助け
天井も床も頑強な石材に覆われた室内というのは、実に寒々しいものであり……。
寝床として用意されたボロ布のみが、唯一、体温の低下を防いでくれる保温用品であった。
目の前に存在する鉄格子もまた、寒さを増している要因であろう。
ただ、隙間が開いているからというだけではない。
鉄という素材が持つ、冷ややかな質感……。
何より、これを見ていると囚われの身であるという実感が、否が応でも増すのだ。
――ピエールの奴に比べれば、まだマシか。
妙な薬を飲まされた彼女について思う。
ピエールは四方八方から杖を向けられた状態のまま、ルボスなる老人の手によって無理矢理にそれを飲まされ……。
飲み込むや否や、その体は液状生物の状態に戻り、ぐったりとして動かなくなってしまったのだ。
――これは、体の自由を奪う薬です。
――その内、我が君の手によって精神を塗り替えられ、本来の使命を果たすことになるでしょう。
とは、そのルボスによる言である。
その言葉を信じるなら、命に別条はあるまい。
命だけは、であるが……。
――気がかりといえば。
――別の場所へ連れて行かれたミヤのことが、気がかりだ。
杖を取り上げられ、こんな所に放り込まれてしまえば、何をすることができるわけでもなく……。
かといって、眠ったり瞑想をしたりする気分でもなく、イルはただ思考を働かせていた。
正直な話、闇の魔法使いたちに囲まれ、杖を向けられた時は死を覚悟したものだったが……。
今のところ、イルたち三人は命を奪われることなく、こうして捕らえられている。
といっても、ミヤに関してのみは近々の死を予告されていた。
――我が君の意向です。
――あなたに関しては、この場で殺さず、しかるべき時と場所で処刑するとのことです。
ルボスはそう言うと、自分たちがヒルデスへしたように拘束したミヤを連れ、どこかへ連れて行ってしまったのである。
意外だったのは、連れ去る直前にイルを見て告げた言葉であった。
――おや。
――おや、おや、おや。
年老いた闇の魔法使いは、そう言いながら仮面に覆われたこちらの顔を覗き込み……。
――制約の仮面で、素顔を隠されていますね。
――しかしながら、その髪、背格好、年齢……。
――これは、もしかしたならば、もしかするかもしれません。
――あなたに関しては、丁重に捕らえさせて頂くとしましょう。
――きっと、我が君の役に立つはずです。
何にそうしているのか、納得するかのように何度もうなずき、自分をここへ放り込むよう配下の魔法使いたちに指示したのである。
そして、今へ至っていた。
「くそっ……。
こうしている場合じゃねえ。
何とかして、ミヤとピエールを助け出してやらねえと」
それは、少年の胸に初めて宿る感情だ。
絶体絶命の危機といえば、以前にも存在した。
森の中で魔獣から不意打ちを喰らい、負傷したばかりか、手持ちの水薬まで割れてしまったのである。
あの時は、ただ生き抜きたい一心で力と知恵を振り絞り、どうにか帰り着いたものだったが……。
今、少年の背中を押している感情は、明確に異なるものだ。
「最悪、俺はどうなったっていい……。
ただ、ミヤたちだけは……!」
かつて、母と暮らしていた際は、イル自身が守護される者であり、与えられる者であった。
そして、いかなる理由によってか母が姿を消し、この仮面のみを友とするようになってからは、自分の身を守ること……生き繋ぐことのみが、あらゆる行動の原理となっていた。
今は――違う。
ミヤとピエールを助けることが、イルにとって最大の行動原理となっている。
互いのことについて、そこまで深く知っているわけではない。
どころか、ミヤが暮らしてきた世界と自分が知っている森での暮らしとでは、あらゆるところに差異があり、そのすり合わせをするために苦労するところもあった。
それでも、彼女とピエールが自分の中で特別な存在となっていることを、イルは確信できていた。
もしかしたならば……。
この感情は、すり込みに近いものであるのかもしれない。
母から聞いた話によれば、早熟性の鳥類は、生まれて初めて見た存在を親として認識することがあるという……。
それと同じく、初めて出会った母以外の人間を、自分はとりわけ特別な存在として認識しているのではないか?
……だとしても。
それでも、構わないではないか。
今、この胸を突き動かす感情に従うことこそが重要であることを、少年は本能的に察知していたのである。
立ち上がり、鉄格子の前で構えた。
「――イヤッ!」
そして――これに蹴りを叩き込む。
金属製品に触れる機会の少ない人生を送ってきたイルであったが、こんなことでたやすく壊れる代物でないことは、すぐに察せられる。
そもそも、人の力で突破できないからこそ、連中はここへイルを放り込んだ後、見張りすら付けずにいるのだ。
だが、全ての持ち物を取り上げられた今のイルに出来ることといえば、自分の体を使ってこれを破ることだけである。
一発でかなわないなら、二発。
二発で駄目なら、百発。
百発でも壊せないなら、千発。
とにかく、蹴り続ければ光明も見えてくるのではないか……。
「やめとけ、やめとけ。
せいぜい、音を聞きつけられて他の連中がここへ来るだけだぜ」
そんな考えを否定したのは、この地下階へ繋がる階段から響いた声であった。
その声には、聞き覚えがある。
しかし、この場で聞くはずのないものであった。
「ヒルデス!?
お前、どうしてここに!?」
鉄格子にへばり付きながら、声の主を呼んだ。
「どうだっていいだろ? んなことはよお……。
それより、お前。
仮にその鉄格子を蹴り破れたところで、そこからどうすんだ?
ここが、屋敷内のどこにあるのかも把握してねえだろ?」
「……連れて来られる時、目隠しされて担がれてたからな。
だが、そんなことは関係ねえ。
出ちまえさえすれば、どうにかなるだろ?」
「闇の魔法使いを舐めてんじゃねえよ。
杖も無しで、どうにかなるはずねえだろうが」
鉄格子越しに会話を交わす内に、ヒルデスが牢の前まで歩み寄ってくる。
果たして、その手に握られていたもの……。
それは、魔法使いの象徴とも呼べる品――杖だ。
ただし、ヒルデス自身のそれではない。
ヒルデスが手にしていたのは、取り上げられていたイルの杖であった。
「ほらよ」
「――うおっとと!?」
鉄格子越しに投げ渡された杖を、慌てて手にする。
長年かけて育て上げたこれを手にすると、ただそれだけで自分の体に一本の芯が入るような……不思議な気分となれた。
「……どういうつもりだ?」
ヒルデスがここにいるのは……どうにかして、拘束を脱したからと考えればよい。
そういえば、洗い場には包丁などをそのまま放置してしまっていた気がするので、そのこと自体は不可能ではないだろう。
だが、そうだとして、自分を助ける意味が分からなかった。
「ああ?
知るかよ、そんなの。
んなことより、さっさと抜け出すぞ」
ヒルデスの言葉は、明瞭なものではなく……。
ひょっとしたら、彼自身、自分の行動へ困惑しているのではないかと思わされる。
「……そうだな。
助かった。ありがとう、ヒルデス」
ともかく、イルは母から教わった通りに例の言葉を述べたのであった。
「あー、やめろ。ケツがかゆくなる
それより、さっさと出やがれ」
「分かった。
――キレーア」
魔術を発現し、光の剣が生み出される。
頑丈な鉄格子も、魔法の剣を用いれば切り裂くのは容易であった。
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