消えた証拠品

 翌朝……。

 リンドロート商会が放った新聞鳥たちがもたらした情報は、人々にとって寝耳に水の出来事であった。


「ドラコーン公爵家のご令嬢が、密かに闇の攻撃魔法を学んでたってよ! こわいね!」


「国王陛下の使い魔も裁きの場にいたので、王子様との婚約はその場で解消! ウケる!」


「ご令嬢当人は、ゲオグラーデ魔術学院の懲罰部屋に軟禁されて、処分待ち! ざまあみろ!」


 極彩色の羽と大きなトサカが特徴的な鳥たちは、いちいち余分な言葉を付け足すのが悪い癖であるが、もたらす情報そのものは商会が精査した正確なものである。

 ゆえに、人々が受けた衝撃は非常に大きなものであった。

 しかも、前日の夕方には、やはりリンドロート商会が放った新聞鳥たちによって、問題の公爵令嬢が一年生にして初の大決闘大会優勝を飾ったと聞いているのである。


「聞いたか? 昨日、大決闘大会で優勝したっていうご令嬢……」


「ああ、闇の攻撃魔術を密かに習得していたんだって?」


「実際、使ってるところを見た奴はいるのか?」


「いや、新聞鳥はそこまでは……。

 でも、ヴィタリー校長自らが取り調べをしたらしいぞ。

 それも、大勢の教師や使い魔たちが見てる前でだ」


「それで、本人が認めたってんだから、これはもう決まりだろう」


「ああ、なんて恐ろしい……」


「こうなると、大決闘大会で優勝したのも、何か邪悪な手を使ったんじゃないかって、疑いたくなるわね」


「あたしは、最初からおかしいと思ってたんだよ。

 一年生っていや、うちの娘と同じ年じゃないか。

 それが、いきなり栄えある大決闘大会で優勝なんてさ」


 街の喫茶店……。

 あるいは、乗り合い馬車の停留所……。

 はたまた、長屋の共用井戸など、様々な場所で、様々な階層の人々が口々に言い合う。

 驚くべきは、彼ら彼女らが前日は同じ口を使って、ミヤのことを小さな英雄だの、頼れる未来の妃だのと褒めそやしていたことだろう。

 げに恐るべきは、大衆というものの手のひら返しであった。


 多くの人々にとって、王子だの公爵令嬢だのは雲の上にいる存在であって、自分たちとは関係がなく……。

 せいぜい、たまに新聞鳥からもたらされる情報を通じて、娯楽として消費する対象でしかなかった。

 いってしまえば、現実の世を舞台として踊る役者のごとき存在なのだ。


 その役者が、大決闘大会優勝という栄光を掴んだ翌日には、闇の攻撃魔術を学んだ大罪人として監禁されている……。

 人々を楽しませる演目としては、なかなかに予想外であり、昨日からの落差が面白おかしく感じられるものであった。


 つまるところ……。

 このバティーニュ王国において、ミヤ・ドラコーンの味方は、誰一人として存在しないのである。




--




 こと魔術の修行において、瞑想というものは必要不可欠な項目だ。

 目を閉じ、しかし、心は開き、その上で思考という雑音を取り除き世界との合一を図ることによって、魔法使いの魔力は高まり、扱う術は確実に冴え渡っていくのである。

 もっとも、それは完全な瞑想を果たした場合における話であり、未熟な術者にとっては、まずこれを成立させることが難題であるのだが……。


 その点、ミヤが今行っているそれは、完璧なものであるといってよいだろう。

 座禅を組んで座り込んだその体は、瞑想を始めて二時間以上は経過しているというのに、ぴくりとも動くことはなく……。

 目を閉じ、背筋を伸ばした姿は、脱力しながらも緊張を保つという矛盾が見事に成立している。

 今、魔術を行使したのならば、それは自身、思いもよらぬほどの威力を発揮するに違いない。


 最も、発動を助けるべき杖は没収されているため、今のミヤに使用可能な魔術はといえば、かなり限られてしまうのだが……。

 そもそも、こうして瞑想にふけっているのは、他にできることが何も存在しないからである。


 小柄な少女が座しているのは、小娘一人を放り込むには少々大がかりな空間であった。

 壁も床も、隙間なく幾何学的な模様で彩られており、迂闊に目を開けばそれらに惑わされ、酔ってしまいそうなほどである。

 だが、この部屋が真に恐ろしいのは、視覚に対する訴えではない。


 ――聴力だ。


 室内は一切の音がない、完全な静寂状態となっており……。

 もし、ミヤが身じろぎの一つもすれば、衣ずれや髪の動く音が、自身にはっきりと聞こえることだろう。

 実際、深い呼吸音のみは、瞑想しながらも耳朶に響き続けているのだ。


 ここは、ゲオグラーデ魔術学院において、『静寂と静謐の部屋』と呼ばれし部屋であった。

 その目的は――懲罰。

 ここに放り込まれた生徒は、絶対的な無音状態によりかえって鼓膜がつんざかれるような感覚に陥り、出される頃には、前後不覚となっているのである。


 おそらく、外からミヤの様子は覗き見られているのだろうが……。

 いまだ教師たちが救出に入らないのは、ミヤが一年生にして魔法使いの完成形へ達しつつあることの証左であろう。

 あるいは、恐るべき闇の攻撃魔術を習得したという相手に、恐怖しているのか……。


 どうやら、後者でないらしいことは、固く施錠されていたドアが開いたことで判明した。


「ふむ……この『静寂と静謐の部屋』に放り込まれた生徒は、大抵の場合、一時間もしない内に音を上げ、出してくれと懇願するものなのだが……。

 まさか、一夜を越えてなおも平然としているとは。

 どうやら、君は大抵のくくりに入らない生徒であるらしい。

 もっとも、闇の攻撃魔術を習得しているという時点で、一般的な魔法使いからは逸脱しているのだが……」


 開かれたドアの先……。

 光に溢れる世界を背に入室してきたのは、カスペル・リンドボリ先生である。

 彼が教えているのは、光の防衛魔術であり……。

 杖を振るわせれば、現職の魔法警察でもかなわないだろうと言われている凄腕だ。

 何の用があるにせよ、接触させる教師として彼を選んだのには、ミヤに対する最大限の警戒が見て取れた。


「魔法使いにとって、持て余すほどの暇と他を気にせず済む静けさは、常に己を高める機会である……。

 先生の教えを、忠実に守っただけです」


「皮肉なものだ。

 私の教えを最も忠実に体現しているのが、闇の魔法使いであるとは」


 枯れ木のように痩せ細った魔法使いが、波のような形をした白髪混じりの黒髪を揺らしながら、面白くなさそうに答える。

 彼の右手には、竜の牙を芯材とした栗の杖が握られており……。

 長さ二十八センチほどの黒い杖はすでに魔術を発動していて、彼の隣に食事の乗ったお盆を浮かべさせていた。


「進退を審議中の問題児とはいえ、我が校に学徒を飢えさせるという校則はない。

 遠慮なく、食べたまえ」


 彼が杖を振るうと、お盆がひとりでにミヤの前へと舞い降りてくる。

 乗せられているのは、パンと豆類のスープ、そしてコップ一杯の水のみだ。

 ……なるほど、飢えさせる校則はないが、あくまでも、飢えさせないだけであるらしい。

 そもそも、この部屋で食事を取るということは、自身の咀嚼音や水を飲む音が鼓膜に響き渡るということであり……。

 生命を育むためのそれが、恐るべき苦痛を伴うものに早変わりするのである。


「……頂きます」


 とはいえ、ミヤは十三歳。食べ盛りの年齢だ。

 空腹を覚えていたのは確かなので、遠慮なくそれを受け取る。


「食べながらでいい。聞きたまえ」


 カスペル先生は、そんな彼女へ世間話をするかのように語り始めた。


「この私自身も含め、君が使っていたという秘密の部屋を調査している。

 調査しているが、話していた闇の魔法使いが記したという日記は、今のところ見つかっていない」


「え?」


 その言葉に、驚きの声を漏らしてしまう。

 問題の日記は、室内の机に備わった引き出しへ無造作にしまってある。

 探せば、すぐに見つかるはずであった。


「そのため、現状では、我々は君の証言を嘘であると判断せざるを得ない。

 もしかしたら……。

 あの部屋を作ったのは他ならぬ君自身であり、中に収められたご禁制の品々も、君自身が収集したのではないかとすら、考えている」


「そんな……」


 それは、信じられぬ話であった。

 どのように転ぼうとも、話した内容の真偽自体はすぐに証明されるだろうと考えていたのである。


「まあ、覚悟を決めておくことだ。

 より深い覚悟を、な」


 人々を守護すべき魔術の達人が向ける眼差しは、どこまでも冷たく酷薄なものであった。

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