2.“大往生”はなかったことにした
アリア・メルクリア・ルナエには前世の記憶がある。
前世の記憶、というと少し語弊があるかもしれない。正確には、違う世界で男として生きた記憶、である。
はっきりと、それが前の生の記憶だと自覚したのは、物心ついた二歳ごろの事だった。
ごくごく当たり前のようにふわふわと集まってくる、精霊の姿を見て唐突に疑問を感じたのだ。
わたくしの“知って”いる、精霊の姿とあまりに違ったから。
そも、精霊と契約を行い、精霊の力を借りて魔法を使う、という、魔法の原理そのものが不思議だった。
わたくしが前に生きた世界では、魔法とは体内で魔力を練り上げ発動するものだったし、一人が扱える魔法属性は大抵一つだけだった。
この世界の魔法は、精霊が使える魔法なら何でも使えるし、魔力自体を練り上げる、という感覚は存在しない。まるで買い物をするみたいに、代金として魔力を払い、代わりに魔法を受け取っている。
この世界の魔法を使う者たちは、魔法を「使う」のではなく「出力している」だけに過ぎない。
と、精霊たちの姿を眺め、無意識に彼らから魔法を受け取り戯れに遊んでいた二歳のわたくしは、唐突に気が付いたのだ。
もしや、自分は、前の生の記憶を持ったまま、全然別の世界に生まれ変わってしまったのでは? と。
思い返せば違和感は多々あった。
鏡に映ったドレスを着せられた自分を見て、「そういえば、女なのだった」と思い出したり、思うように動かない手足や舌足らずな口に、「まだ二歳だからこんなものか」と思ったり。
はっきりと前の生の自我が残っているわけでも、乗っ取られているわけでもなかったが、“アリア”としての自意識に前の生の記憶がしっかりと絡みついてしまって、整理できるまでの間は相当混乱していたと思う。
前の生のわたくしは、魔法学の研究をする研究者だった。
趣味を兼ねての研究は生涯に渡ったが、飽き性だったのか、興味のある分野はころころと変わり、同じ魔法学でも多種多様な論文を発表していた。発表した研究が元になって様々な魔法具も開発されたので、それなりに研究者として名は知れていたほうだと思う。
だからこそ、前世の魔法と今世の魔法の違いが、自覚するきっかけになってしまった。
生憎とルナエ家の血筋も研究者肌で、“アリア”の父も知識欲が旺盛だったので、前世の“わたくし”が今のわたくしになったのは必然かもしれない。
記憶によって自意識に影響はあったが、それでも記憶だけなら大した問題ではなかった。
問題なのは、わたくしが前の生で持っていた特殊な性質を、どうやら今世に引き継いでしまった、ということだった。
ただの魔法学研究者の生まれ変わり、なのであれば、わたくしはここまで混乱しなかったし、記憶の整理に時間を要することもなかった。
しっかりと“制御”ができるようになったのは、前の生を自覚した二歳から三年後、五歳の頃である。
前の生でわたくしは、“魅了”の魔法を受け継ぐ血族の魔法使いだった。
その世界で“魅了”魔法は遺伝的に発症するもので、前のわたくしの血族は皆“魅了”の魔法を持っている。その中でもどういうわけか、わたくしは特に“魅了”魔法の威力が強く、意識せずとも人を洗脳してしまうような、恐ろしい力を持っていた。
当然、しがない研究者でしかなかったので、前の生のわたくしは“魅了”魔法を制御する術を習得し、常に魔力を抑えることで相手を魅了状態にしないよう、徹底して過ごしてきた。
“魅了”にかからない友人と共に暮らし、それ以外の他者とは極力関わらないようにしていた。そもそも、“魅了”魔法を持っていながら、“魅了”魔法を使うことは、その血族では禁忌だったのだ。
(まあ、それでも強すぎる魅了で無意識レベルの洗脳をかけてしまうわたくしは、とても平凡とは言えない暮らしをしていたけれど)
“前”はただの平民で、平和な治世だったというのに、強い“魅了”のせいで幼い頃から何度も誘拐の危険があった。
気を抜くとあらゆる方面から忖度を受けるので、正当な評価を得るため過剰に実績を残す必要があった。
“魅了”のせいでまともな恋愛は出来なかったし、結局結婚だってできなかった。
知られぬようにひっそりと暮らし、時折見つかってはトラブルに巻き込まれ……とにかく波乱に満ちた生涯だった。
まあ、それでも随分長く生きて、やりたいだけの研究を……いや、研究は少しばかりやり残しが……いや、かなり研究し足りなかったが……とにかく生きているうちにできる範囲の事はして、友人に見守られながら大往生を遂げた。
次に生まれ変わるなら平凡な人生を歩みたい、なんてことを、思ったかもしれない。
それくらい、平凡ではない人生だった。
二歳で魔法の違いに気が付いてから。
幼子が読めないような魔法書を引っ張り出して広げては、一心不乱にこの世界の魔法について学んだ。
結論、精霊は、これほど簡単に人には寄ってこないことを知る。
(まさか、魅了を持ったまま転生した上に、その魅了が精霊に効いてしまうなんて)
人相手に効果があるのか、恐ろしくて試していないのでわからない。元よりわたくしの持つ“魅了”は、同じ血を持つ家族には効果がないからだ。
だが、魔力に混ざった“魅了”の成分は、魔力を主食とする精霊たちに想像以上に効いてしまったらしい。
恐らく屋敷中の精霊を無意識化で魅了状態にさせている、と気が付いた、三歳の誕生日前。
恐ろしくなったわたくしは混乱のあまり現実逃避を試みて、“魅了”の制御の感覚を思い出すのに手間取った。それで、“制御”できるようになったのが、五歳である。
前の生では成人してから習得した、負担の大きな術を、僅か五歳で、しかもこれからずっと使い続けなければならないなんて。
「……そうだ、元々そんなに“幸せ”でもない」
ぽつりと呟けば、ルナムペルシャが「は?」ともう一度首を傾げた。
一瞬、視線が剣呑になって、「違う違う」と慌てて首を振る。思いつくままに呟くのは良くないと、前の生から自覚していたはずなのに。
ルナムペルシャは空になったカップにハーブティのお代わりを注いだ。一応、ハイクラス所属のわたくしを慰めてくれるらしい。
「子供のころから、結局面倒事ばかりだな、と思い返しただけ」
「それは、まあ、ええ、そうですね」
「そこは、否定してほしかったぞ……」
ぷくり、と頬を膨らませて不満を主張すると、ルナムペルシャの顔が僅かに緩んで、ハーブティを渡される。再び好きな香りに包まれて、ほう、と息を吐いた。
落書きをした手紙はもう確認する必要もないので、乱暴に折――ろうとしたがやはり勿体ないので、丁寧に折って引き出しの中へしまった。両親へ報告する必要があるが、両親へは学校から別途連絡が入っているだろうし、急ぐ必要もないだろう。
ルナムペルシャは机上のカレンダーを確認しながら言った。
「とにかく、お嬢様はあと半月で、お言葉を直す生活に戻られたほうがよろしいかと。魔法課程はクラス単位の行動が主体と聞きますし、第三王子もいますしね」
「……やけに第三王子を推すな、ルナは」
疑問に思って顔を見上げた。
ルナムペルシャは「べつに」と肩を竦めると、くっと口角を上げて笑った。
「リアお嬢様なら、平凡を目指して第三王子のお目に留まりそうだな、と思っただけです。ですから事前に、忠告をと思いまして」
続いた言葉にげんなりと肩を落とす。
すでに第一王子が立太子しているため、第三王子の目に留まったところで王子妃になるくらいだ。本来なら“然して”重要な人物でもないはずだったが、ルナムペルシャはそうは思わないらしかった。
問うたところで答えが返るとも思っていないので、「あ、そう」と頷いてティーカップに口をつける。
(口調、なあ)
どうにも、気が抜けると前の生と入り混じった自我の方が強くなり、“お嬢様”のわたくしから逸れていく。自我が確立するまでの間に、無意識に引き寄せた精霊たちの影響も多大にある。
単純に言えば気が楽なのだ。この世界でも魔法学研究を行っているから、どちらかというと男性社会に馴染みが深いせいもあるかもしれない。
もっとも、こんな、男みたいな口調は屋敷の中でしかしていない。
一般課程だって、“お嬢様”でやり通せた。と、思う。多分。
「……善処しますわ」
じっと、ルナムペルシャの視線が痛かったので。
ハーブティで舌を湿らせてから答える。急にお嬢様言葉になったわたくしを、ルナムペルシャの方がぎょっとした顔で見返していた。
やれと言ったのは彼の方なのに。
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