3.自己紹介はスルーしておく

 春の月の最初の日に、国立魔法士養成学校の入学式は執り行われる。

 ここでいう入学、とは、一般課程に入学する十二歳の貴族の子供たちの事を指し、わたくしのような魔法課程に進む生徒は進学にあたる。

 進学生なので当然入学式はなく、一般課程の入学式にも参加しないが、クラス毎にオリエンテーションがあった。


 ハイクラスは成績上位十名のクラスだが、基本的に成績と貴族階級は比例する。

 それもそうだ、上位貴族の子供は幼い頃から専用の家庭教師をつけられて、家庭内で独自に自習を進めている。その分、入学前に習得している内容が多く、学校で学ぶことの多くが“復習”に当たるのだ。

 反して、下位貴族は平民と同じような暮らしの家も多く、家庭教師をつけられないこともあると聞いた。当然、学校の授業は初めて学ぶことばかりである。環境の差は大きい。


 では中位貴族はどうなのかというと、ハイクラスに配属されることはあまりない。

 どれほど環境に優れ、学習能力が高くとも、生まれ持った魔力は増やすことが出来ないからだ。

 上位貴族であればあるほど、所有している魔力量が多い傾向にあって、そのため優秀な魔法士が排出されやすい。伯爵家は、学習環境を整えることはできても、魔力量は上位貴族に及ばない。


 ただ、ここ最近のルナエ家は事情が違った。

 わたくしたちの母が、貴族の中でも魔力量の多いデソロー公爵家の出身なのだ。

 母自身は平均より多いくらいの魔力量だが、デソローの血は生まれた子供に強く影響した。

 わたくしの兄は魔力量も人より多く、器用な性質で複数の魔法を同時に発動できる、数少ない魔法士の一人だ。今は王国魔法士団に所属しており、在学中は「精霊魔法の秀才」として有名だったと聞く。

 姉は兄よりもなお魔力量が多く、火力が兎に角強かった。兄のような器用さはなかったが、天才肌なのかどんな精霊でも簡単に懐柔し、あらゆる魔法を使役した。魔法士養成学校を首席で卒業した後、魔法の才と奔放さを見初められて、すぐにフランマ公爵家へと嫁いでいる。姉は「精霊魔法の申し子」などと呼ばれ、在学中はファンもいたらしい。

 当然、二人ともがハイクラスだった。だからわたくしがハイクラスに所属することを、両親は特に何とも思っていないし、兄も姉も「流石アリア」と褒めるばかりだ。

 ただわたくしの、「今世こそは平凡に暮らす」という野望からは、あまりにもかけ離れていた。第一、わたくしの代は兄とも姉とも違うのだ。





「えーと、エリオット・ウラヌ・アクアピア。三年ほど隣国・レニヴェントに留学してました。レニヴェントで学んだことを活かしつつ、アクアサクラで新しいことを学びたいと思います」


 教室の中、教師を含めた十人分の視線を受けながら自己紹介した男は、アクアサクラ王国第三王子である。

 王族特有の白に近い水色の髪はつやつやと美しく、ぼんやりと周囲を眺める瞳はタンザナイトの青い色をしていた。ぼんやりと、というのは比喩ではなく、実際ぼんやりとした表情だ。子供の頃噂になった通り、端正な顔立ちは美しいと思うのだが、どうにも覇気がない。

 王族ながら気取った感じも、威圧感もなく丁寧な口調で挨拶をして、エリオットは拍手の中着席した。そのタンザナイトと一瞬視線が交わったが、わたくしは無視をして教師に向き直る。オリエンテーションの、最後の自己紹介がエリオットだったのである。


「この後は、親睦を深めるための懇親会が催されます。クラスの隔てなく開かれる懇親会は少ないので、ぜひ楽しんでください」


 それでは、と、教師は教室を出て行った。

 事前に知らされていたスケジュールでは、魔法課程の初日は簡単なオリエンテーションの後、懇親会があって終了である。懇親会は最初の三十分だけ全員参加で、あとは自由参加となっていた。

 クラスの隔てなく、と教師は言ったが、実際はクラスどころか学年の隔てもない。

 魔法課程の二学年と三学年は、午前中通常授業を行うが、午後は懇親会にて新入生を歓迎する習わしなのだ。ついでに言えば、魔法課程に所属する全教師も参加するので、魔法課程全体での顔見せである。


 懇親会まで時間の余裕があるが、わたくしは先に会場へ向かってしまおうと立ち上がった。

 兄と姉がいくら有名だろうと、ルナエ家はたかだか伯爵家だ。わたくし以外のクラスメイトは殆どが侯爵家以上。わたくし以外に一人だけ伯爵家の生徒がいるが、関りのない家の者だった。

 その上、第三王子と同じクラスとなれば、わたくしの立場は微妙なものだ。

 王族とお近づきになれる立場に、伯爵家の令嬢である。せめてわたくしが男児であれば、友人や従者としての関係性も望めたかもしれないが、周囲が囁くのはエリオットの婚約者候補についてだった。


(大体、王族のくせに婚約者がいないのがおかしい)


 その点でいえば、今代の王族は第二王子も婚約者がまだいない。第一王子も決まるのが遅かったと聞いている。

 興味もないので詳しくは知らないが、資料を読み齧った限りだと、派閥の勢力図が極端に寄らないように、バランスを見ているようだった。

 エリオットが留学していたのも、兄王子たちとの関係によるところが大きいと聞いた。


「きみ、ええと、ルナエ伯爵令嬢」


 とにかく、わたくしはミドルクラスあたりで顔見知りに声をかけ、それから懇親会に向かうつもりでいた。

 王族とお近づきになりたい方々は、ハイクラスでどうぞお好きにやればよろしい、そういう気持ちだったのに。


「……これは、エリオット殿下」


 教室の扉まであと一歩、というところで、するりと横から長身が入り込む。

 見覚えのある端正な、それでいて覇気のないぼんやりした表情は、エリオット第三王子殿下だ。わたくしは心中で露骨に嫌な顔をして――表面上は、にこやかな笑みを浮かべてカーテシーをした。


(な・ん・で、こっちに来るんだよ!?)


 先ほど、自己紹介の時。確かに視線が合ったなあ、とは思ったのだ。

 エリオットの自己紹介の時だけでなく、わたくしの自己紹介の時も、エリオットはじっとわたくしの方を見ていた。

 単に発表者に視線を向けるそれではなくて、発表が終わった後も暫く見られていたのである。前の生で人に注目されることが多かったせいか、わたくしは視線には少し鋭い。


 エリオットがわたくしに声をかけたので、同じ教室にいた何人かの令嬢たちがそれとなく視線をこちらに向けた。

 あからさまに息を呑んだのは令息たちの方だ。と言っても、たかだか十人のクラスなので、騒ぎになるようなものではない。

 エリオットはまじまじとわたくしを見つめて、「えーと、」と言葉を探した。とにかく声をかけた、というのが見て取れて、首を傾げたいのをぐっとこらえる。エリオットは「きみの……ええと、」と視線も彷徨わせた。


「失礼、ルナエ伯爵令嬢。私はフレディ・マーズ。エリオット殿下の侍従を務めております」


 見かねた様子で、エリオットの背後からひょこりと誰かが顔を出した。フレディ、と名乗った男性は、長身のエリオットより頭一つほど低く(それでも王国男性の平均身長くらいなので、特別低いというわけでもないだろう)、赤みの混じった黒髪をしていた。細いフレームの眼鏡をかけた男で、顔立ちはパッとしないものの、柔和な印象を受ける。

 挨拶をされたが、名前と家柄は知っていた。彼も同じハイクラスの一人である。わたくしと同じ、伯爵家の令息だった。


「マーズ様、ごきげんよう。わたくしはアリア・メルクリア・ルナエと申します。以後お見知りおきを」

「ええ、よろしくお願いします」


 とりあえず、挨拶をされたので挨拶を返す。

 フレディはにこにこと人の良さそうな笑みを浮かべると、「殿下は、」と、口を閉ざしてしまったエリオットの顔を見上げた。


「きみのお兄様のファンで、きみと話をしてみたいと楽しみにしていたんです。懇親会の予定は?」


 そのまま、しどろもどろ黙り込んだエリオットの代わりに用件を教えてくれた。

 兄のファン、という言葉に、今度はわたくしがまじまじとエリオットを見上げる。


(お兄様の、ねえ)


 ファン、という言葉にいまいちピンとこなかった。

 が、確かに兄は、その界隈にはファンがいるほどの有名人だった。


 わたくしの兄、ヴェントルは王国魔法士団に所属している。

 王国魔法士団は、魔法士養成学校から進める中では最も倍率が高く、最も難関の就職先だ。文字通り魔法士のエリートたちが集まる場所で、ありていに言ってしまえば魔法士のみで構成された騎士団。ヴェントルはその魔法士団で、第二部隊に所属している。

 ファンがいるほどの有名人、ではあるが、第二部隊は王都の警護が主要任務で、王宮に常駐しているわけではない。エリオットが留学していたことも踏まえると、ヴェントルとの接点がよくわからなかった。


 考えられる可能性としては、ヴェントルの最初の配属先が近衛部隊で、王族警護の任に就いていたことだが、その頃エリオットは留学していたはず。

 一時帰国の際にでも遭遇したのだろうか。

 考えられなくはないが、やはり“ファン”という言葉に違和感があった。


「兄の、ですか……」


 違和感はあるが、主張は理解はした。感情が少しばかり表に漏れて、相槌は怪訝なものになってしまった。

 フレディが苦笑を浮かべて、「ほら、殿下」と横のエリオットの脇をつつく。王族相手にいいのか、と思わなくもなかったが、二人はそれだけ気安い関係なのだろう。

 エリオットは改めてわたくしの方に向き直った。


「突然……すまない。ええと、改めて、私はエリオット・ウラヌ・アクアピア。君のお兄さんとは、一年前、一時帰国した際に会って……年の近い近衛隊士が珍しくて、帰国中よく話をして貰っていたんだ。妹君がちょうど私と同じ学年になると聞いて、楽しみにしていた」

「……アリア・メルクリア・ルナエです。兄がエリオット殿下と親しくさせていただいていたとは、驚きですわ」


 そのまま挨拶を忘れていてくれれば、わたくしも素知らぬ顔で挨拶せずにいようと思っていたのに。

 エリオットは向き直ったついでに挨拶をすると、じっとわたくしの反応を待った。されてしまっては返すしかない。

 もう一度カーテシーをしたわたくしに、エリオットはすっと右手を差し出した。


「せっかくこうして同じクラスになれたのだし、ぜひ友人として、仲良くしてほしい」


 どう、返答しようか迷う。

 それと悟られないように、わたくしはちらりと周囲を伺った。


 侯爵家の令嬢一人と、公爵家の令嬢二人が、もはや繕うこともせずわたくしたちを見ていた。

 まだにこやかな表情を浮かべる余力はあるものの、腹の内が透けて見えるようだ。触らぬ神にたたりなしだな、と、わたくしは心中で肩を竦めた。

 礼儀として、差し出された握手は握り返す。


「ありがとう存じます。ですが、わたくしがハイクラスに配属されたのは、優秀な兄・姉あっての期待値が大きかったゆえかと。殿下には、もっとふさわしいご友人がいらっしゃるのではないでしょうか」


 そのまま、すぐに手を離す。

 エリオットとフレディの顔を見回して、「ご挨拶ありがとうございました」と深々頭を下げる。


「わたくし、ミドルクラスの友人と懇親会の約束をしておりますの。大変有難いお誘いですが、もし“友人として”お誘いくださったのでしたら、今回はご容赦くださいませ」


 それからしっかり釘を刺して、「それでは」とフレディの横をすり抜けた。

 「あっ」とエリオットが声を上げるころには、もう廊下に躍り出ていて、はしたなくならない程度に全力で足を動かす。

 とにかく一秒でも早くミドルクラスに出向き、誰か丁度よさそうな顔見知りを捕まえなくてはならなかった。


(誰とも約束なんてしてないからな!!)


 だが、誰か捕まえられたのなら嘘も真だ。問題はないだろう。それで義務の三十分を終えたら、速攻で家に帰る。

 今日はもうエリオットと接しなければ、令嬢たちも何も言ってはこないだろう。逆に、第三王子の誘いを無碍にしたことへの注意はされるかも知れないが。


(露骨に嫌な顔をしなかった、あの方たちなら状況を鑑みて納得してくれたと、信じたい)


 考えると何もかもが憂鬱だった。

 おかしい、魔法課程へ進むこと自体は非常に楽しみにしていたのに。


「……早く授業始まんないかな」


 ぼんやりと呟くが、いつもなら軽快な調子で揶揄いの言葉をかける、わたくしの侍従はこの場にいないのだった。

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