エリオット・ウラヌ・アクアピアはサークルを作りたい。

11.公爵令嬢は物申す

 魔法課程の授業が始まった。

 貴族社会のマナーや、算術、外国語、歴史学などがある一般課程と異なり、魔法課程の授業は殆どが魔法に関する科目になっている。

 魔法基礎学から魔法歴史学、呪文学など、「魔法に関する」とひとくくりにしてもその数は多岐に渡り、とても三年間で学びつくせるような数ではない。

 そのため、一学年の内は基本的な五科目――魔法基礎学、魔法歴史学、呪文学、精霊学、魔法具学基礎――を座学として学び、それに実技科目である、「魔法実技」と「精霊契約学」を足す構成となっている。


 必修で受けなければならない授業はその七科目だが、毎日の時間割はそれだけで構成されているわけではない。

 大体、一時間から二時間分くらいの空きが生じるようになっていて、その空き時間に専門科目を受講するか、自習時間として活用するか選ぶことが出来た。

 この空き時間をどのように過ごすかで、どのような学生生活になるかが決まると言っても過言ではない。

 進学した生徒の中には、本人の希望ではなく、家の都合で進学している者もいて、卒業だけできれば良い、というような生徒も多いのだ。

 そういう生徒は、“自習時間”と称してお茶会を開いたり、街へ出ていくことが多い。一般課程より貴族の比率が増える魔法課程では、社交学習の一環として認められているのだ。


 わたくしは当然、入れたいだけの授業を全部入れて、学習できるだけ学習しつくそうと思っていたので、空き時間は隙間なく授業をねじ込む予定だった。

 わたくしの専門である、魔法理論は勿論のこと、呪文歴史学も興味深いし、魔法具研究はもう少し専門的に学びたい。魔法理論、なんていうものは大概殆どの科目と関連してくるので、どの科目を受講したって“無駄”なことは一つもないのだ。





(そのはずだったんだけどな)


 呪文学の教師が教壇で話す内容を聞き流しながら、わたくしは自分の時間割を思い返した。

 空き時間のせいで生徒単位の時間割が存在するため、学校側から配布される時間割は存在しない。わたくしは気に入りの手帳に授業の時間割を控えていた。空き時間に受講したい専門科目もすべてリストアップしている。

 専門科目は、初回の授業に出席することで取得することが出来る。つまり、初回以外の授業ならある程度休んでも問題ないが、初回の授業は必ず出席しなければならなかった。


 呪文学の後はランチタイムで、ランチタイムが終わったら最初の空き時間がやってくる。この時間に属性理論の授業があり、わたくしはそれを受講する予定でいた。

 だというのに、朝、登校するなりわたくしを見つけたエリオットが、「ランチタイム後の授業は空けておいて欲しい」と言ってきたのだ。

 自習時間、と称して、純度調査の時間にするのにちょうど良いと思ったのだろう。放課後呼び出されるより余程健全だし、筋が通る。理解はできた。


「――精霊には、明確に言語というものは存在しない。音として発される声、のようなものはあるが、仲間同士の意思の疎通は基本的にテレパシーで行われている。精霊感度の高い契約者、あるいは精霊眼の持ち主などは、精霊の発するテレパシーを思念言語として受け取ることが出来るが、受け取った際の表現方法には個人差があると言われている」


 呪文学の教師はテキストを読み上げながら、「そもそも呪文とは何か」という話から進めていた。


 わたくしの前の生の“魔法”では、呪文とはパッケージ化された魔法を引き出すためのトリガだった。

 前の生の“魔法”は非常に自由で、一人に一つの属性しか存在しないものの、使い方は発想次第で無限にあったし、自分で使うだけなら呪文も必要がない。

 基本となる、誰でも使える構造の魔法だけ、呪文、という形で使用するのだ。


 だから、今世の魔法の在り方に時折戸惑ってしまう。

 今世の魔法は呪文がなければ発動できない。それは、自分の肉体で魔法を作っているのではなく、精霊の持つ魔法を借り受けて使っているからなのだろう。


「精霊テレパシーを常に理解できる者は一部だが、契約を交わし、魔法を使用する段になると、契約者は誰でも精霊テレパシーを受信することが出来る。そしてその際の思念言語は一定の法則があり、世界に人間が存在しなかった頃の文明に用いたられた、古代語で表現される。それが、呪文です」


 長い回り道をして、「そもそも呪文とは何か」の解を教師が述べた。

 それから、代表的な呪文を幾つか黒板に書き連ねていく。簡単な魔法――水を出したり、灯りをつけたり、熱を加えたり――は、呪文がそのまま魔法具の名称に使われていたりもするため馴染みが深い。


「呪文学では、基本的な古代語の学習を前期に行い、後期では複雑な古代語文章による呪文の成り立ちを理解します。実際に使用することはできませんが、学習を深めることで、いざ精霊契約が進み魔法を受け取った際に、より強力な魔法を発動することが出来ます」


 ハイクラスの生徒なら、大半がすでに精霊契約を済ませていると思われた。

 かくいうわたくしもルナムペルシャと契約をしている。


 精霊契約を済ませているなら、程度に差はあれ魔法を使用した経験があるということで、ある程度古代語の基礎知識は入っているのだ。

 そのため、生徒たちの多くは少々うんざりした表情を浮かべていた。今更古代語基礎なんて、という気持ちが強いのだろう。見れば、早々にテキストから顔を背けている人もいた。

 教師はそんな生徒たちを気にせずに(例年、ハイクラスはこのような感じなのかもしれない)一通り呪文を書き連ねると、次は発音の話に入っていく。生徒の雰囲気に呑まれず淡々と授業を進めていく様は、わたくし個人としてはとても気に入った。





 そうしている間に、リンゴン、リンゴン、と鐘が鳴った。

 授業終了の合図である。「あ」と声を上げた教師がぱたりとテキストを閉じ、「それでは今日はここまで」と授業終了を告げたところで、何人かの生徒がぱっと素早く立ち上がった。


「ルナエ様、少しよろしくて?」


 いそいそとこちらに寄ってきたのは、公爵令嬢グループの三人である。


 声をかけてきたのはルシャーナ・ミナーレ・スプレンダー公爵令嬢だ。

 輝くプラチナブロンドの髪を丁寧に緩い縦ロールにセットして、端正な顔立ちは迫力がある。猫目なせいで、じっとこちらを見つめる様子はどこか威圧感があった。


 公爵令嬢に声をかけられてしまったので、わたくしは反射的に立ち上がる。

 ルシャーナはわたくしの様子を上から下まで観察すると、「やっぱり不思議だわ」と呟いた。


「朝、あなたがエリオット殿下からランチに誘われたと聞いたのだけれど、本当かしら」

(早速か……)


 ちらり、とエリオットの席の方を見ると、こちらを気にしながらもフレディにせっつかれ、席を立つ準備をしていた。

 余計な口を出されると更なる誤解を生みそうなので、フレディが急かしてくれているのは有難い。

 わたくしはじっとルシャーナを見据えて、どう返答しようか考えた。


(嘘は言えないし、かといって正直に言うのもな……)


 とはいえ、黙り込んでいるわけにもいかない。

 「どうなの?」と横から口を出したのは、アルボラ・ヴェリディス侯爵令嬢だった。深い緑色の髪を揺らしながら、わたくしに詰め寄ってくる。


「……大変光栄なことですが、お誘い頂いております」

「昨日の懇親会も、殿下と一緒でしたわね。

 一応、立場は弁えているようだけれど……なぜ、あなたなのか、わかるかしら?」


 やや面倒だな、と思いながらも、重ねて問うたルシャーナに「そうですね」と相槌を打った。


「わたくしの兄が、以前魔法士団の近衛部隊に配属されていたのですが……その縁でわたくしの事を知ってくださっていたようです。昨日の懇親会で、わたくしが趣味で発表している魔法理論の研究についてご興味を示され、より詳しい内容を、ということで、本日お誘い頂いております」


 普通、一緒にランチする相手について、何故この相手とランチを共にするのか、他人に説明する義務も義理もない。

 ただエリオットの状況がややこしいのは理解していて、わたくしは当たり障りないように答えた。


「失礼、私がアリアを誘うことに何か問題が?」


 だというのに、聞き覚えのある声が横からかけられて、わたくしは思わず硬直する。

 フレディにせっつかれていたはずなのに、エリオットがいつものぼんやりとした様子でこちらを見ていた。わたくしも気づかなかったが、ルシャーナたちはもっと気づかなかっただろう。驚いた様子で「殿下!」と声を上げると、慌てて一歩、距離を取る。


「失礼しました。殿下がルナエ様をお誘いすることに問題があるわけではないのです」


 それから、代表してルシャーナが頭を下げる。


「ただ、殿下は未だ婚約者が決まっておりませんので……“その気のない”特定のご令嬢と、特別親しくされるのは、要らぬ憶測を生みかねないかと」

(思ったよりも直接的な指摘だな)


 ルシャーナの言葉は最もで、だからこそ、わたくしもクアラもはじめエリオットたちと親しくすることを嫌がっていた。


 こうした忠言についても、本来ルシャーナがすべきものではない。

 ただ、ルシャーナと、先ほどから黙って場の成り行きを見守っている、メディア・ノクス・ウブラ公爵令嬢の二人は、エリオットの婚約者候補筆頭とされていた。

 本来対立関係にある二人だが、ポッと出てきたわたくしがエリオットと急に親しくなってしまったので、一旦協力することにしたのだろう。


 筆頭はルシャーナとメディアの二人だが、エリオットの婚約者候補は多い。

 エリオットと年齢の近しい侯爵家以上の令嬢は、いつ王家からの打診があってもいいように、皆厳しい王子妃教育を受けていると聞く。

 当然、侯爵令嬢であるアルボラも婚約者候補の一人である。


 そして、その中に、伯爵令嬢であるわたくしは含まれない。わたくしは勿論、両親だって欠片も思っていないだろう。

 エリオットもその辺りの事情は、重々理解しているはずなのだが。


「何もアリアと二人きりで話をするわけじゃない。もう一人、学生ながら研究発表をしている令嬢を誘っているし……君たちが、アリアの提示した魔力道とそこから推測される精霊契約の本質、魔法の効率化について、意見交換ができるなら、誘うこともできるのだけど」


 婚約者がらみの事情を丸ごと無視したような形で、エリオットは淡々とルシャーナの言葉を否定した。

 実際、“特定”ではあるが“一人”ではない。わたくしの他にクアラもいるし、フレディもいるので、問題があるわけではない。


 ただエリオットの言葉は些か意地悪だった。ルシャーナがあっけにとられた顔をして、わたくしとエリオットの顔を交互に見つめる。

 黙っていたメディアが、横で「まりょくみち……?」と呟き返した。説明していいなら喜んで説明するが、わたくしは空気を読んで成り行きを見守ることにする。


「もう一人……ああ、懇親会の時もいた、ソーノス令嬢ですわね。

 ですが、殿下、学問の方も大切ですけれど、やはり、その……」


 ややあって、ルシャーナが言いにくそうに言葉を続けた。

 婚約者問題も何とかしろと言いたいのだろうが、さすがにあけすけに言うわけにもいかず、言い淀んでいるようだ。

 エリオットはやっぱり婚約者云々については気づかなかったふりをして、「問題ないだろう」と一人頷くと、わたくしの方に向き直った。


「アリア、早く行こう。クアラも待ってるし。時間が無くなってしまう」


 それから、あろうことか、わたくしにそう促した。


(いやいやいや)


 勝手に入ってきたんだから収拾つけてくれ、と心中で悲鳴を上げる。

 令嬢三人はわたくしの事を恨めし気に見つめていた。

 羨ましいが、エリオットの提示した、魔力道云々の理論はさっぱり理解できないのだろう。論文も読んでいないと思える。

 仕方なく、わたくしはあからさまに困った顔をして(外見のアピールは大事だ)、「申し訳ございません、皆さん」と謝罪した。


「わたくしの論文の事で、何かお聞きになりたいことがあれば、張り切ってお答えしますので――本日はこちらで失礼します」


 丁寧に礼をして、鞄を取る。

 待っていたエリオットが「早く行こう」と教室を出て行ったので、慌ててわたくしもその後を追った。

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