かりそめの法廷 下
――ざわ。
――ざわ、ざわ。
百人以上は講義を受けられる大教室内が、教師たちのざわめきで埋め尽くされる。
「――静粛に」
しかし、ヴィタリー校長が腰の杖を引き抜いて掲げると、それはたちまち収まった。
材質は、杉の木。
芯材となっているのは、ペガサスの羽根。
ねじれが特徴的な黒い杖は、およそ二十七センチほどの長さであり、素材も長さも、珍しさは何もない。
だが、偉大な魔法使いが長年使い込んできたそれには、学院が秘蔵する宝物にも劣らぬ風格が漂っており……。
その杖が掲げられると、裁判官の打つ木槌にも劣らぬ効果があった。
「……では、ミヤよ。
女子寮の広間に隠されているという秘密の部屋について、お主の説明を」
「はい」
尊敬する魔法使いにうながされ、口を開く。
そう、ミヤがあの部屋を知ったのは……。
「あの部屋について知ったのは、入学してすぐの夜でした。
自室で眠っていると、夢の中に知らない魔法使いが現れたのです」
「知らない魔法使い、とは?」
校長に問いかけられ、何度となく思い出そうとした記憶を呼び起こす。
だが、結果はいつもと同じ……。
「……本当に、知らない魔法使いとしか言いようがありません。
夢を見た時ははっきりしていたんですが、思い出そうとしても、顔にはもやがかかっているようで、人相を知ることができないんです」
「ふうむ……。
それで、その魔法使いは?」
「はい。
魔法使いは、女子寮の大広間……さっき、マリアが説明した柱の前に立っていて、呪文を唱えながらそこを杖でなぞりました。
そうすると、そこへ吸い込まれていって……それで、夢は終わったんです」
「お主は、夢で見たものをそのまま真似てみたのか?」
校長の問いに、うなずく。
「飛び起きた私は、不思議と眠気も消えていて……。
それで、こっそりと夢で見たものを真似てみました。
そうすると、あの部屋に吸い込まれたんです」
「そこで、お主はマリアが語ったのと同じものを見たのか?」
「はい。
本棚に収まった魔導書は、盛んに闇の攻撃魔術へ誘ってきました。
でも、その時はそれを無視して、とにかく部屋の様子を見た後、先生に報告しようと考えたんです。
そしたら、机の上に置いてあった本を見つけました」
「本、とは?」
自分の説明に、ヴィタリー校長が興味深げな視線を向けてきた。
それで、ミヤはその本について語り始めたのである。
あの夜、秘密の部屋で見つけた一冊の本……。
あれこそが、禁忌であると知りながら闇の魔術を研究するきっかけとなったのだ。
「本の内容は、日記でした。
あの部屋を、以前に使っていた人物……。
闇の魔法使いが、日記を残していたんです」
「闇の魔法使い……。
お主は、当学院に闇の魔術を使う者が在籍していた。
あるいは、今も在籍していると、そう言うのか?」
――ざわ。
――ざわ、ざわ。
再び、ざわめきが巻き起こる。
今度は、校長もそれをたしなめることはしなかった。
ミヤが口にしたのは、それだけ衝撃的な内容であり……。
傍聴する人々と同じだけの驚きを、当時の自分も抱いたのである。
「日記でありながら、日付けは残されていなかったので、いつ頃に在籍していたのかは分かりません。
ただ、日記の内容は現在の体制に対する恨みつらみ……。
特に、王家に対する復讐をほのめかせる記述が目立ちました。
しかも、個人名などは書かれていませんでしたが、学外にも多数の……それも、闇の攻撃魔術を習得した者が潜伏していると」
「――何だと!?」
ミヤにとって、ヴィタリー校長が動揺する姿を見るのは初めてのことであった。
これは、それだけの重大事であるのだ。
「……かつて、わしがまだ見習いの若造に過ぎなかった頃、この大陸に魔法大戦と呼ばれる戦乱の嵐が吹き荒れた」
遠い記憶を探るように、校長が語り始める。
「炎が吹き荒れ、大地を揺るがし、雷鳴を轟かせる……。
かの戦乱において覇を唱えようとした魔法使いたちが操る術は、この大陸に……そして、そこへ生きる全ての生命に甚大な被害をもたらした。
驚くなかれ。
現在の人口は、当時の半分にも満たないのだ」
それは、この大陸に生きる者ならば誰もが知っている戦争の歴史だ。
しかしながら、実際に当時を生き抜き、恐るべき勢力との戦いに身も投じた人間が口にすると、重みというものが違う。
「我々は、大きな犠牲を払った。
しかし、国家の垣根を越えて一丸となることにより、ついに、あの魔王と称すべき恐るべき魔法使いを倒し、平和を取り戻すことができたのだ」
当時、犠牲となった友人たちに思いを馳せているのか、目を閉じながら校長が続ける。
そして、その目を開くと、ゆっくりとミヤに視線を向けた。
「その後も、残党との戦いは長く続いたが、ついにこれを滅ぼし、闇の攻撃魔術と呼ばれた術の数々も歴史に葬り去ることができたと思っていた。
だが、それは勘違いでしかなく……。
かの連中が残党は、わしらが思うよりもより根深く、身近な所に巣食っていたというわけじゃな?」
「その通りです」
我が意を得ることがかない、ミヤはうなずく。
「そして、それを知ったお主は室内の魔導書などから知識を得て、密かに闇の攻撃魔術を学び、習得していたと……そういうわけじゃな?」
「間違いありません」
だから、続く言葉にも間髪を入れず即答したのである。
しん……とした静寂が、大教室を支配した。
今度のそれは、驚きによってもたらされたものではない。
強いていうならば――失望。
ミヤに対する落胆を、沈黙という形で人々が露わにしたのだ。
「ミヤ……本当なのか?
君は、本当に闇の攻撃魔術を身に着けているのか?」
その証拠に、見るがいい。
立ち上がり、こちらを見るアルフォートまでが、青ざめた顔をしているではないか。
いや、これはただ、顔を青ざめさせているだけではない。
――恐怖だ。
今まで、婚約者が見せたことのない感情が、そこには表れていた。
「ミヤよ……。
今、話した歴史の教訓として、闇の攻撃魔術を習得することは固く禁じておる。
お主とて、それを知らなかったはずはあるまい?」
「はい、もちろんです」
校長の言葉に、やはりはっきりとそう答える。
人々の浮かべる落胆が……。
そして、自分に対して抱く恐怖が、ますます深まったのを感じた。
人間の感情というものは、時に魔術のごとく他者に対して作用するものなのだ。
「ならば、それを知った上で、どうして術を習得した?
わしら教師に相談するという選択肢を、どうして選ばなかった?」
「この事実を伝えれば、先生方や魔法警察が動くと思ったからです」
「当然だ。
動かぬはずがないし、動いて何が悪い?」
「犠牲が出ます。
とても、とても大きな犠牲が……」
この半年間、あの部屋で学び、研究したことを踏まえてそう断じる。
「敵は……少なくとも、あの部屋を使っていた闇の魔法使いは、過去とは比べ物にならないほど自分たちの術を進化させ、洗練させています。
断言しますが、今伝わっている光の防衛魔術では対抗できません。
例え相手の足取りを掴んだとしても、無策で挑めばかつてと同じく多大な犠牲を払うだけです」
これは、半年間自問自答し続け、その度に導き出してきた回答であった。
それほどまでに、あの部屋に残されていた術は強力であり……。
もし、それをミヤが行使したならば、ヴィタリー校長以外は対抗できぬに違いないのだ。
「……ですので、私は密かに闇の魔術を学び、研究し、それへの対抗策を見い出そうとしていたんです。
全ては、人々を……そして、王家を守るために」
――これを聞けば。
ミヤの中には、そのような思いがあった。
闇の攻撃魔術に対する忌避感は、大陸の全住民に深く刻み込まれている。
ゆえに、王子や傍聴する教師陣……。
そして、使い魔越しにこの様子を見る父たちが深い拒否感を示したのも、理解はできるのだ。
だが、今の決意を聞けば……。
少なくとも、アルフォートのみは……。
「僕は……嫌だ。
そんなもので、守られたくはない」
しかし、婚約者が見せた反応は無情なものであった。
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