34.加入試験は緩やかに始まる

 色々と準備することはあったものの、翌週初めの放課後、予定通り加入試験が行われることになった。

 受験希望者は前日までに運営委員会で事前受付をすることになっている。

 わたくしたちの試験は、それぞれ一から四までの数字が振られており、事前受付時にいずれかの番号が記された籤を引くことになっていた。

 引いた番号の試験を受験する、というわけだ。


 運営委員会とわたくしたちは、事前に引いてもらったその籤番号をもとに、会場となる各教室分の試験用紙を印刷して準備をする。

 エリオットたちは知らないが、わたくしは水曜日のランチタイム以外の空き時間は全て選択授業を入れているので、一日六時間びっしり授業を受けた後の準備は中々体力のいる仕事だった。

 とはいえ、他のメンバーも同じ条件なのだ、わたくしだけサボるわけにはいかない。


 運営委員会ときちんとした顔合わせは、準備前に集まった運営委員会室で行われた。

 委員長のパーバスはわたくしたちを取りまとめたそうな顔をしていたが、中々どうして、文化官のタクルの勢いが強い。タクルは集まったわたくしたちに素早く自己紹介をさせ合うと、あっという間に人員配置を終えてしまった。


 試験会場は、各学年の通常教室で行われる。

 受験資格が「ミドルクラス以上の所属」としているため、使用するのは各学年のハイクラス・ミドルクラスの教室である。

 わたくしたちサークルメンバーが四人に対して、運営委員会は六人のため、各教室に一人ないし二人を配置して、残った二名が運営委員会室で有事対応のための待機をすることになった。


「申し訳ないが、待機メンバーの内一人はエリオット殿下に頼みたい」


 タクルは本当に申し訳なさそうな顔で眉尻を下げると、まっすぐエリオットに向けて言った。

 エリオットは特に異論なく頷く。理由がわかるのだろう。

 わたくしにも理由が分かった。エリオットがいずれかの教室にいた場合、生徒が混乱しかねない。一学年のハイクラスの生徒ならともかく、家門の派閥はどうであれ、とりあえず第三王子に近づきたい生徒は多いだろうし、そうでなくとも「緊張して実力が発揮できなかった」などと言いがかりをつけられかねない。

 エリオットが会場近くに向かわないことは、わたくしたち側としても総意だった。


「それから、殿下に待機してもらうから、こちらからの待機メンバーはパーバス、お前だ」


 タクルの言葉にパーバスはぐっと言葉に詰まった顔をした。

 こちらも理由は推測できる。仮にも王子殿下と同じ空間に置いておくのだ、爵位としても、委員会内の職位としても、最も高いパーバスが担うのが妥当だろう。


「だが、ハイクラスの手配などは私が行った方がスムーズだろう」


 言いながら、パーバスの顔がわたくしたちをぐるりと見回す。

 パーバスが言いたいこともなんとなく理解して、わたくしは浮かべそうになる“苦い顔”を堪えるのが精一杯だった。つまり、爵位の高い生徒を相手にするのに、相応の爵位を持つ生徒がこの場に少ない、と言いたいのだ。


(でも、二学年以上のハイクラスは成績順なのに)


 もっとも、成績順にしたって上位貴族の割合が多くなるのは当然なのだが、優秀な成績であればハイクラスに配属されるため、当然子爵や男爵といった生徒も何人かは存在する。あまりいないが、平民の生徒が所属している場合もあるらしい。

 ミドルクラスは上位成績に入れなかった中・上位貴族で構成されるが、こちらは逆に伯爵位の生徒が混ざるため、爵位としての釣り合いは問題ない。


(大体にして、試験の準備なんて召使たちにやらせて当然と思ってる生徒も多いだろうに)


 そう考えると、別段、クラス内の爵位とわたくしたちの爵位の釣り合いを考える必要はないように思われた。

 問題があるとしたら、一学年のハイクラスのみである。


(わたくしたちのクラスだけは、今のところ、入学試験の成績だけで決められているから……)


 入学試験の成績が拮抗していた場合、無駄な摩擦を避けるために、上の爵位の生徒をハイクラスに入れることになっている。

 というのも、入学試験の順位は公表されないのだ。だからわたくしたちは、どの生徒が成績トップで入学したのかを知らない。

 懇親会でのあいさつだって、成績ではなく、基本的にはその年で最も爵位の高い家柄の子供が選ばれていた。

 エリオットが歴代最高得点を取ったのはたまたまであって、それゆえに新入生代表となったわけではない。


 案の定、タクルは渋い顔をパーバスに向けて、「わがままを言うな」とぴしゃりと言い放った。


「今回の件に爵位は関係ない。もてなすわけではないし、事務的に運営するだけだからな。むしろ変に高いより気安いだろ」


 それから、黙っていた運営委員会の一人がひょいと手を上げた。


「一学年のハイクラスを気にしてるなら、俺が行けばよかろう。俺ならパーバスと同じ侯爵家だし」

「それが良いと思いますわ。大体、パーバス様、今回の試験について少々気合が入りすぎでは?」


 手を上げたのはグラヴィス・マニフ・オクラティで、会計官を務める二学年の先輩だった。黒髪に黒い瞳で、銀縁の眼鏡をかけている。背が高くいかにも文系っぽい感じの男で、体格はそれほどがっしりしていない。オクラティは侯爵家なので、パーバスのルクス家と同格である。

 疑問を呈したのは、運営委員会に所属する二人目の女性、レチェンティア・エンヴァーだった。レチェンティアは三学年の先輩で、子爵令嬢ながら校内環境官を務める才女である。身長がわたくしよりも少し高いくらいなのに、わたくしとは違って立派な大人の女性に見える。

 子爵令嬢のレチェンティアがじっとりと疑いの眼差しを向けられる程度には、運営委員会の仲は良いのだろう。パーバスもそれを咎めることはせず、うっと呻いた声を上げただけだ。

 とはいえ、パーバスがルクス家で、現状エリオットに突っかかっている(というと語弊があるが、実際そうなってしまっている)ルシャーナがスプレンダー家という事情を鑑みると、パーバス側の事情など誰でも予想できるだろう。

 だから、レチェンティアは「気合が入りすぎ」の一言でまとめて、少しばかり牽制したのだ。「事情は分かるが、あからさまに行動しすぎだ」と。


「……分かった、私が殿下と待機しよう」


 ややあってパーバスは肩を落とした。これ以上は無駄だと理解したらしい。

 タクルは満足げに頷くと、残りのメンバーを見てひとりずつ担当クラスを割り振っていった。

 こちらも不正防止のため、自分のクラスにならないように割り振っていく。極力縁戚の者がいないクラスに当てているようだった。


「ルナエ嬢とソーノス嬢には、それぞれサラとレチェンティアをつけよう。男どもは一人だ」


 言いながらタクルがぱちりとウィンクする。

 体力勝負の仕事があれば別なのだが、そういうわけでもないので、よく知らない男の先輩と一緒にならないだけホッとする。多少、女性同士なら打ち解けることもできるが、相手が男性となると途端に気を遣う範囲が広がってしまうのだ。不用意に近づいてもいけないし、近づかれてもいけない。ただでさえ試験で緊張するというのに、余計な緊張はごめんだった。


 そういうわけで、わたくしとサラは三学年のハイクラスを、クアラとレチェンティアは二学年のミドルクラスを、一学年のハイクラスはグラヴィスが担当し、ミドルクラスはトリクト・ゲニスという二学年の副委員長が担当することになった。

 残る三学年のミドルクラスをフレディが、二学年のハイクラスをタクルが担当する。


(なんだかんだ、配置がバランス良いな)


 配置わけが終わったところで、それぞれが担当するクラスの試験問題を持って教室へ向かう。試験監督は別で、そのクラスの担任にお願いすることになっていた。

 わたくしたち運営側の役割といえば、試験問題の配布の手伝いと、加入試験の運営について質問が来た時の対応である。試験問題そのものへの質問は原則禁止としていた。


「試験が始まってしまえば、私たちは気が楽ね」


 これまた不正防止のため、試験中のわたくしたちは教室前に椅子を出して、そこで待機することになっていた。何かあれば、中にいる担任が声をかけてくれる予定だ。

 サラはわたくしの横でゆったり腰掛けながら、少しほっとした調子で言った。


 サラはトゥルーメン伯爵家の令嬢である。

 トゥルーメン家と言えば、クアラのソーノス家と並んで音属性の加護を持つ家門で、古くからある名家の一つだ。

 生憎とルナエ家との親交はあまり深くないので、社交の場でも軽く挨拶をする程度で、深く関わったことはない。もっとも、わたくし自身、パーティにもお茶会にも必要最小限しか参加しないので、わたくしではなくわたくしの兄姉や、両親の話である。


 トゥルーメン家で有名なのは、音の加護を受けるにあたった逸話であり、その逸話はオペラとして毎年公演されるほどの人気作にもなっている。

 オペラ“トゥルーメンの歌声”は貴族なら誰でも一度は見たことのある名作で、演目名の通り、トゥルーメン家は優れた声楽家を多く輩出する家門だった。


 声、に特化して加護を受けている家門だからか、サラの声もどこか心安らぐような、安心感を覚える声だ。

 「気が楽」という言葉にわたくしは思わず頬を緩めた。

 声に魔力が乗っているわけではないので、単純に、人を安らげる声質なのだろう。


「トゥルーメン先輩は、あのトゥルーメン家のご令嬢ですよね。お声がとても素敵です」


 それで、思わずそんな感想を溢してしまう。

 サラはぱちりと瞬きをすると、面白そうな顔でわたくしの事を見つめ返した。


「……ルナエ様は、とても素直な方ですね」


 ふふ、と小さく笑われる。

 嫌味に聞こえたわけではなかったが、確かに率直に感想を溢した自覚があって、わたくしは自分の顔がさっと赤くなったのを感じた。

 エリオットやルシャーナを前にしたときはもっと感情を制御できるのに、サラの前だとどうも難しく感じる。恥ずかしがるわたくしを見ながら、「とても嬉しいです」とサラはお礼を言った。


「どうぞ気楽にサラと呼んで。ルナエ様は音楽にご興味が?」


 サラはにこにこと笑いながら問いかける。


「では、サラ先輩、と。

 わたくしは特別興味があるわけではないのですが……友人が、音楽に詳しいので」


 思い浮かべるのはクアラと、フレディである。

 わたくしの言葉にサラはクアラの事を思い浮かべたらしい。「確かに、ソーノス家のご令嬢ですね」と頷いている。


「同じ音楽の家門ですが、ソーノス家とは特別強い繋がりがあるわけではないんです。

 パーティなどの場でご一緒する機会は多いんですが」


 確かに、クアラはサラの事を知っている風ではなかった。

 同じ音の加護を得ている家門なのに不思議だなと思っていたが、繋がりがあるわけではないらしい。

 そも、縁戚ではないので当然と言えば当然だが、少し不思議に思った。

 わたくしが首を傾げると、サラは苦笑を浮かべながら「きっかけがなかったようです」と肩を竦めてみせる。


「家門同士の繋がりなんて、利益がなければ積極的に生まれませんから。

 演奏家は楽団に所属しますが、声楽家は単独で活動をするか、合唱団に入団します。

 オペラなどがあればともに所属することもありましょうが、そちらは家門同士というよりは、オーナーが別におりますので」


 そもそも、実力主義の音楽業界において、家門はあまり関係ないらしい。

 当然、ソーノス家もトゥルーメン家も抱えの楽団や合唱団を持ってはいるが、あくまで出資者という立ち位置で、家門の人間だからといって無条件に所属できるものでもないらしい。

 王宮の“お抱え”になるならある程度の身分が問われるが、やはり最も重視されるのは技術なので、トゥルーメン家の令嬢だから、と“お抱え”になれるわけではないようだ。


(まあ、平民出身でも貴族の養子に入れば身分は貴族だからなあ)


 どうとでもなるのだろう、と考えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る