5.王子殿下は気づかない
周囲の視線を一身に受けながら、全く気にした素振りを見せずにエリオットは着席した。
最後の参加者であるエリオットが着席したので、運営委員会の生徒たちが懇親会の開始を知らせる。拡声魔法で声を広げた男子生徒が、「本日の良き日にお集まりいただき誠にありがとうございます」と最初の挨拶を述べた。
懇親会のプログラムそのものは、式典の短縮版といっても相違ない。
最初に魔法士養成学校の学校長が挨拶を述べ、次に魔法課程の責任者である、魔法課長の挨拶だ。偉い人の話というのは、どの世界・どの時代でも長たらしくつまらないもので、わたくしは欠伸を堪えるので精一杯だった。
ちなみに、学校長は魔法課程の懇親会の前に、一般課程の入学式で祝辞を述べているので、本日二度目の挨拶だ。
一般課程でどのような挨拶をしたのか知らないが、長い話をする人というのも大変なのかもしれない。わたくしには一生関係なさそうなことだ。
魔法課長の挨拶が終わったら、第二学年・第三学年を代表して、学校運営委員会の委員長が挨拶をする。
学校運営委員会というのは、家柄・座学成績・魔法技術の三点において優秀と認められた生徒が他薦でのみ参加できる委員会で、簡単に言えば学内政府だ。
役職も実際の官庁を模したものだと聞いている。
(前の世界で言えば、生徒会だな)
うっすらと前の生のことを思い出す。
前の生でも、魔法を学ぶ教育機関があった。
わたくしが住んでいたのは辺鄙な場所にある孤島だったので、島の子供達が皆一所で学んだのだ。辺鄙な場所、ではあったが、教育水準が落ちないようにとあれこれ工夫されていた。
生徒会もその一つで、所属する生徒が学校行事などの企画・運営を行い、学校内の生徒の管理などを行っていた。どちらかと言えば、職業訓練の一つだったように思う。
もっとも、あちらの生徒会は成績など関係なかった。
所属方法も他薦ではなく自薦だし、他薦される時は人数が足りない時だ。
わたくしは首席卒業していたが、幸いわたくしの代の生徒会は人数も足りていて、他薦枠がなかったので、生徒会には入っていない。
(大体、体よくあれこれ格好いい名前をつけただけで、実際は雑用係みたいなものだし)
よくやるよなあ、と思って“前”は眺めていたものだが。
ここでは他薦のみなので、案外やりたがる人がいなかったのかもしれない。
「それでは、今期の魔法課程第一学年を代表して、エリオット・ウラヌ・アクアピア殿下、挨拶をお願いします」
つらつらとくだらないことを考えているうちに、プログラムは最後の新入生挨拶にまで到達していた。
エリオットが一瞬驚いたように目を見開いて、それからわずかに首を傾げる。フレディが隣で「殿下、朝のやつですよ」とボソボソ横で呟いた。
エリオットは「朝のやつ」で理解したらしい、「ああ」と納得した様子で立ち上がると、促されるまま中央へと進んでいった。
「……朝のやつ?」
耐えきれなくて、ボソリと言葉にする。
フレディは苦笑を浮かべながら、「殿下はちょっとぼうっとしているというか、天然というか、忘れっぽいというか」ともにょもにょ言い訳をした。確かにぼんやりした顔だとは思っていたが、性格も存外ぼんやりしているらしい。
(ならなおさら、なんでわたくしのことは執拗に追いかけ回すのか?)
納得できる、ようでいまいちできない。わたくしに対しては違うからだ。
拡声魔法のかかったステッキを受け取ったエリオットが、「今日の良き日に、」と挨拶を始めた。
「私たちのため、このような素晴らしい場をご用意くださり、誠にありがとうございます。
これからの三年間で、教師の皆さま、並びに諸先輩方より教えをいただき、知識・技術ともに研鑽を積んで参る所存です。至らないところもあるかと存じますが、ご指導・ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」
フレディの口ぶり的に、どうも“忘れていた”はずなのだが。
するすると言葉を紡ぐと、数分にも満たない挨拶でエリオットはステッキを委員会の生徒に返してしまった。
急な返却に戸惑ったのは委員会の生徒の方で、彼はわたわたとステッキを持ち直しながら、「エリオット殿下は魔法課程からの編入となりますが、歴代最高得点での編入だったと聞いております」と開いた時間を埋めるような蛇足を口にした。
その、エリオットはすでにすたすたと歩き始めていて、真っ直ぐこちらのテーブルに戻ってくる。
フレディが苦笑を深めて「全く、もう」と息を吐いた。
「大丈夫だっただろ」
だというのに、エリオットはどこか満足げな様子で胸を張る。きちんと挨拶できたことを誇っているらしい。
確かに、まあ、第三王子が何か公の場に出てくることはあまりなかったので、エリオットが胸を張るのも気持ちとしては分からないでもない。
別段おかしな挨拶ではなかったし、わたくし個人の感想で言えば、短かったのでとても聴きやすくありがたかった。
司会の生徒が大幅に巻いた挨拶を仕方なくそのまま収めて、「それでは、本日はどうぞ楽しんでください」と声を張り上げた。拡声魔法のせいで少しばかりハウリングしている。キン、と耳をつんざく音に顔を顰めた。
「それで、朝の、とはなんだったんですの?」
定められたプログラムは以上で全てだ。
本来ならこれで離席しても怒られはしないが、流石にそれは礼儀に反する。
ついでに言えば、ここで出される食事を食べないとシェフに余分な食事を作らせる羽目になるだろう。
クアラもそれは承知していて、エリオットたちと同席することに腹を括ったのだろう。やると決めたら勢いを持てるタイプの令嬢だ。
さらに突っ込んで聞こうと、クアラがフレディに向けて話しかける。
挨拶をしないところを見ると、伯爵家同士、顔見知りなのだと思われた。
「殿下は基本は真面目なんだけど、天然でボケてるというか、ちょっとおっとりしたお人柄で。前日に挨拶文を考えてらしたんだけど、それを暗記推敲してる内にどんどん言葉を削るものだから、私の方でストップをかけたんですよ。それが朝のやつ」
「……正直、さっきまで走り回ってたから、挨拶のこともすっかり忘れてた」
バツが悪そうな様子でエリオットは眉尻を下げた。
それから、クアラの方を向いて、
「急な相席ですみません。私はエリオット・ウラヌ・アクアピア。ルナエ嬢のご友人、あなたの名前は?」
「……クアラ・ソーノスですわ、殿下。以後お見知り置きを」
「よろしく」
互いに着席した状態で、簡易的だが挨拶を交わす。
クアラにまで挨拶をしたということは、エリオットは本格的にわたくしと何か話がしたいらしい。
(面倒な話じゃないといいんだけどな)
王族が絡む時点で、面倒な予感がひしひしとしている。
まさかわたくしに一目惚れなどはしていないだろう。
エリオットの視線からそのような熱は感じないし、自分でいうのもなんだが、そこまで注目される程の美女ではない。
どちらかというとチビで、十五になっても幼児体型のままで、髪は雨天で爆発するし、目は血のように真っ赤だし、あまり優れた容姿ではないはずだ。
色彩的に、注目を浴びやすい、のは、経験上理解しているが。
いっそ惚れた腫れたの話であればある程度対策できたかもしれないのに、そうではない面倒ごと、など聞きたくもない。
聞きたくもないのに、逃げられない現状が少しばかり恨めしかった。
(せっかく黒髪に変えたのに)
それで、あれ? と気がついた。
「……クアラ、わたくし、ちゃんと変わってますよね?」
そうだ、髪の色を変えたのに、エリオットは指摘すらしてこない。
わたくしを髪色で判断していたのではないにしろ、先ほど会った時は銀髪だった令嬢が、突然黒髪に変えていたら一言何か言うくらいはするはずだ。
わたくしの魔法が失敗していたのなら髪も銀髪のままだろうし、それならエリオットが見つけたのも理解しやすい。
わたくしが失敗などするはずもないのだが、それでも念のためクアラに聞いた。
案の定、クアラはゆっくり頷く。
「ええ、見事な黒髪になっておりますわ、アリア」
それから小声で、「完璧な魔法だったもの」と付け足してくれる。
純粋な賞賛の言葉に少し照れて、わたくしは「ありがとう」と頷いた。
フレディが、「そういえば黒髪になってますね」と今気づいたように声をあげる。
エリオットばかり気になってしまうが、フレディも中々気のつかない男のようだ。
(そりゃそうか、この殿下とずっと一緒なんだから)
感覚の一つや二つ、移りそうなものである。生来の性質かもしれないが。
「……ん? ルナエ嬢、髪の色変わったの?」
やはりエリオットはエリオットだった。
いや、わたくしはまだこの男のことをカケラも知らないし、知りたくもないはずなのだ。いらない情報が蓄積されていくようで嘆かわしい。
フレディが引き攣った笑みで、「殿下、さっきは銀髪だったでしょ」と教えてやった。
「銀髪……ああ、そうか、そうだよな、ルナエ家の子なわけだし」
「そうそう」
「ん? なんで黒髪にしたの?」
わたくしの目立つ髪色と、わたくしが彼らにしてきた様子を鑑みれば、推測できそうなものだが、エリオットはきょとんと首を傾げてこちらを見た。
真っ直ぐと見つめられては、「あなたに見つけられたくなかったので」と答えづらい。
クアラが笑顔を貼り付けた下で、「正直に言っちゃダメよ!」とこちらに念を飛ばしてくるのがわかった。
「……気分、転換です。懇親会であまり目立ちたくなかったもので」
苦肉の策でぼそぼそと付け足す。完全な嘘ではないし、完全な本当でもない。
フレディが心底申し訳なさそうな顔で、「結局ちょっと目立っちゃいましたね」と余計なことを言った。
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