かりそめの法廷 上

 ――この学院に、存在しないものを探す方が難しい。


 とは、数代前の校長が言い残した有名な言葉であるが、法廷というのは、その難しい代物の一つであった。

 何しろ、ゲオグラーデ魔術学院は基本的に教育機関であり、誰かを罰するにしろ、それは教師陣の判断へ委ねられることとなる。

 ゆえに、そのような場所はこれまで必要なかったのだが……。

 今日、この時ばかりは例外であり、大教室の一つが、かりそめの法廷として整えられたのであった。


「このような場を設けなければならなくなったこと、誠に残念に思う……」


 普段は、生徒たちへ様々な教えを伝えるために使われる教壇……。

 今は裁判長の席として用意されたそこへ登壇し、魔術学院の校長――ヴィタリー・トラフキンは、鎮痛な表情でそうつぶやく。


 裁判において被告人が座る席には、問題の生徒であるミヤ・ドラコーンが着席しており……。

 これも裁判に例えると弁護側が座る席には、彼女の婚約者であるアルフォート王子と、ミヤが裁かれる原因となったノートを発見したマリアが座っていた。

 ここへ呼ばれた生徒は、この三名のみである。


 では、他に誰もいないかといえば、そうではない。

 傍聴席と呼ぶべき場所には、教師陣のほとんどが詰めかけており……。

 大教室の窓には、フクロウやカラスなどが止まっていた。

 これらの鳥類は、貴族たちやあるいは役人が使役する使い魔であり、その目と耳を通じ、裁きの内容を主に伝える大任が負わされているのだ。

 当然ながら、アルフォートの父王や、ミヤの父であるドラコーン公爵が操る使い魔もまた、参列している。


 事件発覚から、およそ三時間あまりしか過ぎていないことを考えれば、これだけの場を整えるのも、使い魔越しとはいえ名だたる名士たちが集まるのも、全てが異例のことだ。

 その事実は、裁くべき罪の重さを示していた。


「それでは、まずは事件の全容について説明する。

 ――マリアよ」


「はい」


 偉大なる魔法使いに名指しで呼ばれ、平民出身の一年生がやや青ざめた顔をしながら立ち上がる。


「そう、緊張することはない……といっても、難しかろうが」


 ビール樽めいた腹を揺さぶりながら、老齢の校長がほほ笑みかけた。

 長年生きることで身についた徳というものは、時にいかなる魔術にも勝るものであり……。

 腰まで伸ばした髪もあごヒゲも真っ白な老人にそう言われると、マリアはどうにか気を落ち着けられたようだ。


「うん、それでよい……。

 では、お主が見たままのものを語ってくれるかな?」


 うながされ、マリアがぽつぽつと語り始める。


「わたしは、貴族の人たちと違って、小さい頃から魔法の勉強をしていたわけではないので、いつも少しだけ夜更かしして、勉強をしてるんです。

 それで、昨日の夜、その……お手洗いに行きたくなって……」


 そこまで言うと、マリアがわずかに顔を赤らめた。

 年頃の少女であることと、話している内容を思えば当然のことであろう。

 しかしながら、この場へ集った人間にはそのようなことへ構っている余裕はなく、ヴィタリー校長も先をうながしたのである。


「それで、用事を済ませた後……。

 大広間にある柱の一本へ、ミヤちゃんが吸い込まれていくのを見かけたんです」


「大広間というと、女子寮のかな?」


「はい。

 たまにパーティとかも開かれたりするので、女子生徒全員が入れる広さなんですが……。

 北から二列目、東から五本目の柱に、西側から吸い込まれていきました」


「ふうむ……」


 マリアの言葉に、ヴィタリーは自慢のヒゲをしごきながらうめく。


「我が校の歴史は深く、校内には、先人の残した様々な仕掛けが眠っておる。

 中には、先人が実験や研究などに使うためこしらえたものの、口伝や後始末を忘れ、偶然に発見される物もな……。

 ミヤが吸い込まれたというのは、そのような……俗に『忘れられた部屋』と呼ばれている場所じゃろう。

 あるいは、ミヤ自身が魔法で秘密の空間を作り上げたか……まあ、そこは重要ではない」


 そこまで告げると、校長は最も重大な質問をした。


「それで、お主はこっそりと隠れ潜みながら見張り、ミヤが出てきた後、その空間に足を踏み入れたのだな?」


「はい。

 合言葉と杖でなぞる場所は、ミヤちゃんが吸い込まれる時に見て覚えてましたから」


 マリアがそこまで言うと、続く言葉を遮る者が現れた。


「校長先生、発言してもよろしいでしょうか?」


 他でもない……。

 アルフォート王子である。


「よかろう。

 話すがいい」


 ヴィタリーが許可すると、王子はその場で立ち上がった。

 そして、隣の女子生徒に向け、こう尋ねたのである。


「君は、どうしてこっそり見張るような真似をしたんだい?

 ミヤとは学友なんだから、自分も一緒に入るとかすればいいじゃないか?」


「それは……その……」


 聞かれたマリアが、しばらく考え込む。

 そうした後、やはり恥ずかしそうにこう答えたのだ。


「恥ずかしながら、ミヤちゃんの秘密を覗いてみたいと思いました。

 彼女は、学年でも……いえ、昼間に示された通り、学院でも一番の生徒ですから。

 すごさの秘密が隠されてるかもと、思ったんです」


「だが……」


 なおも追求しようとしたアルフォートを、ヴィタリーが制する。


「あまり褒められたことではないが、マリアの発言は理路整然としておる。

 アルフォートよ。話を逸らすことはまかりならぬ」


「……はい」


 そうたしなめられ、王子でもある学徒は着席した。

 バティーニュ王国において政治の頂点に立つのは国王であるが、では、魔術魔法の領域において頂点に立つのは誰かといえば、それは学院の校長を置いて他にない。

 ゆえに、ゲオグラーデの校長職というのは、時に国家指導者へ匹敵するほどの権威を発揮するものであり、王族であろうと軽々しく反論できるものではないのだ。


「では、マリア。

 話の続きを」


「はい。

 ……一時間ほど見張っていると、ミヤちゃんが柱から出てきて、そのまま多分、自室へと帰っていきました。

 それで、私も先ほど説明した通り、呪文と杖でなぞるのを真似したら、柱の中に吸い込まれたんです」


「吸い込まれた先で、何を見たのかな?」


「……恐ろしいものです」


 校長の問いかけに、女子生徒はわなわなと体を震わせながら答えた。


「本棚一杯に収められた書物は、それそのものが意思を持っているようで、盛んに闇の魔術を学べ、極めよとささやいてきました。

 薬品棚に収められているのも、見たことがない素材ばかりで……。

 でも、一つだけ分かる物が。

 あのねじれ角は、禁忌とされているユニコーンのものだったと思います」


 ――ざわり。


 その言葉を聞いて、傍聴席の教師たちがざわめく。

 のみならず、窓に止まった使い魔たちも互いを見交わし、何やらささやきあった。


 ――ユニコーンの角!


 秘められた魔力は絶大であり、それゆえにかの魔獣は乱獲され、大きくその数を減らしている。

 仮にこれを所持していたのだとしたら、それだけで重罪なのだ。


「……何ともはや」


 偉大な魔法使いはそう言って、かぶりを振った。


「……わたしが見たのは、以上です。

 怖くなって、すぐにその部屋から出ました」


 説明を終えたマリアが、着席する。

 教壇の老魔法使いは、しばらく眉間を揉んでいたが……。


「では、ミヤ・ドラコーンよ」


 やがて気を取り直し、問題の生徒に呼びかけた。


「はい」


 黒髪の女子生徒が、ゆっくりと立ち上がる。

 その様は堂々としたものであり、小柄な体躯に見合わぬ胆力というものが感じられた。


「ここまで、マリアが語った内容に間違いはあるか?」


「いいえ、ありません」


 少女の返答は、はっきりしたものだったのである。

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