秘密のノート
石造りの空間内には、びしりと長机が並べられ、生徒たちが隙間なく着席しており……。
普段は天井部で彫像として固まっているガーゴイルたちが、給仕役としてせわしなく飛び回る……。
ゲオグラーデ魔術学院の大食堂が、戦場のごとき様相を呈するのはいつものことであったが、一年の折り返しにあたる本日は大決闘大会の慰労も兼ねているため、供される料理の質も量も普段とは比べられぬほど豪華なものであった。
生徒たちは食べ切れぬ量の献立から何を選び取るかに迷い、選択したそれに舌鼓を打ちながら、半年の総決算ともいえる試合内容に思いを馳せ、明日への活力を養うのである。
それは、一年生にして優勝するという快挙を成し遂げたミヤ・ドラコーンであっても、例外ではなく……。
彼女はカップケーキやプティング、クッキーやマカロンなどを眼前に集め、むふりと満足げに鼻息を漏らしていた。
食堂内は原則として自由着席であり、誰もが思い思いに友人と席を囲み、会話を弾ませながら料理を楽しんでいる。
しかしながら、長机の端に腰かけた彼女の周囲は空白地帯と化しており、日頃の交友関係というものがうかがい知れた。
大決闘大会の優勝者であり、いわば宴の主役であるのだから、声をかける男子の一人くらいいても良さそうなものであるが、大会で見せた圧倒的な実力……。
そして、何より婚約者の存在がそれを許さないのである。
「ミヤ、相変わらず甘い物ばかりだね」
そんな彼女の婚約者であり、決勝戦の敗者でもある少年が、向かいの席に腰かけた。
すると、事前に頼んでおいたのだろう……給仕役のガーゴイルが舞い降り、彼の眼前に肉料理を中心とした皿が並べられていく。
こちらはこちらで、随分と偏った選択である。
「魔法を連発すると、甘い物が欲しくなる。
殿下がもう少し簡単にやられてくれたら、こうはならなかった」
カップケーキを一口かじったミヤが、淡々と話す。
「どうかな……。
僕があっさりやられてたとしても、ミヤの前にはお菓子が積み上げられてたと思うけど?
それに、こっちは一国の王子だし、初の優勝もかかってたからね。
そう簡単には……いや、内容を見れば簡単にやられてた気もするけど、とにかく、全力は尽くさないと」
豚のバターローストにナイフを突き立てたアルフォートが、苦笑いを浮かべた。
「それにしても、君の魔力が桁違いであるとは知っていたが……。
まさか、あれほどの力を隠していたとは」
「一発の術で倒せないなら、それを幾重にも重ね続ければいい……。
あんなのは、単なる力技」
もぐもぐとカップケーキを食べながら、ミヤがなんてこともないかのようにそう告げる。
「その力技を成立させられる使い手が、どれだけいるかという話だよ。
しかも、途中からは詠唱も杖の動作も省略していたし」
「ヴィタリー校長なら、きっともっと上手くやれる。
まだまだ、修行しないと」
「そりゃ、校長先生なら出来るだろうけど、それって要するに魔法使いの頂点じゃないか?
君は、一年生でもうそこを見据えているのかい?」
「力を求める道に終わりはない。
登ることをやめてしまったら、その瞬間に人は退化する」
堂々と言い切られ、アルフォートが言葉を失う。
だが、次の瞬間には思い直し、こう口にしたのだ。
「なら、僕はまずミヤを越えて、来年の優勝を目指さないとな。
この国を背負う王子として、何より君の婚約者として、強くあらないと」
「大丈夫。
殿下に仇なす者は、全部私がやっつける」
「頼もしい言葉だけど、それ、僕から君に贈らないと格好がつかないな」
そのような会話を交わしながら、大決闘大会の優勝者と準優勝者は眼前の皿を片付けていく。
周囲は、思い思いに騒ぐ生徒たちで騒がしかったが……。
二人の間のみは凪が訪れたような静けさで、それが何とも心地良かった。
だが、それを打ち破る者が現れたのである。
「あの、ミヤちゃん……。
それに、殿下……。
恐れながら、少しだけよろしいでしょうか?」
声をかけてきたのは、亜麻色の髪をゆるりとなびかせた女子生徒であった。
胸元に付けたリボンの色から、ミヤと同じ一年生であると分かる。
だが、雰囲気はまるで真逆だ。
ミヤが、どこか硬質な雰囲気を漂わせているのとは対象的に……。
こちらは、どこまでもやわらかな、年相応の少女といった生徒であるのだ。
少女は、胸へ抱くようにして一冊のノートを手にしていた。
「マリア……」
ミヤが、女子生徒の名前をつぶやく。
それで、アルフォートにも彼女の名を知ることができた。
そして、その名には聞き覚えがあったのである。
「確か、一年生でマリアというと……」
「はい、平民出身の者です。
本来なら、ミヤちゃんにも殿下にもお声がけできる立場ではないのですが……」
マリアが、恐縮しきりといった様子でそう話す。
ゲオグラーデ魔術学院は、基本的に貴族の子息が通う学校である。
それは、長き歴史を経て、必然として魔術の素養を持つ者が貴族階級として取り立てられていったからであった。
魔術の素養というものは血によって受け継がれる側面が強いため、バティーニュ王国において、魔法使いとはおおよその場合、貴族であることと同意なのだ。
とはいえ、そこは生物の血が持つ不思議というもので、何事においても例外は存在する。
由緒正しき貴族家の出身であっても、ついぞ、魔術を行使できない者もいれば、逆に、何代遡っても貴族と縁がない家系でありながら、突然変異的に魔力を宿す者もいるのだ。
目の前にいる少女は、そんな例外的な存在であった。
そして、そのような例外が現れた場合、学院は無償で彼ら彼女らを受け入れる。
大げさにいえば、魔法使いの総数はそのまま軍事力であり、国力でもあるため、素養のある者を遊ばせておく余地は存在しないのだ。
ゆえに、アルフォートは寛大な態度で口を開く。
「婚約者の学友を、ないがしろにしたりはしないさ。
それに、学院の中においては、身分の差は忘れるというしきたりだ」
有名無実化しているところもあるものの、より平等に術を磨き合えるよう、学院内では身分差の垣根が取り払われている。
気にしないのは難しいだろうが、年下の女子生徒が萎縮しないよう、努めて優しく声をかけた。
かけた、が……どうも、その思いは伝わらなかったようで、マリアは緊張を解く様子がない。
ばかりか、ますます身を固くすると、ミヤの方を見やったのである。
「マリア。
殿下は身分差を気にしない。
遠慮なく、思ったことを口にすればいいと思う」
「ミヤちゃん……。
ううん、そうじゃないの」
ミヤの言葉に、マリアがかぶりを振って答えた。
「ともかく、何か事情があるのだろう?
話してみないことには分からないから、遠慮なく言ってごらんよ」
その様子に、どうもただならぬものを感じ、そううながす。
すると、ようやくマリアは意を決して、手にしていたノートを差し出してきたのだ。
「これは……」
差し出されたノートを手に取る。
それは、学院の生徒へ無償で支給されているものであり、表紙に名前などは書かれていなかった。
しかし、ページを一枚めくってみると、そこには驚くべき内容が記されていたのである。
「『闇の攻撃魔術に関する考察と実験の記録』だと……!?」
一ページ目の一行目に書かれている文字を読み取ると、プティングを食べていたミヤの手が止まった。
お菓子を食べている間は、竜が飛来してもその手を止めないとまで思える彼女がそうしたのは、極めて異例のことである。
だが、それも当然のことだろう……。
「これは……ミヤの文字だ……」
他ならぬ婚約者の文字を、読み違えるアルフォートではない。
驚愕と共に目を向けると、ミヤは困ったことになったと言わんばかりに、あごへ手を当てていたのである。
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