33.王子殿下は夢中になる
水質調査については一旦そこで話を終える。
フレディが時計を確認しながら、「そろそろ採点の事を確認しなきゃ」と言った。わたくしもポケットから時計を取り出してみる。なるほど、確かに次の授業まで三十分もない。
「採点についてはどうする?」
そもそもミーティングルームを取って話し合おうとしたのは、来週ある加入試験の採点をどのように行うか、という話をしたかったからだ。
試験の目的自体が、加入者を増やすためではなく、“誰も加入させない”ためにある。当然、不正をするつもりは毛頭ないが、何が起こるかわからない以上、わたくしたち以外の誰かの手を借りることはできなかった。
想定、一人当たり三十人分の試験の採点を、わたくしたちだけで行わなければならない。それぞれの解答は共有する予定だが、論述問題だけはそうもいかなかった。
「うーん、時間がかかっても地道にやるとか……?」
クアラが諦めた様子で提案した。
わたくしたちは互いに苦い顔を見合わせて、「それしかないか……?」と首を傾げあった。
最終的に、正攻法だとは思う。
一人当たり三十人分の採点とはいえ、休日を潰せば問題なく採点できるだろう。
ただ、後で難癖をつけられないためにも、なるべく指摘されるようなことは防がなければならない。採点の場所や時間、日を分けるなら、集めた回答の保管場所などにも気を配るべきだろう。
手慣れた教師なら「たかだか三十人分」かもしれないが、わたくしたちはそもそも不慣れな学生なのだし、一人当たりどのくらいの時間で採点できるのかもわからない。そもそも、あまり採点に時間をかけたくないのだ。時間をかければかけるほど、つけ込まれる隙を生んでしまうから。
「……諦めて人を入れる?」
「わたくしたちの使用人とかか? 何か起きた時に彼らに害が及ぶぞ」
「それは避けたいな」
ぽつりと溢したフレディに首を振って否定する。不用意に下の者を使えば、不正を疑われた時に真っ先に矢面に挙げられてしまう。それはわたくしたちの誰も望んではいなかった。
エリオットが強く首を振る。
「……やや高度な魔法だが、記憶反復の魔法があったと思う」
エリオットは思案気な表情でひとつ、ヒントを出す。
記憶反復? と問い返したのはクアラだった。フレディの眉もそっと顰められ、エリオットをじっと見つめる。
ただ、わたくしには思い至るものがあった。エリオットが提案しなければ、きっとわたくしが溢していたに違いない。
エリオットは話を続けた。
「正確には、記憶する魔法と、一定の動作を反復して行う魔法。ペンに二つの魔法をつけたら、論述問題以外は自動化できないかな」
エリオットが言い終わらぬうちに、ぱっと二人の顔が驚きに変わる。
返事をするより先にフレディが慌てて部屋を出て行った。急なことに誰も声をかけられず、エリオット自身も驚いて扉の先を見つめる。ただ、そこまで驚いている様子がないあたり、比較的日常的な事なのかもしれない。
出て行ってしまったフレディの代わりに、クアラが「それです!」と声を張り上げた。
「殿下、それ、それじゃないですか! それならばっちりです!」
すごい、とクアラが拍手をする。全身で驚きと喜びを表現しているクアラの様子に、エリオットが一瞬たじろいだ。
「あ、はは……そういう魔法があったなって思い出したんだけど、出来そうで良かった……?」
それから助けを求めるようにわたくしを見た。
わたくしは小さく肩を竦めると、「クアラ」と呼びかける。クアラははっとした様子で拍手をやめると、前のめり気味になっていた体をまっすぐに戻した。やはり興奮していたらしい。
少し照れた様子で、「ご、ごめんなさい、つい」と軽く頭を下げた。
「あったよ! これだね!?」
そのタイミングで、先ほど出て行ったフレディがバンッと音を立てて戻ってきた。
驚いたのはわたくしとクアラだけで、エリオットは扉の音に苦笑しただけだ。フレディの手には厚い図書が握られていた。
「……精霊魔法事典?」
ぽつり、と、見えたタイトルを呟く。フレディは大きく頷いた。
「記憶と反復で思い出したんだけど……複合魔法にすれば、もう少し高度な“意思”を持たせられる、あるいは、僕たちの意思に“同調”させることができるかもしれない」
フレディが机の上で事典を開く。ぱらぱらと素早くページを捲った先に、ぱしりと示された箇所には。
なるほど、確かに「自立意思付与魔法」なる言葉が連なっている。
エリオットが示された文字列を確認して、ぱっと顔を上げた。フレディとエリオットが見つめ合う。
「……やってみる価値はあるな」
その顔は、目的のための手段を見つけた第三王子殿下の顔――ではなくて、高度な魔法への挑戦に燃える、ただの研究者の顔だった。
(あ、もうこれ採点の事頭にないかも)
瞬時に悟ったのはわたくしだけではなかったようで。
クアラとひっそり視線を躱す。ため息の代わりにゆっくり肩を落としたのは、私とクアラと同時だった。
何とか方向性を決めたあたりで、次の授業に向かうことになった。
ハイクラスの次の授業は魔法歴史学である。クアラはこの時間は精霊契約学だと言っていた。
つい先ほどまでルナムペルシャと話をしていたので、精霊契約学の授業に向かうクアラは実に楽しそうだ。元より精霊学がクアラの本業のようなものなので、精霊契約学自体が楽しみなのだろう。
グラウンドに向かったクアラを見送って、わたくしたちはハイクラスの教室に戻る。
もう少し余裕を持って戻れれば良かったのだが、教室に着いたのは授業開始の十分前ほどだった。
当然、他の生徒たちは既に席についていて、授業準備を済ませている。わたくしたちが教室に入ると、皆が一斉にこちらを向いた。
(うわあ)
やっちゃった、と思ったのは、ぐっと眉間に皺を寄せたルシャーナを見つけたからだった。
もの言いたげな顔でわたくしを見たルシャーナは、今にも立ち上がってわたくしに詰め寄ってきそうだ。
(い、いや、大丈夫。スプレンダー様は時と場所を考えずに行動する方じゃない)
言い聞かせながら、教室後方の自分の席に座る。準備を整えたところで、丁度良く担当教師が入ってきた。
予想通り、ルシャーナは立ち上がることなく授業開始を待っている。教師は教壇に着くと、ぐるりと教室を見回して、前回の授業の続きからテキストの指示をした。
今学期一分厚いテキストは、たった数回授業をこなしたくらいでは全然これっぽっちも進んだ気がしない。
魔法歴史学自体は興味深いものではあるが、これほど丁寧に進められると少しばかり飽きる瞬間があるのも仕方のないことで、授業中、こくり、こくりと居眠りをしている生徒は少なからずいた。
魔法歴史学の担当教師は、そうした“居眠り”に慣れているらしく、彼らの事をいちいち指摘して起こすようなことはしない。代わりに授業をきちんと受けていないとわからない問題を期末試験で出すらしいので、そうした生徒は単位が取れずに後々泣きを見ることになる。
逆をいえば、試験に自信があるのなら、ある程度別の事をしていても咎められない授業、ともいえた。
何せテキストも分厚いので、板書の量が多いのだ。教師は授業の半分は黒板に向いていて、わたくしたち生徒の顔をあまり見ている感じがしない。
(まあ、そうはいっても先生だから、どっかで見てはいるんだろうけど)
そういうわけで、うっかり眠ってしまうよりは、と、他の授業の課題をこっそりこなしていたり、そっと読書に興じる生徒もいるらしい。
“らしい”というのは、ハイクラスでそのような生徒はまだ見たことがなく――曲がりなりにも高位貴族の生徒ばかりなので、授業をきちんと受ける、程度の“我慢”は出来る――わたくしの姉や兄から聞いた話だった。
二人ともわたくし同様、ハイクラスの所属ではあったが、学年が上がるにつれ、ハイクラス内に様々な身分が混ざるようになり、一学年の時は気を張っていた生徒たちも、段々だらけてくるのだそう。
魔法歴史学は三年間必修授業なので、段々皆手の抜き方を覚えていくのだそうだ。
(……だからと言って、王子殿下がそれをするのはどうなんだ……?)
全員がテキストを開いたのを確認するや否や、くるりと黒板に向いてしまった教師を見とめて、もぞもぞと動く影があった。
エリオットが膝の上に隠していた本を、そっと机に乗せている。
分厚い本は先ほど見たばかりの本で、図書館で借りてきた精霊魔法事典である。
わたくしの席はフレディの斜め後ろ。フレディはエリオットの真後ろなので、エリオットの手元もやや遠めになるが殆ど丸見え状態なのだ。
エリオットはわたくしが見ているとも気づかず、事典の内容を読み込んでいるようだった。
じっと、エリオットを見ていることに気が付いたのか、フレディがそろり、とわたくしの方を向いた。教師がカタカタと黒板に文字を書く音が響いている。見られていない隙を狙ったのだ。
わたくしもじっとエリオット方面を見ていたので、ぱちりとフレディと視線が合う。お互いに引き攣った笑みを浮かべていた。
「(あれ、大丈夫なの?)」
思わず問う。口パクで。
フレディには伝わったようだった。
「(殿下、こうなったら止められないんだ)」
フレディがなんと答えたのかも、幸いなことに伝わってきた。
エリオットに振り回されている仲間として、以心伝心的なものが芽生えたのかもしれない。わたくしは口元が更に引き攣ったのを感じた。
「(もし気づかれたら……)」
「(大丈夫だと思うけど、後で殿下にノートの写しは求められるかも)」
はあ、と、形ばかりのため息を吐く。音を立てては、さすがに教師も注意をするので。
わたくしはフレディを不憫に思った。いや、常々、損な役回りだなあ、とは思っていたが。
振り回されてなお、エリオットに仕えているのは、家の政治的な理由以外にも、二人に絆があるからなのだろう。それが少しだけ羨ましくも思う。
フレディがそっと視線を前に戻したので、わたくしも再びエリオットを眺めた。
エリオットは集中して事典に向き合っている。何かを書き留めたり、ページをぱらぱらと捲ったりしているので、複合魔法のための構造理解をしているのだろう。
(まあ、そもそも、複合魔法自体二学年からの授業なんだけど……)
そこは、まあ、精霊魔法を研究しているエリオットの分野なので、カリキュラム通りでないのは当然なのだろう。
「……このように、精霊が神成前期から存在していることは、プロラティオ・アンティーカが記した“精霊創世記”から知ることが出来ます。この“精霊創世記”では、彼が交流した幾つかの精霊から“聞いた話”が記されておりますが、ここから神成前期は大きく混沌期、創造期の二つに分類できることが分かっています――」
教師の声が単調な音でテキストを進めていく。
フレディが止めていた手を動かし始め、板書に集中し始めたのを見て取って、わたくしは思わず笑いそうになるのを堪えるしかなかった。
同じように板書に向き合う。
教師の声とは無関係に、前のめりに事典を読むエリオットのことは、呆れもしたが親近感も多大にあって――仕方ないな、と心中で息を吐く。
(わたくしも授業の助けくらいはしてやるか)
わたくしとフレディがエリオットの分まで授業を聞いておけば、いざ試験の時にエリオットが単位を落とすこともないだろう。
元より苦手な分野でもある。他の授業より集中して取り組まねばならないのも確かだった。
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