32.侍従は令嬢を揶揄いたい 1
その前に、と待ったをかけたのはクアラだった。
「一つ確認したいんだけど、アリアは契約している精霊と意思の疎通ができるの?」
クアラが問いかけて初めて、フレディもエリオットもわたくしの言葉の不可解さに気が付いたらしかった。ぱちり、とゆっくり瞬きをして、エリオットが考え込むように顎に手をやる。
「完全に意思疎通できる人がいないわけではないけど……アリアはその、」
それから言いづらそうにわたくしの顔を見上げた。
エリオットが何を言いたいのか理解して、「ああ」と肩をすくめる。
「おっしゃる通り、精霊眼だ。でも、それを言うなら殿下だって」
答えれば、エリオットは苦笑と同時に頷く。
驚いたのはクアラだけだった。そもそも精霊眼同士は、互いが精霊眼の持ち主であると察してしまうし、フレディはエリオットから話を聞いていたに違いない。
わたくしたちを見まわしたクアラが、ぷくりと頬を膨らませて「ずるいわ!」と言った。
「私だけ仲間外れだったのね」
「まあまあ。僕たちも、アリアが精霊眼かどうかは半信半疑だったんだよ」
だというのに、フレディは曖昧な言葉でクアラを宥める。
クアラとて本気で怒っているわけではない。すぐに顔を笑みに変えると、「まあ、急に打ち明けられてもびっくりしたけど」と言う。契約している精霊を公言したり聞きださないのと同様に、精霊眼であるかどうかも、基本的には詮索しないのがマナーだ。
第一、無暗に言いふらすものでもなかった。
「精霊眼は精霊との意思疎通がしやすいというよね。俺も契約精霊との繋がりは強い」
「うん、まあ、それもあると思う。ただちょっと……わたくしの精霊は、変わっているというか」
どう答えたものか悩みながら、わたくしは一瞬思念を屋敷の方へと飛ばした。
通常、精霊と術者があまりに離れている場合、魔法の使用に問題はないが、意思の疎通は限られると言われている。
そもそも信頼度が低ければ、まともな意思疎通も難しいものである。距離が生じればより困難になるのは当然のことで、学校から屋敷までの距離は通常意思疎通できない距離だ。
ただ、わたくしとルナムペルシャは少し違っていて。
互いに持つ力が大きい故か、それとも、わたくしとルナムペルシャの間に思いのほかしっかりとした信頼関係があるからか。
このくらいの距離ならものともせずに意思の疎通ができた。
もっとも、学校でまでルナムペルシャの小言を聞き続けるのは面倒だし、ルナムペルシャもわたくしの独り言めいた思念をいちいちキャッチしたくないだろうから、基本的には遮断している。屋敷に帰ると従者たちが頻りとわたくしの勉学を阻害するので――というと語弊があるのは重々承知しているが、“お嬢様”らしくさせようとするので――学校にいる間はある種の“自由時間”なのである。
(うん、まあ、そんなことだろうと思ったけど)
ただ、わたくしと繋がっているか・いないかというのはわたくしとの契約間での話で、ルナムペルシャが個人的に眷属を使ってわたくしの動向を見張っているのは、どうにも止められない事である。
「ちょっと眷属の誰かを貸せ、どうせ見張ってるんだろ」と思念を飛ばしてみたところ、ミーティングルームの机の上に、キラキラとした小精霊が現れた。
淡い金色の長い髪を持ち、真っ白なワンピースのようなものを身にまとう、小人型の小精霊である。
「……これは?」
突然現れた小精霊の姿に、まずエリオットが問いかける。
わたくしは肩をすくめて、「月の小精霊」と端的に答えた。
「わたくしの精霊は、ちょっと変わっていて――まあ、意思の疎通は確かにはっきりとできるのだけど。
わたくしの事を好きすぎるというか、なんというか。離れたところにいても、大体こうやって、自分の眷属の小精霊を傍に潜ませて、わたくしのことを見守ってるんだ」
監視、と言いたいのをぐっと堪えた。
監視、だの監禁、だのというのは人間社会の概念で、ルナムペルシャにとっては特に何の問題もない行為である。そしてわたくしはそのことを重々承知している。何せ最初の出会いが誘拐だったのだし。
ルナムペルシャ本人がわたくしの傍にいるために、人間社会に馴染めと言ったのは確かだけれど。
だからといって、精霊の力を使って、精霊の本分でやりたいことを制限させるつもりは毛頭なかった。
大体、いちいちルナムペルシャが差し向けずとも、月の精霊は常に数匹(匹、といっていいのかわからないが、サイズ的に匹でいいだろう)わたくしの近くに揺蕩っていて、ルナムペルシャはいつでも彼らからわたくしの情報を得ることができる。
わたくしの近くに月の精霊が揺蕩うのは、わたくしがルナエの娘であるからで、それと同時に、“魅了”の魔法を持つ、前の生の影響があるからだ。
机の上に現れた小精霊は、自分を見下ろす人間たちをくるりと見回すと、最後に振り返ってわたくしの方に寄ってきた。
小精霊は、ぱっと顔を明るめるとわたくしの指に飛びついた。頬ずりしながら、そのままぺろりと指先をなめる。小さな舌がくすぐったい。
「……驚いた、こんなに精霊が懐いているのを初めて見た」
ぼそり、とフレディが言った言葉に、はっとして顔を上げる。
つい、精霊に気を取られてしまった。指を離すようにと意思を込めて小精霊を見つめると、小精霊は残念そうな顔をしながら、ぽとりと机の上に舞い降りた。
「まあ、つまり、この子がわたくしの契約した、月の精霊人の“眷属”にあたる。
正直わたくしも、“眷属”がなんなのかよくわかっていないんだけど……魔力の大きい人や、精霊と親和性の高い人は、力の強い精霊と契約しやすいと聞く。
力の強い精霊は大抵その属性の精霊を従えることができるはずだから、三人の精霊も眷属がいるんじゃないかと思って」
漸く本題を続けると、三人は互いの顔を見合わせた。
おずおずと手を上げたのはクアラだ。わたくしが視線を向けると、クアラは「そうはいうけどね、アリア」と戸惑った声を上げる。
「今ここに、精霊を喚び出せるわけじゃないし……どうやって、眷属がいるかどうか判断するの?」
「僕たちは、多分アリアほどはっきり精霊と意思疎通できないし」
ちらり、とフレディがエリオットの方を見る。
この「僕たちは」の中には、フレディとクアラだけが含まれて、きっとエリオットは含んでいないのだろう。わたくしとしても、エリオットはしっかり精霊と意思疎通できているだろうと思ったので、その含みには触れないでおく。
「わたくしの精霊に聞けば、たぶん大抵のことはわかるだろう。差し支えなければ、属性と名前を教えてもらえると」
もう一度、三人が顔を見合せた。
「……まあ、そういうことならいいわ」
最初に頷いたのはクアラだった。
「私の精霊は、音属性の小精霊よ。名前はプルケラソノ」
クアラが言い終わるより早く、机の上で大人しくしていた月の小精霊がぱっと顔を上げると、ぱかりと大きく口を開いた。
『プルケラソノとはまた、良い精霊と契約されていますね』
そこから流れてきた低い男性の声に、一瞬で全員が飛び上がる。――飛び上がったのはわたくしも同じだった。なぜなら、聞こえてきたのがルナムペルシャの声だったからだ。
(ルナ!? 何を、なん、どうして!?)
驚いてめちゃくちゃな思念を飛ばす。わたくしの非難が聞こえているだろうに、月の小精霊を介したルナムペルシャの声は心底呆れた様子で、『アリア様』とわたくしを呼んだだけだった。
『ダメではないですか。“ちょっと変わってる”などと曖昧に誤魔化して。殿下もいらっしゃるのですし、しっかりと、こうして会話ができるのだと教えて差し上げなくては』
つらつらと説教じみたことを言うルナムペルシャ――の声――に、わたくしは混乱したままの顔をクアラに向けた。むしろクアラの方が混乱している。幾らか冷静な声で、エリオットが「これは、アリアの精霊?」と問いかけた。
「えっと……」
『できれば言い淀まないでほしいですねえ、お嬢様』
くつくつと、揶揄うような声が笑う。
『眷属の紹介だけなど勿体ない。せっかくアリア様の方から喚んで頂いたのですし、皆さまにご挨拶をと思いまして。
突然驚かせてしまって申し訳ございません。私、ルナムペルシャと申します』
わたくしの目には、そう言って慇懃に礼をするルナムペルシャの姿が見えたようだった。というより、ルナムペルシャの言葉に合わせて月の小精霊が丁寧な仕草でお辞儀をしている。完全にルナムペルシャの支配下に置かれてしまったらしい。余程力の弱い精霊だったのか、はたまたルナムペルシャがそれだけの力を割いたのか。
(まあ、一時的なものなら良いけど……)
ため息をつきそうなのをぐっとこらえて、わたくしは「まあ、そういうこと」と三人の様子を窺った。
わたくしの魔力が多いことは、この間の件で知られてしまっている。
魔力量に関しては隠しようがないことだし、三人ともいたずらに吹聴するような人ではなかった。少し心配していたものの、あっけなく受け入れて貰えたので、わたくしもちょっと拍子抜けしていたのだ。
でも、ルナムペルシャの存在と、わたくしが精霊を“魅了”してしまっている体質については話が別だ。
家族にすら明確に伝えたことのないものを、たとえクアラにだってわたくしは言いたくない。いずれ言う機会があったとしても、それは今ではないと思った。
(お願いだから、余計なことは言わないでくれ)
祈るようにルナムペルシャに思念を飛ばす。ルナムペルシャが肩を竦めたのをなんとなく理解して、わたくしは顔が歪みそうになるのを何とか堪えた。
三人とも、驚きのあまり顔を引きつらせていたのだが。
最初に戻ってきたのはクアラだった。精霊研究に携わる者として、ルナムペルシャに興味が向いたらしい。
「ルナムペルシャ様、初めまして、私はクアラ・ソーノスと申します。アリア様と仲良くさせていただいておりますわ」
急に真顔になって、小さな月の小精霊に向けて丁寧な礼をする姿は少し面白い光景だった。座っておらず立っていたなら、見事なカーテシーをしたに違いない。
ルナムペルシャが満足げに『初めまして、ソーノス様。お話はお嬢様より窺っております』なんて、侍従然とした調子で受け答えた。
二人――精霊を「人」と数えるなら――の会話を聞いていたフレディが、奇妙な顔をして「アリアの精霊、なんか面白いね」とわたくしに言う。わたくしもそう思う。
「ルナムペルシャ様は、人間の言葉を話されていらっしゃいますが、同じように人間の言葉を使う方たちは多いのでしょうか」
真剣なまなざしで問うたクアラに、ルナムペルシャは小さく笑うと、『さあ、どうでしょう』と首を傾げた。小精霊の長い金髪が横に傾く。
『そもそも私たち精霊というのは、群れをつくらない存在ですから……互いに交流することも稀ですし、他の精霊が人間語を話すかどうかはなんとも。
でも、私以外にも話す精霊はいますよ』
「えっ!」
ぱっと顔を明るめたクアラが、歓喜に満ちた声を上げた。
途端にルナムペルシャがくすくす笑って、『まあ、お教えすることは出来かねますが』と肩を竦めた。
少し意地悪な言い回しだったが、クアラは気にした様子を見せなかった。
急に張り切って、「次の研究テーマが決まったわ!」と喜んでいる。放って置いたら手を叩いて踊り出しそうだ、あまりのはしゃぎようにフレディが「クアラ、落ち着いて!」と苦笑交じりに制した。
クアラの研究テーマ――精霊が人間語を使うかどうか――は確かにわたくしも気になるところではある。身近に本当の人のように擬態している精霊がいるので、ついそれが“異常”なことだと忘れてしまっていた。
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