4.精霊は魔力がお好き 1
ミドルクラスの教室前で、顔見知りの伯爵令嬢を捕まえる。
何度かお茶会で一緒になったことのある令嬢で、学問への取り組み方が似通っている、という部分で好感を抱いていた。
出席するお茶会で見かければ互いにそれとなく同じテーブルに着く、くらいの仲だが、わたくしだけでなく相手も顔を合わせれば寄ってくるので、嫌われてはいないのだろう。
「急にお誘いして申し訳ございません、ソーノス様」
クアラ・ソーノス伯爵令嬢は、道すがらもう一度頭を下げたわたくしに笑みを浮かべて「大丈夫ですわ」と手を振った。
「わたくしも、親しい方がいなくて困っていたところでしたの。それにしても、ルナエ様も災難でしたわね」
第三王子に声をかけられたことを、“災難”と呼ぶ当たり、彼女もわたくしに近い価値観を持っている。本来、王族に目をかけて貰えるなど、非常に名誉なことなのだ。
それがどうして、“災難”になるのか――ひとえに、エリオットに婚約者がいないせいである。
エリオットに婚約者がいて、その婚約者も同伴の上で、少しばかり兄の話を聞きたいから一緒にどうだ、という誘いなら、不本意だがわたくしも抵抗なく話を受けただろう。
だが、今、エリオットと関わる令嬢は、それだけで彼の婚約者候補にされてしまう。エリオットが好意を抱いているか、令嬢側にその意思があるかどうかは関係なく、周囲がそのように判断するのだ。
貴族の噂の速度を甘く見てはいけない。
(だからこそ、全員が見ている前で、きちんと断る必要があった)
わたくしやクアラのような伯爵令嬢は、それでなくとも微妙な立場なのだ。
実家が伯爵家、ということは、王族への婚姻相手としてギリギリ足りうる爵位の家柄で、教育すれば何とかなる部類。
家によっては、王子のハートを射止めるように、と指示を受けている令嬢もいるだろう。
「エリオット殿下も、その辺りのご事情は把握されてらっしゃると思っていたのですが」
「留学から帰国されたばかりでしょう、ご自分の事はそれほど噂になっていないと思われているのではないかしら」
不思議そうな顔をしてクアラが首を傾げる。わたくしはため息を吐きながらそう推測した。
クアラはまっすぐ伸びた、きれいな黒髪を持っている。
わたくしの髪は殆ど白のような銀色で、ゆるくウェーブがかかっているので、色も髪質もわたくしと正反対だ。まとまりにくいのに切ることもできないわたくしの髪と違って、クアラの髪は長くてもまとまりやすく扱いやすそう。
何より、首を傾げたことでさらさらと流れた黒髪がきれいだな、と思う。
まじまじと見つめてしまって、クアラが怪訝にわたくしを見返した。
「……? ルナエ様、どうかされまして?」
「あ、いえ。ソーノス様の髪が綺麗だなあと」
そのまま、素直に聞かれたものだから。
つい、素に近い口調で答えてしまう。クアラの瞳が丸くなった。
「……わたくしは、ルナエ様の髪の方が美しいと思いますけれど。ルナエ家は月の精霊の加護があると聞きますが、本当に、夜空に輝く満月のような」
それからクアラは、にこにこと楽しそうに目を細めてわたくしの髪を褒める。
彼女の視線がわたくしの頭のてっぺんからゆっくり髪をなぞるのを感じて、急な恥ずかしさを覚えた。慌てて視線を前に向ける。
うっかり話題に出したのはわたくしだが、居たたまれなさが強い。話題を変えるように小さく咳ばらいをした。
「とっ、ところで、こうしてご一緒するのも何度目かになりますし、ぜひ、わたくしの事はアリアとお呼びくださいな」
懇親会が行われる中庭まではもうすぐだった。
仮にも“友人と約束”と言って断ってきたのだし、あまり他人行儀なのもどうかと思ったのだ。第一、クアラとは気が合って、一緒にいても苦ではない。
クアラは「まあ」と嬉しそうに声を上げると、素直に「嬉しいですわ」と微笑んだ。
「それでは、わたくしのこともクアラ、と。アリア、もしかして、もう少し砕けた口調の方がお好みなのでは?」
続けて問われて、言葉に詰まる。
乱れた、というほど乱れてもいなかったのだが、先ほどの褒め言葉で気が付いたらしい。
沈黙を肯定と取ったのか、クアラは笑みを深めただけだった。
「せっかくお友達になれたんですもの、アリアも普段通りにお話しない?」
もう中庭は目と鼻の先だ。
会場では、一足先に設営をしていた上級生たちがまばらに来はじめた一学年の生徒を歓迎していた。
「……いいけど、わたくし、素は男っぽいというか、なんというか」
むっすりとしながら答えると、クアラはもう一度「まあ!」と声を上げて、それからくすくすと笑いだした。
ルナムペルシャの言う通り、わたくしの“素”が令嬢らしさの欠片もないことは認めるけれど。眉を潜められなくてよかった、と、少しばかり安堵する。
厳しい家柄の子は、「気楽に」「普段通りに」と言ったところで、きっちり令嬢らしい態度を崩さないのだ。
「アリアっぽくて納得しちゃった。そっちの方が全然いいわ!」
クアラがそう言って受け入れたので、わたくしも表情を緩める。
お嬢様の口調は到底貴族の令嬢には見えませんので、と、屋敷の外では話さぬようにと耳にタコができるほど注意していたルナムペルシャの顔を思い出す。
案外受け入れられるものだな、と思ったが、それはきっとクアラだからこそなので、わたくしは「では、二人きりの時、だけ」と唇に指をあてた。
クアラは心得たように頷いた。
会場の席は決まっていないようだった。好きなテーブルを選んでよいと言われたので、クアラと二人で端の方のテーブルに着く。中庭の端の方は日当たりが悪く、高位貴族の令嬢たちが避けそうな位置だ。
懇親会、とは言うが、結局のところ大規模なお茶会である。
開放された中庭にパラソル付きのテーブルを並べて、学内レストランのシェフたちが軽食やドリンクを提供する。第二・第三学年による、第一学年の歓迎会、というのが名目なので、それらの手配は上級生たちが取りまとめていた。
主体となって手配したのは、学校運営委員会の生徒だろう。運営委員会以外の上級生たちは、当日の参加者の誘導や給仕などの仕事をするが、それも最初の三十分だけで、以降は学内のスタッフに切り替わる。
三十分経過したら、上級生たちも出席者へと変わるのだ。
わたくしたちは早めに到着したようで、真ん中付近のテーブルも空席が沢山あった。とはいえ、基本的には階級社会だ。目立ちそうな中央のテーブルは自然と避けられており、端の席ばかりが埋まっている。わたくしとクアラはウェルカムドリンクを受け取りながら、「早めに到着して良かったな」と囁き合った。
「殿下たちは少し遅れて来るだろうから、丁度良かった」
「ハイクラスには婚約者候補の方が何人かいたものね」
「そうそう。危うく睨まれるところだった」
ひょい、と肩を竦めると、クアラは楽しそうにくすくす笑って「逃げられてよかったわ」と頷いた。
ちらほらと他のテーブルも埋まり始める。ただ、一番日当たりの悪いこのテーブルには、わたくしたち以外の誰も座ろうとしなかった。おかげでわたくしとクアラは気兼ねなく雑談を楽しんだのだが、いよいよ人が集まり始めると嫌な予感に襲われる。
(まさか、まっすぐこっちに来たりはしない、よな……?)
エリオットがまだ到着していなかった。
わたくしが教室を出た後、公爵令嬢たちのグループに捕まるだろうと予想していた。彼女たちはあからさまにエリオットを見つめていたし、エリオット自身も共に出席する相手を探していたようだったから、誘われれば無下に断らないと思ったのだ。
だからすっかり一緒に来るものだと思っていたのだが、先ほど到着した公爵令嬢グループの中にエリオットはいなかった。彼女たちは一番目立つ中央のテーブルに陣取って、会場入り口に視線を向けたままだ。あの様子では、エリオットに断られたか、明確に断られずとも躱されたに違いない。
どのテーブルも、空席は沢山あった。最初の三十分は一学年のみだが、最終的に今、給仕に回っている上級生も着席するのだ。席は十分すぎるほど余裕をもって作られていた。
なので、わたくしとクアラのテーブルも空席があるし(というより、このテーブルはわたくしたち二人しかいない)、中央のテーブルにも空席があった。
身分を気にする必要がないのなら、好きな席を選びたい放題、というわけだ。
(勘弁してほしい)
思ったところで、視界の端にひょこりと何かが現れた。「あら」とクアラが声を上げる。
「珍しい、小精霊(しょうせいれい)だわ」
言いながら、クアラの細い指が小精霊の方に向く。
見れば、テーブルの端から小人のような小精霊が顔を出し、こちらの様子を窺っていた。
掌くらいのサイズの精霊を、わたくしたち人間は、便宜上 “小精霊”と呼んでいる。
便宜上、というのは、あくまで人間側が勝手に作った分類であるためで、精霊にサイズによる種族の差は存在しない。
人間サイズだろうが小人サイズだろうが、獣だろうがひっくるめて“精霊”なのだ。そういうわけで、人間サイズの精霊は精霊人(せいれいびと)と呼んでいる。なんとも安直な名づけである。
この世界の魔法は、前の生でわたくしが用いていた魔法とは原理が異なり、精霊の存在が不可欠になる。
魔法、と略す場合が殆どだが、正式名称は「精霊魔法」という。
文字通り、本来は精霊が扱う魔法の事だ。
それを何故、人間であるわたくしたちが使用できるのかと言えば、彼らに対価を払う代わりに、彼らの持つ魔法を使わせてもらう、いわゆる「契約」をしているからだった。
対価は様々なものがあるが――もっとも一般的で、普遍的で、簡易的なものが、魔力、であった。
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