普通の造りである。

 試しにまたがり、釣り道具を紐でぶら下げた。

 三人分の道具となるとなかなかの重量であったが、箒を使って浮遊しながら吊り下げれば、それも苦とはならない。


「箒か。

 一応、練習はしたし持ってもいるんだけど、あんまり使わねえな」


 箒に乗ってふよふよと浮かぶミヤを見ながら、イルがのんきにつぶやく。


「狩りとかに使えば、便利な気がする」


「いや、空を飛んでると、どうしても目立っちまうからな。

 獣っていうのは、ただでさえ感覚が鋭い。

 こうしている今だって、何十メートルも先からこっちの存在を感知しているもんだ。

 それに近づいたり、あるいは悟られないように離れるためには、自分の足を使うのが一番さ」


 そう言いながらも、イルは肩におぶったヒルデスを軽く揺すってみせた。


「こいつらだって、俺たちに近づく時は箒を降りてただろ?

 こいつの接近には気づけてたんだが、もう一人の存在に気づけなかったのは俺の失敗だな。

 戦いに集中しすぎちまった」


「そういうものなの……?」


「そういうものなんだ」


 あらためて聞くと、戦闘者の心構えというものは、ミヤがこれまで過ごしてきた世界では思いもよらぬものである。


「にしても、さっきの魔術はすごかったな。

 母さんにも、あんなのは教わってないぜ」


「それは当然。

 即興で作った術」


「マジか!?

 ハンパねえな!」


「それほどでもない」


 少しばかり、鼻息荒く答えたりしつつ……。

 ミヤたちは、小屋への帰路についたのだった。

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