マリアとアルフォート
石造りの空間には、びしりと長机が並べられており……。
普段は天井部を飾る彫刻と化しているガーゴイルたちが、給仕役として忙しく飛び回る。
大決闘大会の優勝を飾った生徒が、秘密裏に闇の攻撃魔術を習得していたことが判明し、のみならず、監禁されていた『静寂と静謐の部屋』から脱走し、多数の教員を負傷させて学院から逃走……。
前代未聞の大事件から一週間あまりが経過しようとしていたが、ゲオグラーデ魔術学院の食堂で繰り広げられる光景は何も変わらぬものであった。
どのような事件が起きようとも、腹は減る。
そして、明日を担う魔法使いの卵として、このような時だからこそしっかりと食べ、英気を養い、学びに励まなければならない。
食べ盛りの生徒たちは、今日もガーゴイルたちが運んでくる食事に舌鼓を打ちつつ、歓談に花を咲かせるのであった。
もっとも、それは一般的な生徒における話……。
事件へ深く関わっていた生徒には関しては、その限りではない。
例えば――アルフォート・バティーニュ。
この国の王子であり、問題を起こした当の生徒と婚約していた少年は、物憂げな顔で食卓の端に一人腰かけ、飛来したガーゴイルの配膳にも拒否を示していた。
その頬が、ややこけて見えるのは勘違いではないだろう。
「殿下、今日も食事をお取りになっていないわね……」
「無理もないわ。
あのようなことがあっては、元気が出るはずないもの」
「それだけじゃないわ。
あなた、例の噂聞いてないの?」
「噂って?」
「聞いた話によると、例の生徒が逃亡する時、殿下も発着塔におられたらしいわ」
「ええ? それでどうなったの?
まさか、逃亡を手助けしたとか?」
「逆よ。まったく、逆。
逃亡しようとするのを阻止したけど、返り討ちにあったらしいわ」
「大決闘大会の決勝と同じことが、起こったってわけね……」
「先生方も含め、体の傷は薬で治っているけど、心ばかりは……」
「本当においたわしい……」
女生徒たちが、『金髪の貴公子』についてきゃいきゃいと会話を弾ませる。
言葉では、傷心の王子をいたわっていた。
しかし、実際のところは、その醜聞を面白おかしく楽しんでいるとみて間違いない。
いつの世においても、当事者足り得ぬ第三者にとって、有名人の事件は日常を彩る娯楽であるのだ。
そんな中において、他とは毛色の違う反応を見せる女生徒が一人……。
「殿下……」
距離を置いた席で、誰にも聞こえぬようにつぶやく一年生の名を、マリアといった。
--
魔術にせよ、勉学にせよ、十分な休養がなければ、かえって身につくのが遅くなるというのは、学院の教師陣にとって共通の見解であり……。
腹ごなしも兼ねて、学院では昼食後に長めの休憩時間を取り入れている。
その間、生徒たちは読書をするもよし、雑談を楽しむのもよし、あるいは、球技など楽しむのもよし……。
無論、学院の中庭に存在するベンチに一人腰かけ、物思いにふけるのもよしなのであった。
とはいえ、そうして一人座り込むアルフォートの姿が健全な学徒のそれであるかと問われれば、否と答える他にないだろう。
一週間前までは中天の太陽か、あるいは夜空にきらめく星のごとき輝きを見せていた少年も、今はただ、疲れ果てた姿をさらすのみなのだ。
王子という身分と、明らかに他者との交流を拒んでいるその態度は、先生たちの張る結界よりも強力に作用し、周囲に他の生徒が近づくことを許さない。
だが、果敢にも一人……そんな彼へ話しかける少女がいたのである。
「あの、殿下……」
「君は……?」
余人など視界に入らぬ状態であったアルフォートが、わずかに目を見開く。
彼に話しかけてきたのは、亜麻色の髪をゆるりとなびかせた一年生であり……。
ここしばらくにおいては、かつての婚約者と同等に深く記憶へ刻み込まれた少女であった。
「確か、マリアか……」
「はい、覚えておいて頂けて、恐縮です」
マリアが、小さくお辞儀をしてみせる。
その所作は、いかにも洗練されておらず、平民出身という彼女の出自を意識させられるものであった。
そんな彼女は、身一つで話しかけてきたわけではない。
その手に、小さな紙包みを持っていたのである。
「あの、殿下……よろしければ、こちらをお食べになりませんか?
わたしの……手作りなんですけど」
「え……?」
差し出された包みを、反射的に受け取ってしまう。
中身を見てみると、クッキーが入っていた。
「悪いけど、今は食欲がないんだ」
アルフォートは、決して甘い物を苦手としているわけではない。
しかし、激しいうつ状態によって、内蔵が動きを止めてしまったかのような状態であり……。
とてもではないが、何かを入れようという気分にはなれなかった。
ゆえに、紙包みを閉じ、そのまま返そうとする。
が……。
「駄目です」
それは、思いのほかに強く拒否された。
「え……?」
その反応に、驚いてしまう。
他でもなく、アルフォートはこの国の王子であり……。
学院内では身分差を意識することが禁じられていようとも、その言葉には確かな強制力が宿る。
そんな自分の言葉を真っ向から否定されるのは、実のところ、これが初めてであった。
「こういう時だからこそ、無理してでも食べるんです。
まず、体の方を元気にしなければ、心が回復することもありませんよ。
この国の王子様として、それでいいんですか?」
「いや、あの……」
「ほら、食べて下さい」
ずいと紙包みを押し戻され、閉口してしまう。
どうも、彼女の言葉には、逆らうことを許さぬ迫力があった。
あるいは、二つも年下の少女に気圧されるほど、今の自分が弱っているのか……。
「わ、分かった……。
そういうことなら、一つだけ」
ともかく、こうなれば食べる他にないだろうと覚悟を決め、中身のクッキーを一つ取り出す。
そうして食べたそれは、
「……美味しい」
思わず、目を見張るほどの味だったのである。
特別な材料を使っているわけではない。
あるいは、自分が空腹であることも関係しているのかもしれない。
とにかく、優しく……体の奥底へと染み込んでくるような、そんな味わいであったのだ。
「ありがとう。
これ、すごく美味しいよ」
視界が開け、世界が色を取り戻したような感覚に包まれる。
「よかったです」
そんな自分に、少女はふわりと笑いかけた。
「ミヤちゃんがああなったのは、わたしが余計なことをしたせいなんじゃないかって、そう思っていたので……。
これで、少しは罪滅ぼしになったでしょうか?」
「罪滅ぼしだなんて、そんな……」
マリアの言葉に、そういえば、事件の発端は彼女がミヤの研究を知ったことであると思い至る。
「君は、学院の生徒として当然のことをしたんだ。
何一つ、悪く思う必要はない」
「でも……」
ためらう少女を見て、一つ思いつく。
それは、実に妙案であると思えた。
「もし、君さえ良ければ、またこうしてお菓子を食べさせてくれないか?」
「え……?」
戸惑う少女に、この国で最も
「このクッキーは、本当に美味しい。
華美に飾り立てるわけではなく……。
作り手の思いやりが伝わってくるような、そういう味だ。
今回だけと言わず、是非また食べたいと思ったんだけど、どうだろう?」
「そんな……過分なお言葉です」
マリアは、しばらく
「その……わたしなんかの手作りでいいんでしたら、喜んで」
「君の手作りだから食べたいんだ。
よろしく頼むよ」
あくまで謙虚な少女に、アルフォートはほほ笑みかけた。
それは、少年が久しぶりに浮かべる笑みであり……。
この日を境に、二人の仲は急激に縮まっていったのである。
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